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九十一話 『その名は!!』

「豆泥棒……」


 ナギはスノーバの冒険者二人を同時に仕留めた亡霊の、大兜を凝視した。


 あまりにも大きな、重々しい鉄の塊。まばらに錆びの浮いたそれは、確かに王城前の広場にさらされていた、コフィンの英雄達の遺品の一つだった。


 ルキナがスノーバの闘技場で出会ったという、凄腕の剣闘士。ユーク将軍にたった一人で挑み、手傷を負わせた男。


 それが大兜の持ち主の来歴だと聞いていた。


 ナギの手を引いていた青年がいつしか足を止め、豆泥棒マグダエルを唖然とした表情で見ていた。


「マグダエル……? 何だよ、あいつもおっ死んでたのか……」


「知ってるの?」


 ナギより早く、彼女の腕の中のチビが訊いた。


 青年が冒険者達に一身に武器を向けられるマグダエルを見つめたまま、わずかにうなずく。


「王都の端っこに住んでたならず者だよ。でかくて強くて、いつも不機嫌そうな顔をしてたからみんな怖がってた。没落貴族の血筋とかで、ろくに仕事もせずに親の遺産を食い潰して生きてたろくでなしさ」


「でも、英雄だって……」


「ああ、あいつが牢獄にぶち込まれる直前にはそんなふうに呼んだやつもいたな。どこぞの腹空かせたいたいけな少女のために、セパルカから送られてきた豆袋を強奪して食わせたとか何とか。

 だから何だってんだって話だよ。結局泥棒野郎さ。いやしい貧乏人どもが美談扱いしたがヤツがしでかしたのは善行でも何でもねえ」


 吐き捨てるように青年が言う前方で、マグダエルが曲がった短槍を力強く振り、刃に付着した血液を飛ばした。


 石畳と冒険者達の体を走る血の線。じりじりと間合いをつめる敵達に、マグダエルの背後に立つ演説好きの亡霊がカン高い声を上げた。


「かくして役者は出揃い、祈りと言論は力を得た! 聴けよスノーバ人達! ここに立つ英雄マグダエルは君らをことごとく切り刻むぞ!

 演説の途中で私を殴りつけ、裁判にもかけずに殺してはりつけにした君らスノーバ人が、今度は遺言を言う間もなくこの大男に殺戮されるのだ!」


「この野郎、調子に乗るんじゃねえ!」


 冒険者の一人が怒声を上げ、短剣を演説好きの亡霊に投擲とうてきした。


 腕を広げてほほえむ亡霊の前で、マグダエルが短剣を造作もなく短槍で叩き落とす。


 直後に短槍を手元で返し、短剣を投げた冒険者へ逆に投擲し返した。


 風のように飛ぶ曲がった槍が、奇妙な軌道を描いて冒険者の胃の辺りに命中した。目を剥く冒険者が血を吐き散らし、石畳にひざをつく。


 殺気立つ他の冒険者達の前で、マグダエルがグラディウスをぶんぶんと両手で交互に持ち替えながら振り回す。


 数多の人間の血を吸った、剣闘士の刃。ゆっくりと歩を進めるマグダエルに、数で勝る冒険者達が少しずつ退き始めた。


 何故――そうつぶやくナギに、演説好きの亡霊がくるりと体を向けて愉快そうに笑う。


「彼らは知っているのさ。マグダエルの強さを、一人で数人の敵を相手にできる殺しの腕前をよおく知っているのさ。何しろかの豆泥棒は、冒険者達の最大の娯楽施設である闘技場の花形選手だった男だから。

 さながら檻の中で闘っていた見世物の猛獣が、目の前に解き放たれたような心地だろうよ」


「……」


「私は王都をさまよっていた猛獣を、言論でもって味方につけたのだ。我が明快なる計画を語りその片棒を担がせたのだよ。

 つまりだ、私がこの持って生まれた地平線まで届く美声を張り上げ、王都に潜伏する不届き者どもを呼び寄せ……」


 マグダエルが、霊体の足で石畳を強く踏み鳴らす。


「そうだ――俺が、皆殺しにする」


 大兜から響く声が、兜の鉄板を震わせて低く渦を巻いた。


 マグダエルがわずかにナギの隣にいる青年を振り返り、大兜の覗き穴の奥で喉を鳴らす。


「グレン。ろくでなしだの泥棒野郎だの、よくも好き放題言ってくれたな。お礼に墓場まで持って行くはずだった秘密を教えてやる」


「な、なんだよ……?」


「俺が豆を食わせたのはどこぞの少女じゃねえ。お前の妹だよ。輸入食料を持って来たら抱かせてくれるって言うんでな、苦労して盗んで一晩楽しんだんだ。

 もっとも兵隊が踏み込んで来た時に強姦被害者面されて、要らん罪まで押しつけられたがな」


 あんぐりと口を開ける青年ことグレンに、マグダエルが低く笑う。


 大兜の奥の眼光はちらりとナギとチビを見てから、再び前を向いた。


「そうさ、俺は善行をなす者じゃない。いわれのねえ美談をくっつけられようが英雄呼ばわりされようが文句は言わねえが、それでも根っこはただの狼藉者よ。

 暴力しか能のない男だが……ただ、それでも刃を向ける相手は、てめえで決める」


 冒険者が三人、マグダエルに何の前触れもなく突進して来た。長剣と、槍が二本、別々の方向から襲って来る。


 マグダエルはグラディウスを大きく振りかぶった後……なんとくるりと敵に背中を向けて逃げ出した。


 彼にわきをすり抜けられた演説好きの亡霊と初老の男が、同時に「げっ!」と声を上げる。


 だが一番驚いたのは攻撃を仕掛けた冒険者達のようで、振るわれた三つの刃が衝突した反動で三人の内二人が体勢を崩した。


 唯一足を踏ん張った長剣の男が、かっと目を怒りに剥いて仲間を突き飛ばしマグダエルを追う。


 振りかぶられる刃に演説好きの亡霊が尻餅をつき、初老の男が絶叫しながら頭を抱えた。瞬間。


 逃げていたマグダエルがぐん、とひざを曲げ、振り向きざまに、かつ一足飛びに長剣の冒険者へと跳躍した。


 一気に距離を詰める巨体に長剣の冒険者が一瞬刃を振り遅れる。

 その一瞬でグラディウスが、彼の脳天を無慈悲に叩き割った。


 そのまま着地する足を動かし、二人の槍の冒険者へ迫るマグダエル。


 とっさに突き出される二本の槍を、マグダエルは一本は身を低くしてかわし、一本は大兜の頭突きで跳ね返した。


 目の前の驚がくの顔を、順にグラディウスが両断する。


 マグダエルはそのまま残る冒険者の群に襲いかかりながら、大声で叫んだ。


「逃げるな! 戦え! ここはコフィン人の都だ! 敵がいるならあぶり出して殲滅する以外に、存続する道はねえぞ!!」


 みるみる敵の血を浴びて真っ赤になるマグダエルの姿に、ナギはぎゅっとチビを抱きしめながら唾を呑み込んだ。


 ……戦う……自分達が……?


 逃げることすら忘れて立ち尽くしていた彼女に、気を取り直したらしい演説好きの亡霊が足早に近づいて来る。


 亡霊はナギにほほ笑みかけると、「さあさあこれから大逆転」とわきを通り過ぎる。


「! ちょっ、危ないッ!!」


 はっとして彼を振り返ったナギが、声を上げた。亡霊は先ほどナギが射手に矢を射かけられた場所を歩いている。


 だが亡霊はこともあろうに矢の通り道で立ち止まり、両手を広げて首をかしげた。



 ……矢は、何故か、飛んでこない。


「何が危ないのかね?」


「なっ……」


 唖然とするナギに、亡霊は笑顔のままおいでおいでと手招きをする。


 顔を引きつらせるナギの横からグレンが歩み出て、亡霊の隣に立った。やはり矢は飛んでこず、グレンは空を見上げている。


 ナギは、戦うマグダエルとほほ笑む亡霊を交互に見て、それから腕の中のチビを見た。


 チビはうなずき、「行こうよ」といとも簡単に言う。

 おそるおそる、チビが射られないようにかばいながら、亡霊の方へ進み出る。


 亡霊の目の前にたどりつくと、亡霊は笑顔のまま空を指さした。ゆっくりと、背後の空を振り返る。



「そう、ここは我々の都であり」



 教会の尖塔の窓から、射手の上半身が垂れ下がっている。



「あの空は、我々の空であり」



 射手の青い髪が、風に踊り、血に染まっている。



「敵に奪わせては、ならないものだ」



 ……射手の背中には、子供の腕ほどもある、木製の矢が突き立っていて……


 ナギの肩に這い上がったチビが、自身の良く知る弓使いの名を、魂を振りしぼるような声で叫んだ。


「さあ取り戻そう。外の敵は、コフィンの王女とその兵団が。内の敵は、民と英雄達が始末をつけるのだ」


 亡霊が嬉しげに笑った瞬間、ナギの後方から無数の足音が響き……議場前で戦っていた兵士達と、ホルポ村の住人達、さらにガロルと共にダストの援護に向かったはずの戦士達が、怒涛の勢いで駆けて来た。

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