八十五話 『Owl Knight』
「アアアアアアアアああ!!」
咆哮するフクロウの騎士のわきで、顔をそぎ落とされたマキトが人ならざる声を上げた。
頭部の断面から大小無数の蛇を伸ばしてもだえる勇者の絶叫に、スノーバの冒険者達は敵を前にして目を見開き、動きを止めた。
それはコフィン人達も同じで、広場の真ん中で雄叫びを上げる英雄の姿に、武器を握ったまま静止している。
唯一、レオサンドラだけが自分の方にふらふらとやって来るマキトから飛び退き、顔を引きつらせながらフクロウの騎士を指さした。
「――まやかしだ! フクロウの騎士の屍はユークが草原に打ち捨てたと聞く……やつがこの場に現れることなどありえない! そこにいるのは、魔王の魔術で動かされているただの錆びた鉄の塊だ!
しっかりしろマキト! 中身のない空洞の鎧などお前の敵では……!」
声を張り上げるレオサンドラを、おもむろにフクロウの騎士が見た。
血をしたたらせる刃を地に向けたそれは、兜の奥からレオサンドラを睨む。
兜の覗き穴の向こうには、青白い冷気のようなものが漂っていて、その奥に、確かに人間の眼球があった。
生きた視線を向けられたレオサンドラが、ぐっと喉を鳴らし、人さし指の代わりに己の剣をフクロウの騎士に向ける。
「…………な……何者だ……!? 何故その鎧を……」
「名乗りと、因果を問うか」
よかろう。
そうつぶやいたフクロウの騎士が、ぐん、と剣を返し、刃で空を突いた。
刃の先には、はるか上空を舞うモルグの影がある。
低い声が、空気を揺るがすように広場に放たれた。
「我が名はフクロウの騎士! 流浪の剣士にしてコフィン王家の客人、コフィン人の盟友! 魔王の秘術の力を借り、再び現世に舞い戻った!!
我が遺品たる鉄鎧を『よりしろ』に、魂を肉と化して現れ出でん!!」
「たっ……魂だと!?」
「申した通りッ!」
空に向けられていたフクロウの騎士の剣が、レオサンドラの後方を指した。
広場にいる者達の視線が、そちらへ集中する。振り返るレオサンドラの前には、戦いで死亡したコフィンスノーバ、両国の男達の屍。
地面に倒れている彼らの内、コフィンの戦士達の屍だけが、青白い光を帯びてもぞもぞと動いていた。
喉や胸を裂かれ、剣をつき立てられた屍達が、ゆっくりと起き上がる。
レオサンドラが顔を引きつらせ、後ずさった拍子に辺りをふらついていたマキトとぶつかった。「うわっ!!」と尻餅をつくレオサンドラに、フクロウの騎士がぎゅっと眼光をしぼって言う。
「元より、不死身の勇者や命なき兵士を戦に投入していたお前達スノーバ……これでようやく、対等の条件になろうと言うものだ。我々もまた、死してなお戦う手段を手に入れた」
「馬鹿な……」
「魔王は魔法円の内にいる死者に語りかけた。コフィンのために、神の暴虐を止めるために、かりそめの復活を望む者は我が術の元に集えと。
対象の意志など省みない神喚び師の魔術とは違う。我々は我々の意志で甦り、魂を武器に生者のために戦う!」
起き上がり、武器を構えるコフィンの亡者達。その切り落とされた腕や足の断面からは、青白い半透明の手足が新たに伸びていた。
霊体とでも言うのか。景色が透けているにもかかわらず、半透明の手は剣を握り、足は土を踏みしめて体を支えている。
復活したモルグの体と同じだ。失われた肉体の欠損部位を、おそらく物体化した魂が埋めている。
「『ゴースト』か……つまりは……! 屍や鎧に、不浄な魂がとりついている……それが、我々に襲いかかって来る……!」
レオサンドラが早くも逃げ出し始めた数人の冒険者を睨みながら、未だ宙を手で掻いているマキトへ近づいた。
正確には、さまようマキトの体のそばに転がっている、切り落とされた顔面に。
ひそかに、音もなくまばたきをしているそれをむんずとつかむと、レオサンドラは歯を剥いて早口に叫んだ。
「マキト! いつまで取り乱しているんだッ! 非常事態だ、今すぐ敵を殲滅してくれ!」
「……」
「『不死身』はお前の金看板みたいなものだろう! 復活したコフィン人どもを生かしておけば無価値なものになるぞ! ……それとも……お前の『不死身』はマリエラにあつらえてもらった貰い物だから」
言葉半ば、マキトの目がぎょろりとレオサンドラを睨んだ。
みるみる真っ赤に血走ってゆくその双眸へ、レオサンドラが口角をつり上げながらつばを飛ばす。
「お前自身は全く大したことのない、根性無しのクソガキだってぇのか!?」
マキトの口が意味をなさぬ叫びを上げ、同時に体の方がマキトをぐるりと振り向いた。
宙に踊っていた赤い蛇の群が、びゅる、とマキトの顔へと伸びる。「よし!」とうなずき、手にした顔面を蛇へと差し出すレオサンドラ。
蛇は、半分は切断されたマキトの顔面に入り込んで引き寄せ、もう半分は、レオサンドラの体に喰らいつき、肉を荒らし始めた。
レオサンドラはぽかんとした表情で食われていく。
マキトの顔面が、自らの頭部に戻りながら、怒鳴り声を上げた。
「『不死身』は僕の特権だ! 僕だけの尊厳だ! 笑うヤツは誰だろうと許さない!!」
今まで、誰かに体を傷つけられなければ姿を現さなかった赤い蛇が、マキトの皮膚の下や、爪の間から次々と這い出してくる。
蛇が地面に転がっていた戦斧に伸びてからみつき、柄をマキトの手に戻す。
最期に何ごとかをうめいたレオサンドラが、その戦斧に首を斬り飛ばされた。
そこまでが限界だった。広場にいた冒険者達が、自分達のギルドマスターを殺したマキトに悲鳴と罵声をぶつけ、くもの子を散らすように走り出す。
広場に残ったのはたった数人の冒険者とマキト、そしてコフィンの生者と死者達だ。
「……王都外周の石壁で、味方が窮地に陥っている」
静かに、フクロウの騎士が声を上げる。
彼は無言の視線を返すコフィンの男達へ、錆びた剣を持ち上げながら、命じた。
「スノーバ軍と神が動き出す。王都を背に戦え。百倍の敵が相手でも、最期まで諦めるな」
この場は、自分が引き受ける。
数人の冒険者とバケモノのようなマキトへ剣を向ける英雄の言葉に、何人かのコフィン戦士が異を唱えようとした。
その中に、地に這いつくばったままのガロルもいた。
握り締めていた折れた剣から手を離し、目の前の羽毛のマントへ指を伸ばした。
俺も手伝う。俺も戦う。あなたと一緒に……あなたの隣で……
瞬間、フクロウの騎士が左ひざを高く上げ、靴底をガロルの剣に叩きつけた。
ガロルの目の前で、折れた剣が土をまきちらし、ぐるぐると回転しながら舞い上がる。
頭上にきらめき、やがて落下してくる剣の柄を、フクロウの騎士の左手がつかみ取った。
――双剣。
錆びた己の剣と、折れたガロルの剣を構えた英雄が、妙に優しい声を出した。
「違う敵に向かっていても、心は互いのそばにある。自分の敵を倒すことが、味方の敵を減らすことになる。
行ってくれ。みんなで戦おう」
フクロウの騎士が、わずかにガロルを振り返り、直後敵に向かって駆け出した。
一瞬遅れてコフィン人達が動き出す。石壁へ向かう者、逃げ出した冒険者達を追う者、倒れた仲間を救助する者。
ガロルは部下に駆け寄られながら、己の剣を振るフクロウの騎士の姿に、必死に唇を噛んで嗚咽を呑み込んでいた。
 




