八話 『ラヤケルスの環・中編』
一通り掃除が終わった後、ダストは天窓から降り注ぐ光の柱の中で木椅子に座らせられていた。
目の前には姿見があり、鏡の中のダストの背後では、手をわきわきと動かすアッシュが不気味にほほえんでいる。兜は外したままだ。
「……痛いことはするなよ」
「痛くない痛くない、世の女の子のおしゃれの腕前をごろうじろってね」
ふんと鼻を鳴らし、腕を組んで鏡を見るダスト。アッシュはその髪を指で梳き、具合を確かめる。
「おっと、これはすごいよ? 指が全然引っかからない。お兄さん中々美人な髪をお持ちですねー」
「ふざけるな」
「ごめんごめん、さて、まずはじゃまっけな前髪を何とかしようか。最初に後ろ髪以外の頭の右半分の髪をごそっと手に取り、二つに分けます」
顔の中心線から右側の髪が、言葉通りアッシュの手によって引っ張られる。
両手に一束ずつ髪を持ったアッシュが、手馴れた様子で鼻歌まじりに続ける。
「で、右手の髪を左手の髪の上に持っていって、少しねじってから持ち替えて、また右手の髪を左手の髪の上に……これの繰り返しね」
「なんだ、縄の編み方じゃないか」
「そ。髪を縄状にして、毛先は紐で縛って留めます。で、この縄状の髪を後ろから顔の左側に回して……あとは左の前髪とサイドの髪を後ろに回して、全部いっしょくたに編み込んじゃえばいいのよ。後ろ髪もかきあげて、ひとまとめにしちゃうの」
長い髪をくるくるとまとめ、仕上げていくアッシュに、次第にダストの表情が変化していく。
額まであらわになった髪型は驚くほどに視界が広く、頭部自体の見栄えも悪くない。女達が髪の手入れや飾り立てに夢中になるのも分かる気がした。
だが、ふとアッシュの鼻歌が途切れ、髪を引っ張る感触が消えた。
鏡の中に自分のうなじを見つめて硬直している女の顔を見とめると、ダストははっとして、髪をかき分けられたうなじを左手で隠した。
「……首筋は見えないようにしてくれるか」
「ダスト、これ……」
「罪人だとは、言ったはずだぞ」
ダストの首筋に走る刃物傷は、つまり彼の首を落とすためにつけられたものなのだと。そう認めたも同然の台詞だった。
アッシュが無言で手を動かし、後ろ髪がいくぶんか落ちてくる。
再び腕を組むダストの髪を編みながら、アッシュは彼と鏡越しに視線を交差させた。
何を言いたいかは分かっている。ダストは姿見に向かって、少し間を置いてから口を開いた。
「ギロチンにかけられたが、生き残った。コフィンでは、同じ人間に二度死刑を行うことが禁じられている……それでも死ぬまで投獄されるのが筋だが、俺の場合は、王の温情で王都を追放されるだけで済んだんだ」
「前は、王様を怒らせたって言ってたけど」
「王の怒りを買って処刑され、王に同情されて解放された」
アッシュはその後、髪を仕上げるまで口を利かず、やたら手間をかけて作業を終えた。
白いロープのような髪が滝のような後ろ髪をまとめるそれを見て、ダストは「悪くない」とつぶやく。
「バース、だったか。君の国は髪に対する情熱が非常に強い所らしいな」
「まあね」
小さく笑うアッシュを、ダストが首を曲げて振り返る。
おそらく反射的に目をそらした彼女に、ダストは正直に告げた。
「落ちるギロチンの刃に、父が身を投げ出した。彼の死体は胴体から真っ二つになっていた」
「!」
「そうだ。国王は、その表情を浮かべて絶句していた。父は国王の腹心だった……俺が重ねた罪のせいで、父は死んだんだ」
それが同情の理由だ。そう締めくくったダストが、木椅子から立ち上がった。
アッシュが言葉を探しているのが手に取るように分かる。そして真実を全て話した時、彼女が軽蔑の眼差しを向けてくるだろうことも、ダストは知っていた。
この家で生活していれば、確実に彼女は自分の過去に行き着くだろう。その兆候は十分すぎるほどにある。
だがそれを是が非でも避けたいとは、ダストは今はもう、思わなかった。むしろ己の命運が尽きる前に一人ぐらい、赤の他人に身の上を明かしておいても良いかもしれないと思い始めていた。
アッシュが両親と竜の話をしたのも、おそらく似たような感情ゆえだったのだろうから。
「アッシュ」
「は、はい!」
「お礼をしよう。さっきの本を持っておいで」
アッシュは一瞬笑顔を浮かべようとしたらしかったが、その笑みは口端に引っかかって、うまく外に出てこなかった。