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九十話 『その名は……』

 石壁に近づいてはならない。どこかに身を隠さねば。だが、どこに?


 考えながら走るナギは、道端に腐乱した死体がカカシのようにはりつけにされている、細い通りへとさしかかった。


 死体はスノーバの将軍を批判したとがで、占領後すぐに処刑された民間人のものだ。


 死が高々と晒しものにされているそこに、議場から逃げ出した人々の姿がある。


 疲労と不安が極限に達していた状態で怪異と遭遇した彼らは、まるで追い詰められたネズミのように、正常な判断力を失っていた。


 他人の家の窓を割り、逃げ込む者。家庭ごみを詰める大樽の中身をかきだし、身をすべり込ませようとする者。道端に倒れ、死んだふりをしている者までいる。


 ナギと一緒に走っていた青年が息を切らしながら、死んだふりをしている初老の男を揺り動かした。


「おい、立て! 向こうからスノーバの冒険者が来てるんだ! こんなとこで寝てたら殺されるぞ!」


「で、でもどこに逃げれば……」


 初老の男の言葉に、青年がナギを見る。


 今更議場に戻れるはずもない。教会には射手が陣取っていて、コフィンの兵士達、戦士達のほとんどは石壁付近に集結している。


 都に散ってしまった人々をどこに再び集めるべきか、ナギにも分からなかった。


 むしろ安全な場所がない以上、このままばらばらに身を隠していてくれた方が良いようにさえ思える。


「モルグに祈ろう……かの竜は雲を戻してくれた。かの竜は今も上空におられる。スノーバ人の死をモルグに祈れば、叶うかも」


 ごみの大樽の中に埋まった男が、空を見上げながら声を上げた。


 名案だとばかりにひざをつこうとする初老の男を、ナギが即座に叱り飛ばす。


「祈りならどこかに逃げてから捧げなさい! 守護竜も生きる努力をしない者を救ってはくれないわ!」


「し、しかし……」


「否! 逃げたい者は逃げれば良い! 逃げずに祈りに命運を託す者は全身全霊で祈れば良い!」


 だしぬけに背後から上がった声に、ナギが身を跳ねさせながら振り向いた。


 青白い、半透明の亡霊。はりつけにされた腐乱死体と同じ格好をした男が、両腕を広げて空を仰いでいた。


「ま、またゴースト……!」


「祈りは弱者に残された最後の攻撃行動だ! 何の力もないくせに世界を変えようとする、図々しい一方的な呪いに似た願望の放出! それもまた良しだ! この地獄の光景にあってしかるべきものであろう!」


 はりつけにされている自分の死体を見上げる亡霊は、ひどく高い声で笑った。


 彼は身を硬くするナギ達を見下ろすように瞳を転がし、並びの良い歯を剥いて続ける。


「私も弱者だった。何の力も持たない、口だけ達者な塵芥ちりあくたのような貧乏人だった。だが敗戦後のコフィンにおいて、私ほど高く死体をさらされた民間人はいないだろう。

 あのスノーバのチンケな将軍を、声高に批判し、非難し、道端でこき下ろし続けたのだからな! 王都の民への見せしめとして真っ先に殺され、反乱の芽をつむための『看板』にされた!」


 亡霊の笑い声が響く中、ナギ達が向かっていた方向から物音が聞こえてきた。


 はっとして顔を見合わせるナギ達のわきで、大樽にはまった男が頭をごみの中に埋める。


 チビが、ナギに抱かれたまま亡霊に手を差し出して言った。


「大声を出さないで! 敵に見つかっちゃうよ!」


「少年、私は祈りではなく言論で敵に立ち向かったのだよ。その結果がこれだ。王都の道端で最も有名な二つの死体の一つと成り果てた。

 ちなみにもう一つは、ここから東にある通りをふさいでいる、腐ったドゥーの死体だよ。はりつけの男とドゥーの死体、それが敗戦後コフィンの道端の象徴だった」


 物音は少しずつ近づいて来る。それが複数の人間の足音と刃の鳴る音だと分かると、ナギは亡霊の言葉の続きを待たずに駆け出した。


 元来た方ではなく、その途中にある路地から別方向へ逃げようと。


「言論は封じられ、人が遠くへ行くための乗用動物は殺され……コフィン人は人として大切なものをスノーバに奪われ続けた……だがッ!」


 亡霊の声が高く響いた直後、路地へすべり込もうとしたナギの体を背後から青年が抱き止めた。


 声を上げる間もなく、路地の中に何か細いものが高速で飛び込んで行き、石畳をうがつ。


 顔を上げれば建物の屋根に切り取られた空の隅から、あのいまいましい射手が顔を出し、こちらを狙っていた。


 高い尖塔にいる射手は、少しでも遮蔽物しゃへいぶつから外れた者を即座に射ってくる。しかも腕が良い。議場から逃げた人々の何人かも、既に彼の餌食になったかもしれない。


「静かに滅びゆく運命だったコフィンに、このような『戦い』の機会が訪れようとは! そうともこれは戦いだ! 苦難多き地獄のような決戦!! しかもよもやそこに! 私も加われようとは!!」


 亡霊の哄笑に、道の先から迫る大勢の足音と声が混じる。


 王都にいったいどれほどの冒険者が潜んでいるのかは分からないが、ルキナの焼印の儀式を見物に来たスノーバ人は数え切れぬほどの大群衆だった。


 果たして、道の先からは元老院の議場前に現れた冒険者達とほぼ同数の集団が現れた。


 くらっとよろめくナギを青年が支え、初老の男が石畳にひざをついて、モルグへ祈りを捧げ始める。


 亡霊が、ナギ達の前でくるくると踊るようにステップを踏み、こちらへ向かって来る冒険者達に笑みを向けた。


「殺すのか! 徒党を組み高価な武器を振りかざし、女も子供も年寄りも亡霊すらも、一撃のもとにたたっ斬るのか! 素晴らしい! それでこそ冒険者!」


「もうだめだ! 議場の方へ戻ろう! 兵士達が勝っていたら何とかなる!」


 青年がナギの手を引き、射手に捕捉されない壁際へ走った。チビが、祈りの姿勢のまま動かない初老の男に手を伸ばし叫ぶ。


「あの人も連れて行って! 殺されちゃうよ!」


「手遅れだ! 目ぇ閉じてろ! 耳もふさいでろ坊主!」


 冒険者達がごみの大樽を通り過ぎ、初老の男と亡霊の元へと迫る。


 刃がきらめき、二人のコフィン人へと襲いかかる。



「祈りは――攻撃行動」



 亡霊が、くくっ、と楽しげに喉を鳴らした。


 瞬間、高くはりつけにされた腐乱死体が、わずかに揺れ動いた。


「えっ」


 反射的に振り返ったナギの目が、はりつけ台の上に屈みこんでいる、青白いものを捉えた。


 大柄で、筋肉質な、傷だらけの体。手にはグラディウスと、曲がった短槍。




 槍の穂先のような形の鉄の大兜をかぶった亡霊が、音もなく空中に躍り出た。


「ぐわっ!!」


 初老の男と演説好きの亡霊に襲いかかった二人の冒険者が、頭上から降って来た刃につらぬかれ、悲鳴を上げた。


 グラディウスに首を刺された者はそのまま地面に倒れ、短槍に背を突かれた者は武器を取り落とし、腰をかがめて胸をかきむしる。


 大兜の亡霊は無言でグラディウスを引き抜くと、短槍の刺さった冒険者の喉を一気にかき切った。


 鮮血を噴き上げて倒れる仲間に、残る冒険者達が足を止める。

 その内の一人が、長剣を握った逆の手で大兜の亡霊を指さした。


「こいつ……見覚えがあるぞ……」


「大兜……グラディウス…………まさか!」


 演説好きの亡霊が、唖然としている初老の男の頭をぽん、と叩いて、笑った。



「やったな。祈りが通じたぞ」



 響く高笑いの中、冒険者達が顔を引きつらせ、大兜の亡霊の名を呼んだ。


「豆泥棒――――マグダエル――!!」

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