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八十三話 『手遅れ』

 華やかなスノーバの都が、地獄と化していた。


 城は半分以上が破壊され、瓦礫が都中に散乱し、突き刺さっている。


 小刻みに痙攣けいれんする神が一帯に土煙を巻き上げ、赤ん坊のように鳴いていた。


 ユークが、そんな混沌とした都の中を白馬で駆け抜ける。護衛の兵士達がはるか後方に引き離されているが、白馬は速度をゆるめない。


 ユークは手綱を操りながら、背中にしがみついているマリエラに叫んだ。


「蛇で神を押さえ込め! このままでは近づけん! 関節を固めて動きを封じろ!!」


「やってる……でも……!」


 二人の前で、おびただしい数の赤い蛇にからみつかれた神の右腕がぎりぎりと起き上がり、倒壊する塔のように再び地面に落ちた。


 ずん、と地面が揺れ、白馬のすぐそばの家屋が傾く。


 倒れてくる石壁をすりぬけた白馬が、興奮で目を剥きながら泡を吹いていた。


 ユークが、ひじでマリエラの手をがつんと叩き、とがった骨でぐりぐりとえぐりながら低い声を出す。


「マリエラぁ……ここでもたもたしていれば、お前も私もいずれ死ぬのだぞ。この土壇場で無能をさらす気か」


「つっ……!」


「今すぐ、神を、止めろ。無理だろうが無茶だろうがやれ。寿命が縮もうと魔力が尽きようと、今期待に応えねば私はお前を捨てる」


 瓦礫を跳び越える白馬の鞍の上で、マリエラが強く唇を噛み、ユークを睨んだ。着地の衝撃で、マリエラの歯が唇を切り、血を飛ばす。


「どうなんだ! やれるのかやれないのかッ!!」


「やれるわ! あの倒れた右腕に向かって走って!!」


 呪文を唱え始めるマリエラに、ユークが「よぉしッ!」と気合を入れて馬の腹を蹴る。


 神の体の中から赤い蛇が次々と這い出てきて、体表を動き始めた。直後に神の左半身が、地響きを立てて暴れ始める。


 一瞬顔をしかめてマリエラを振り返りかけたユークが、しかし事態を正しく理解して、ほう、と息を漏らした。


 神の左半身から抜け出した赤い蛇が、胴体と右半身へ移動し、そちらを押さえつける方に力を割いたのだ。


 つまり神の左腕と左足が解放される代わり、体幹と右半身は完全に拘束され、動かなくなる。


 関節を完全に蛇に絡み取られた神の右腕は、今、ユーク達の前に橋のように投げ出されていた。


 ユークが回帰の剣を抜き放ち、マリエラの手を振りほどく。


 あぶみの上に立ち、咆哮を上げながら――神の右手に向かって、馬上から飛びかかった。


 巨人の、人さし指。青白いそこへ回帰の剣が深々と突き刺さる。


 びたりと動きを止める神。刺された指先から黒い霧が噴き出し、あたりを真っ黒に染めていく。


 剣を神の指に残し、ごろごろと猫のように巨大な手の上を転がるユーク。


 神の眼窩に浮かぶ青白い炎がまたたき、一瞬消えかけたかと思うと……次の瞬間、爆発的に炎の光が拡散した。


 いったん世界を染めた黒い霧が、青白い光に吹き飛ばされる。

 爆発音と、神の鳴き声。青白い世界に響いたそれが、やがて掻き消え――



 世界に景色が戻った時、ユークの前には、魔王の術にかけられる前の神がいた。


 巨大な、古代の生き物の死骸。もう動かなくなったそれを、赤い蛇の群がじゅくじゅくと音を立て、覆ってゆく。


「……ユーク」


 いつの間にか落馬していたマリエラが、とぼとぼと歩いて来る。


 ユークは神の指に刺さったままの回帰の剣に近づき、気合を入れて引き抜きながら、ふ、と笑った。


 不安げなマリエラに、巨大な手を滑り降りながら笑いかける。


 地面に足をつくと、マリエラの髪を軽くつかんで、口づけた。


「よくやった。機転を働かせたな」


「……私はあなたの恋人でいられる?」


「無論だ。すべてが収まったら、久々に可愛がってやる。……神を再び掌握するのにどれくらいかかる?」


「すぐよ。すぐに前みたいに自在に動かせるようになるわ」


「よし、神は万全の状態でここに待機させておけ。二度と巨人の屍を乗っ取られぬよう、蛇で体表を覆い隠してな。

 今は城内の兵士……いや、都にいる全てのスノーバ兵を集結させろ。コフィンのクズどもを大軍で押し潰す」


「神をけしかけないのは、王都にいる入植者を巻き添えにしないため、ですか?」


 男の声が、ユークとマリエラの会話に割り込んできた。見れば、瓦礫の影からコフィンの裏切り者、ライデ・ハルバトスが歩み出て来る。


 ハルバトスは、己と共にスノーバに下った密偵の男の、引きちぎれた首を抱いていた。おそらく瓦礫に潰されたのだろう、汚らしい断面からは赤黒い血液がしたたっている。


「将軍、神を無事奪還できたのは私達二人がこの都に残り、魔王の魔法円を潰しておいたからです。

 ならばほうびとして、私の望みを聞いて頂きたい」


「……コフィンの民の助命か?」


「そうです。王女や家臣達、兵士は皆殺しにしても構いません。しかし民には、あなたの従僕として生きる権利を」


「もう手遅れだ」


 ハルバトスが、ぎっと奥歯を噛んだ。ユークは神を眺めながら、回帰の剣を鞘に収め、言う。


「この大惨事を招いたコフィン人に、スノーバの同胞達は既に殺意を抱いている。コフィンの王都に向かった冒険者達は、兵も民も区別なく皆殺しにする気だろう」


「やめさせて下さい。お国のためになりません。占領した国の人間を絶滅させてどうやって領土を維持するのです」


「仕方あるまい。私は、常に我が同胞の期待に応えてきた。ならば今回もそうせざるを得ない」


 話している間に、白馬に置き去りにされていたユークの護衛達がその場に到着する。


 さらにマリエラが呪文を詠唱すると、半壊した城の中からわらわらとスノーバ兵達が這い出してきた。ハルバトスが、ユークに歩み寄って大きな声を出す。


「必ずあなたの役に立ちます! コフィン人を絶滅させないでください! お願いです!」


「なあ、ハルバトスとやら。生存する権利というのは……誰かに乞い願うものか?」


 その場に集ってくる、赤い蛇に支配された屍達。ユークはハルバトスに冷たい目を向け、口角をわずかにつり上げた。


「生存は、勝ち取るものだろう。特に戦争においては」


「い……今まで散々コフィンに媚びを強制してきたあなたが、何を……!」


「手遅れなのだ。もう、媚びるには手遅れなのだよ。お前達はスノーバをコケにし過ぎた……」


 手遅れだ。手遅れだ。


 歌うように繰り返すユークが、姿をくらました白馬を探しもせずに歩き出す。

 その後に続く、マリエラと、スノーバ兵の軍団……


 ハルバトスは、まっすぐにコフィンの王都に向かう彼らの背に、血を吐くような怒号を吐きかけた。


 その声は無言の軍団の足音にまぎれ、瓦礫の中に吸い込まれていった。

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