八十八話 『チビ』
かつて元老院の議場だった場所。
兵士達が入り口を固める建物の最奥に、王都の民と、ホルポ村の村人達がひしめいていた。
外から響いてくる戦争の音に耳をすましながら、人々はホールの中央に建つモルグの像に頭を垂れ、祈りを捧げている。
ナギはそんな空間の隅で、チビを腕に抱きながら石の長椅子に座っていた。
ぎゅっと唇を噛んでうつむいている彼女に、チビがしきりに目玉を転がしながら口を開く。
「ナギさん、あの黒いドゥーはどこに行ったんだろ? 魔王のしもべの、影みたいなドゥーだよ。いつの間にかいなくなっちゃった」
「チビ……あなた、怖くないの?」
「こわいよ。でも、ナギさんがいるから、ふるえてちゃダメなんだ。男は不安そうにしてる人の前では強そうな顔をして、気をしっかり持ってなきゃいけないんだよ。
でなきゃ、たよられた時に一緒に泣いちゃうから」
外から、遠い剣戟の音が聞こえてくる。
ナギはぎゅっとチビの体を抱きしめながら、小さくため息をつくように笑った。
「ごめんね。この国はあなたに、ひどい光景ばかり見せてる。人が傷ついて、死ぬ場面ばかり……」
「そんなことないよ。モルグがよみがえったもの。落ちたモルグが、生き返って空に帰ったんだ……それって、うれしいこうけいでしょ?」
「……」
「これから反撃、だよね?」
大逆転!
そう胸の中で声を上げるチビを、ナギは心底愛おしく思った。
自分の息子が生きていれば、きっとこの子とは良い友達になれたはずだ。チビは、賢くて、優しい。純粋な心を持っている子だから。
……死なせたくない。息子のように、大人になれずに戦火に焼かれる子供を見るのはたくさんだ。
たとえ自分が肉の盾となってでも、この子だけは死なせない。死なせてたまるものか……
「ぎゃっ!!」
だしぬけに、ナギ達のすぐ隣に座っていた女が悲鳴を上げた。周囲の視線が集まる中、さらにホールのそこかしこで次々と悲鳴と怒声が上がる。
ナギは、隣の女が目をひん剥いて指さしているものを見て、反射的にチビの体をかばっていた。
ナギのすぐ目の前に、青白い半透明の人影がある。
それは今にもかき消えそうなおぼろげな形をしているが、確かにコフィン王国の、議員の証である衣をまとった姿をしていた。
同じ人影がホールの中に何十体もいる。誰も知らぬ間に立ち現れたそれらは、みな床を見つめてうつむいていた。
ナギの前にいる人影が、うめくような声をもらす。
「我々は間違っていない……我々は、ただ……民の生きていける道を……それだけを、求めて……」
「……議長?」
聞き覚えのある声にナギがつぶやいた瞬間、人々が恐慌状態に陥った。
得体の知れないモノの出現に、我先にとホールを飛び出して行く。ナギの制止の声も逃げる人々の耳には届かず、ホールは数十秒でほぼ無人になった。
議場の出口へと遠ざかって行く足音を聞きながら、ナギは思わず長椅子から立ち上がり、議長を突き飛ばしていた。
おぼろげな体には確かな肉体の感触があり、議長は簡単に床に倒れる。
ホールに立つ他の議員をも睨みながら、ナギは大声で彼らを罵倒した。
「外にはスノーバの冒険者がいるのよ! あんた達何しでかしてんのよ!! みんなを殺す気!?」
「……信じてくれ……嘘ではないのだ……コフィンのためを思って……だから、魔王の言葉に応じてここに……」
「……! あんた達は、いつもいつも……!!」
ナギはチビを抱き上げ、ゆっくりとホールの扉へと下がる。
倒れたままの議長が、ナギに手を伸ばし、さらに言葉をつむぐ。
「頼む、コフィンのために働かせてくれ。我々の意志を理解して欲しいんだ。なんでもする……我々はコフィンの頭脳だ。どんな策でも……」
「地獄に戻って! あんた達の知恵なんかいらないわ!」
疫病神! と吐き捨てて走り出したナギが、直後腕に痛みを感じて立ち止まった。
チビが、ナギの腕を衣の上から噛んでいる。目を丸くして絶句するナギに、チビがすぐに腕から歯を離して、すまなさそうな顔で言った。
「ごめんなさい、でも待って。ちょっとでいいから……」
「何?」
「あの人と話してくる」
するりとナギの腕から抜け出したチビが、議長の方へ駆けて行く。
ナギはあわてて後を追い、議長の目の前で立ち止まった小さな肩をつかんだ。
だがチビは、自分をつかむ手に逆に優しく手をそえて、その姿勢のまま議長に話しかける。
「おじいさん、げんろういんのえらい人ですよね。狩人のこと……覚えてます?」
「……ティオリネの森の女だ……我々が、スノーバに売った……」
「悪いことしたって、ちょっとでも思ってますか?」
瞬間、議長の目に光が宿り、チビを真正面からにらみつけた。
とっさにチビを抱き上げるナギ。だがチビはそんなナギの肩を制止するように押さえながら、なおも議長に訊く。
「おじいさん達がスノーバに狩人のことを話さなかったら、もしかしたら狩人は、今も生きていたかもしれないんですよね」
「我々は間違っていない! 民を救うため、この史上類を見ない国難の渦中でコフィン人の血を絶やさぬためにできうる限りのことをした! 我々を責める資格は、何者にもないッ!!」
「……そうなんだ……」
チビが、何故か安堵したような息を吐いた。
眉根を寄せるナギを見上げて、チビは「もういいよ」と小さく笑う。
「みんなの所に行こう。それじゃ、おじいさん、さよなら」
「……」
ナギは、再びうつむく議長から後ずさり、今度こそホールの扉から出て行った。
廊下を走りながら、腕の中のチビに少しばかり咎めるような声音で言う。
「悪態の一つでもついてやればよかったのに。私の腕を噛んでまで話したんだから」
「ごめんなさい、痛かったよね……でも、どうしても確認しておきたくって」
「何をよ」
「狩人のことを、あの人達が気に病んでるかどうか。ぼくはあの人達のことはほとんど知らないけれど、狩人とかかわったことだけは知ってたから」
チビが、ナギの胸に顔を埋めながら、目を細める。
「もし……狩人に謝りたいって思ってるんだったら、教えてあげたかったんだ。狩人は、ちっとも怒ってなかったって」
「……え?」
「狩人は覚悟してたんだ。スノーバがこの国を征服したら、コフィン人の誰かが自分のことを密告するかもしれないって、分かってたんだ。
でも、こう言ってた……自分はコフィン人じゃないのにコフィンの国境に住んでいるから、コフィンの人達に守ってもらえるわけがないんだって。むしろ、国に住まわせてもらってる恩返しに、スノーバと戦わなきゃいけないんだって」
廊下を走りながら、ナギが目を細める。
チビがはねるナギの心臓へ耳を向けながら、鼻をすすった。
「だから、狩人はげんろういんの人達を恨んでないんだ。だから、げんろういんの人達が狩人のことで胸を痛めてたら……」
「……狩人がかわいそう?」
「……うん……」
前方に、議場の出口が見える。開け放たれた扉の向こうには、走る人々とそれを追う兵士の背中。
ナギはぎり、と歯をきしませながら、誰にともなく叫んだ。
「本っ当に!! どいつもこいつも馬鹿ばっかりだわッ!!」




