八十七話 『Owl Knight 3』
マキトの腕が戦斧を振り上げ、頭上で激しく刃を回し始めた。
赤い蛇がマキトの筋肉をサポートするように絡みつき、脈打ちながら力を貸す。戦斧は風を切り、ぼう、ぼう、と炎が噴き上がるような音を立てた。
マキトの背後にいた最後の冒険者が、自分の額をかすめる刃に数歩退く。
マキトは彼には一切意識を割く様子もなく、そのままフクロウの騎士に近づき始めた。
一歩一歩、間合いをつめる。二本の剣を構えた敵に、マキトと赤い蛇の群が、同時に大きく歯を剥いた。
「死ねッ!!」
マキトが、回転する刃の勢いのままに、まるでひきずられるように前傾姿勢をとった。
右上から振り下ろされる戦斧。フクロウの騎士が双剣を交差させ、敵の刃を挟み込むように受け止める。
「ぐっ! お! おぉおッ!!」
火花がはじけ、戦斧は双剣の鍔まで刃を押し込み、フクロウの騎士の体をわずかに退けた。
がちがちと三つの刃が鳴り、せめぎ合う。
兜の奥で歯をきしませるフクロウの騎士に対して、マキトは顔を紅潮させるものの、笑みを崩さない。
「蛇だ! 背中から出て来るぞッ!」
ガロルの叫ぶ声。直後にマキトの背後から、太い蛇が二匹、しならせた竹がもどるような動きで空中に弧を描いて襲いかかって来た。
兜に迫る牙に、フクロウの騎士は気合の声と共に双剣から力を抜いた。
戦斧が胸元に迫ってくるが、その刃をすりぬけるようにフクロウの騎士の身が沈む。
わざと足を滑らせ、マキトの大きく開かれた股下へ仰向けに滑り込んだのだ。
襲って来た蛇達と戦斧が衝突し、耳障りな鳴き声が響いた。
マキトが足元を見下ろすと同時、フクロウの騎士の刃がマキトの両腿、太い動脈の走る場所に突き立てられた。
「がっ! あ!!」
声を上げるマキトの体が、地を蹴るフクロウの騎士に押し上げられる。
二本の剣が肉と血管を引きちぎりながら、マキトの体を空中に投げ飛ばした。
凄まじい荒技に、マキトは蛇の群と共に頭から地面に叩きつけられる。
怒り狂う蛇が地面を叩き、マキトが起き上がるよりも早く敵へ伸び、襲いかかった。
すでに身を転がして起き上がっていたフクロウの騎士は、牙を剥く蛇を横なぎに切り払う。さらに攻め寄せる蛇を切り落とし、盾で叩き伏せ……地に落ちた蛇の頭を踏みつけると、ギロチンのように刃を振り下ろした。
首を落とされた数匹の蛇が、一気に霧散する。
どす黒い血をしたたらせながら立ち上がるマキトへ、フクロウの騎士が蒸気のような息を吐いて言った。
「二度と同じ手は食わんぞ。体内にバケモノが詰まっていると知っていれば……敵の正体が分かっていれば、まっすぐに向かって来る蛇などいくらでも斬り落とせる」
「一度『殺された』ことへの負け惜しみかい……!? 僕だって、いくら切り刻まれても死なない体さ! 先に力尽きるのはお前の方だよ!」
マキトが、戦斧を持ち上げ、高笑いしながらさらに全身から蛇を立ち上らせる。
その股下からしたたる血を見て、ダストが低くつぶやいた。
「ガロル、もう十分だ。ルキナ様達の所へ行こう」
自分達の会話の隙間をぬって響いたその台詞に、マキトが目を剥いて視線をやった。
フクロウの騎士がその一瞬を見逃さずに突進する。迎撃すべく伸びた蛇が、剣と牙をかち合わせた。
「し、しかし……こんな場面でここを離れるのは……!」
「案ずるな! この場は任せろと言ったはずだ! お前達は早く仲間の元へ!!」
叫ぶフクロウの騎士。舞い散る蛇の頭。戦斧を振り上げたマキトが、自分に笑いかけるダストへ視線をやった。
魔王の真っ白な目が、弧を描いている。
「そうとも。案ずるなガロル……勝つのはフクロウだ。もう決まった」
――どういうことだ!
烈火のような怒りと、わずかばかりの困惑の色を顔に浮かべたマキトが、フクロウの騎士に斬りかかる。
だが、何度挑んでも、何度戦斧を振るっても、マキト自身の攻撃がフクロウの騎士に命中することはない。
マントをひるがえして戦斧を避けたフクロウの騎士が、身をひねりながら錆びた剣で、マキトの首筋を切り裂いた。
噴き上がる血しぶき。地面にひざをついたマキトのその傷口から、細い蛇が這い出て反撃する。
斬りおとされる蛇、修復される傷口。マキトの全身から、再び蛇が立ち上がる……
「……おい……何だ……あいつの顔……!」
ガロルが、マキトを指さして声を上げた。他の戦士団員も口を押さえ、目を剥き、マキトの顔を見ている。
「――顔――?」
眉を寄せたマキトの前で、錆びた剣がずん、と地に突き立てられた。
フクロウの騎士が、兜の奥からマキトを睨みながら、鏡のような刃を示す。
そこに映った己の顔に、マキトはしわの寄ったまぶたをびくりと震わせた。
……青ざめた顔色、たるんだ皮膚、無数のしわ。細い血管がこめかみや額に浮かんだその顔は、数分前のマキトの人相とは似ても似つかない。
ずるりと地面から引き抜かれる剣。
マキトは、やがてはっとした表情で己の体から這い出ている蛇を見た。
「……赤い蛇が、何故普段お前の体に引っ込んでいるのか……傷の修復だけに専念し、積極的に戦いに加わらなかったのか……」
ダストの声が、冷たく、風に乗って響く。
「それは先ほどお前が言ったとおり、赤い蛇自体がお前の血肉の一部と化していたからだ。赤い蛇の群が埋め込まれているぶん、お前の体の肉の量は常人よりも少ない。
赤い蛇の生命力、再生力はその欠損を補って余りあるものだったろうが……お前はさっきから、その大事な蛇を何十匹フクロウに殺された?
蛇が消滅するということは、お前の体から血や肉が失われていくのと同じことだったのだ」
「……馬鹿な……何を、馬鹿な……僕は不死身だぞ。斬っても突いても死なない超人だ……」
「マリエラに蛇を補充してもらえばまた元気になれるだろうな。だが彼女は、王都の外だ。
宿主に寄生するしか能のない下等生物が……肉の中でおとなしくしていれば良いものを、いっぱしの猛獣気取りでしゃしゃり出てくるからこうなる」
マキトが、絶叫しながら己の蛇の首をつかもうとする。だが彼の手は宙をつかみ、蛇に触ることができない。
「……なるほど……肉体の主導権は蛇に握られている……だから蛇を引っ込めたくても、引っ込められない、か」
得心した顔でつぶやくガロルに、ダストが広場の入り口へ目をやりながら言った。
「無敵と思われた不死身の能力にも、とんだ落とし穴があったというわけだ。規格外の強敵と出会った時、弱点である蛇が勝手に戦闘に参加してしまう……
それでも術師であるマリエラと常に一緒にいれば何の問題もなかったがな」
「マリエラ……!」
「彼女は我々が殺す。お前はそのままフクロウの騎士に八つ裂きにしてもらえ。
さあガロル、行こうか」
ガロルは、フクロウの騎士を見、それからマキトへ鋭い視線を向けて、踵を返した。
戦士団員の肩を借りて広場の外へ向かう彼らに、マキトが歯を鳴らしながら戦斧を持つ手を震わせる。
そして自分へ剣を構えるフクロウの騎士へ、刃先を突きつけた。
「――同じことだ! 言ってみれば……致命傷を受け続けられる回数に制限ができただけ! 全力で、一気にお前を殺せばいい!」
「負け惜しみか?」
マキトの目が、飛び出さんばかりに剥かれる。
「今まで……全力じゃなかった、とでも?」
「ああ、そうだ! 見てろ……見てろ! きっと……きっと僕の体にはまだ……!」
マキトが、歯を食いしばってうめく。何かをしぼり出すように全身で力む彼に、赤い蛇達がぴくりと反応し、動きを止めた。
身構えるフクロウの騎士が、数歩下がって距離を取る。
マキトは長く、地の底から響くようなうめきを上げ……やがて、ばりっと、大きな音がした。
一瞬だった。マキトの衣類の下からおびただしい血液が噴き出し、赤い蛇の群が一気に体外に現れ出た。
マキトの体に収まり切るとはとても思えない、十数匹の蛇と、数百匹もの蛇の幼体。そして丸太のような、特大の大蛇が、マキトの腹から地に這い出て来る。
一度は去りかけたガロルが「馬鹿な!」と振り向き、声を上げた。
蛇に体中を覆われ、赤いごわごわとした怪物のようになったマキトが、戦斧を握ったままフクロウの騎士を見る。
うごめく蛇の間から、血走った目がぎょろりと覗いていた。
「……振り返るな」
ダストが、ガロルの肩をつかみながら言った。
「フクロウが勝つ。邪悪な怪物を倒すのは、いつの世も……真に勇ましき者と、相場が決まっている」
フクロウの騎士が、それぞれの表情で広場を去って行く同胞達を背に……目の前に立ちふさがる怪異へ、無言で剣を構える。
やがて、戦斧を振りかざして向かって来るマキトへ、フクロウの騎士は双剣を手に、駆け出した。




