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八十二話 『ガロル 五』

 ガロルの手の中で、死んだ赤い蛇が空中に溶け、霧散していく。


 それはマキトの体に残った蛇の残骸も同じだ。赤い煙となって消えてゆく寄生虫を見つめながら、マキトがゆっくりと、立ち上がる。


 驚くべきことに、肩に槍が刺さり、両手を砕かれてもなお、マキトは戦斧を取り落としてはいなかった。


 他の人間ならば、敵ながら見事と舌を巻いていただろう。だがガロルはマキトが痛みに鈍感であることを知っている。


 マキトの砕けた腕が、手首が、ごきごきと音を立てた。肌の下に蛇の形が浮き上がり、折れた骨が元の形に戻っていく。


 肩の傷から、ひとりでに槍が抜け落ち、地面に転がった。


 顔を上げたマキトが、深く息を吸い、呑み込む。


 冷たく自分を睨むマキトに、ガロルは鎧の下の麻服のすそを破り、左腕の傷にきつく巻きつけながら鼻を鳴らした。


「フクロウの騎士の言ったとおりだ。その再生力、生命力……人と呼ぶには、あまりにもバケモノじみている」


「聖人、と言わなかったかな。これは聖なる蛇の恩恵さ」


「醜悪だッ!!」


 叫び、歯を食いしばったガロルが、己のすぐ背後に迫っていた冒険者に振り向きざまに拳を叩きつけた。


 槍を投擲した冒険者が、新たに抜いたナイフでガロルを切りつけようとしていた。


 鼻面をまともに殴りつけられた冒険者が後続の仲間にぶつかり、のけぞる。


 ガロルはその胸を大きな靴底で蹴りつけ、三人の冒険者を一度に退けた。


 最前列の冒険者は地面に転がり、胸をかばってうずくまるが、残る二人はわずかに体勢を崩しただけで、再び剣と視線をガロルに向ける。


 背後でマキトが動く気配がした。


 素手のガロルが挟み撃ちの状況で、前方から向かって来る二人の冒険者へ駆け出す。


 振るわれる二本の剣をかわそうと身を屈めた瞬間、すぐそこまで迫っていたマキトの気配が立ち止まった。


 眉をひそめる間もなく、ガロルの右足を何かが高速で這い上がってくる。


 その何かは衝撃とおぞけに目を剥くガロルのわきばらから胸へと駆け上がり、剣を振る冒険者の一人に飛びつく。


 肉に刃が突き立つ音。顔面に黒いナイフを深々と突き刺された冒険者が、半狂乱になって刃を振り回した。


 黒いナイフからは、影でできた甲虫の体が伸びていて、実体のない足をかさかさと動かして冒険者に張り付いている。


 ――ガロルはとっさにわきに飛び退きながら、ダストの方へ視線を向けた。戦う戦士団員達の向こうで、彼は呪文をつぶやきながら、まっすぐにガロルを見ている。


 ダストが魔物をよこして助けてくれたのだ。


 そうさとった瞬間、周囲の混乱の中からさらに何かが宙を飛んでくる。


 あわててつかみ取ると、それはガロルの剣だった。先ほどこの剣を貸してやったコフィン兵士が、視界の端で別の武器を構えながら、生意気に親指を立てていた。


「――馬鹿どもがッ! 俺などに構うな!! 自分の役目に――」


 集中しろ!


 そう怒鳴りながら、ガロルは幅広の剣を二人目の冒険者に向けて振りないだ。


 一撃目は刃で防がれるが、そのまま剣と体を押し出し、気合と共に敵をはじき飛ばす。


 押し負けて構えを解いてしまった相手の胸に剣を突き立てながら、ガロルは無意識に口をつり上げていた。


 ……仲間に窮地を救われるというのは、存外、心地の良いものだ。


 ただ一人で最強の座につき、英雄となることを切望していたガロルにとって、それはどこかこそばゆさを感じる現実でもある。


 他者に頼もしさを感じる、互いに助け合う……そこに、細かい能力の優劣など関係ない。


 己のやれることを、全身全霊でこなし合うのだ。英雄も雑兵も、全員が一つの群となり、力となる。


 ガロルがすべきことは……今、皆のために、すべきことは。


「召使いィイイイイッ!!」


 冒険者の体から剣を抜くガロルに、怒号を上げるマキトが斬りかかって来る。


「そうだ……英雄たりえぬ俺の、すべきことはッ!!」


 鋭い戦斧の刃に向かって、真正面から、剣を振りかぶる。


 二人のすぐそばを、敵に斬り伏せられた誰かの死体が吹っ飛んで行った。大量の鮮血がカーテンのように広がり、ガロルとマキトの世界を彩る。


「蛇の反撃を受けようと! 貴様の無力化を試みることだ!! 勇者マキトォオッ!!」


「やってみせろ雑兵があァーッ!!」


 激しく打ち合わされる刃が火花を散らし、世界を照らし出す。


 不壊の戦斧。そう名づけられたマキトの刃とぶつかったガロルの剣にひびが入るが、攻撃の勢いに負けたのはマキトの方だ。


 戦斧を握る両腕がぐん、と押しのけられ、戦斧の柄が、マキト自身の喉にぶつかる。


 マキトの喉が妙な音を立て、ガロルの刃が彼の首に接触した。







「……英雄というのは、遅れてやって来る」



 鮮血のカーテンから、音もなく、長く鋭い刃が伸びた。


 静かに頬に向かって来る剣先に、ガロルが、獣のように目を剥き、咆哮を上げようと口を大きく開く。


 その縫い付けられた口に、ふさがりかけた傷跡に、刃はまっすぐに埋まり、ぶちぶちと肉と糸を引き裂き、反対側の頬まで突き抜ける。


 剣が勢い良く振り払われ、ガロルの口が狼のように裂けた。


 驚がくに顔を引きつらせるマキトが、その表情のままガロルの体を蹴りつける。


 後方にのけぞったガロルが、血を噴きながら己の口を裂いた者を見た。


 地に落ちる鮮血のカーテンから現れたのは、口を引き結んだ、レオサンドラだった。


 ……こんな、男に。


 口を動かそうとしたガロルに、わきから倒れ込んで来た冒険者の体がぶつかる。転倒し、地面に突き刺さったガロルの剣がはずみで折れた。


 うつぶせに倒れるガロルの頭の先で、マキトがレオサンドラを見、声を上げる。


「今までどこに行ってたんだ……あんた」


「広場にいたさ、マキト。冒険者達の様子を見ながら、自分の身を守っていた。私は責任ある身だからね、サリダのように黙って逃げ出しはしないよ」


「……ふん、それで手柄を立てるチャンスを見つけて、しゃしゃり出てきたわけですか。英雄は遅れてやって来る? あんなやつ、僕一人で十分だったんだ」


「その割には苦戦していたようだがね。まあ、いいじゃないか。言い合っているひまはない。早く魔王を片付けないと」


 レオサンドラが、最早ガロルに目もくれずにダストの方を剣で指す。


 だがマキトはガロルを見、地面に流れる血の量を見定めるように視線を動かしてから、首を振った。


「やつの始末が先だ。僕にさんざん舐めたマネをしたんだ……バラバラにしてやらなきゃ、気がすまない」


「人が倒した敵をなぶる気か?」


「僕はあんたみたいにつめが甘くないってことですよ。なんなら、先に魔王にしかけていてもいいんですよ」


 戦斧を振り回すマキトに、レオサンドラは引きつった笑みを浮かべ、肩をすくめた。


 ……仲間達が、敵と戦いながらガロルへ叫ぶ。


 立てと。敵が来るぞと。


 だがガロルは折れた剣を握り締めたまま、口からあふれる熱い血におぼれかけていた。


 喉と耳元、鼻に燃えるような熱が伝わり、体が負傷の衝撃にしびれている。


 マキトが、こちらへ足を踏み出す。





 ――――今一歩――――




 ガロルは、痛いほどに耳を震わせる仲間達の叫びを聞きながら、ごぼりと、口にたまる血を吐き出した。

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