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七十九話 『ガロル 二』

 今一歩。


 それがガロルが、自身に下し続けてきた評価だった。


 完全と呼ぶには、一歩、及ばない。


 少年の頃、靴職人だった父に革をなめす手つきをそう評価されて以来、その言葉は呪いのようにガロルの人生につきまとってきた。


 物作りの才能がないなら兵団に入れと兵士の道に進まされてからも、ガロルは『今一歩の男』として生きた。


 無能なわけではない。むしろ同期の仲間達の中では力も根性もある方で、剣術の覚えも早かった。


 だが、彼の周りには常に、より優秀な者がいた。


 一番の成績には、今一歩、及ばない。



 並の者よりは上、最高の者よりは下。


 どんなに努力しても、高みを目指しても、ガロルの立場はそこから動かなかった。


 体を鍛え強くなれば、才ある仲間は同じ時間と努力で、さらにワンランク上の強さを手に入れる。


 任務で手柄を立てれば、より輝かしい手柄を立てた誰かに必ず賞賛を奪われる。


 剣の腕を磨き上げ、一兵士から戦士団員へ抜擢ばってきされても、入団式には剣の試合で一度も勝ったことのない同期の横に並ぶ。


 成功には、必ずケチがついた。達成感には、必ずもやもやとした不快感が混じった。


 人はそれを高望みだとか、向上心の表れだとか言って笑ったが、ガロルにとっては絶望に近い宿命だった。


 自分は決して無能ではない。人並み以上の努力もしている。だが、一度として一番に、最高の位置に立ったことがない。


 当時の戦士団長はそんなガロルの在り方に厳しく、才能がない、努力が足りないと真正面から叱責した。


 技能の低い者、似通ったレベルの仲間がたくさんいる者には、そういう叱責は飛んでこない。


 最高から少し下の位置にいる者が、最も激しく責められ、なじられる。


 戦士団長はそれをガロルを成長させるための激励と考えていたらしいが、ガロルにとっては誰にでも言える中身のともなわない叱責など、罵詈雑言ばりぞうごんと同じだった。


 寝る間も惜しんで鍛錬を続け、がむしゃらに強くなっても、より少ない努力で最高の者達は更なる高みへ駆け上がっていく。


 努力の仕方が間違っていると戦士団長に特別にしごかれたこともあったが、結果は同じだった。


 やがてガロルは、多くの同期の団員より優れているにもかかわらず、戦士団長の信用を失い、見捨てられた。


 手柄を立てやすい戦闘任務にはほとんど当てられなくなり、王城の廊下や食堂での槍持ち、旗振り役ばかりをさせられるようになった。


 今一歩。今一息。その言葉が、呪いが、ガロルの心を鬱々うつうつと蝕んでいた。




「決めた。お前が一番だ」



 ――ある日、だしぬけにかけられた言葉を、ガロルは生涯忘れないだろう。


 夕食を終えて食堂を出て行く国王ルガッサに頭を下げている最中に、視界のど真ん中に飛び込んできた王女ルキナが、そう言ったのだ。


 一瞬意味がわからずぽかんとしていたガロルが、扉の向こう側で槍持ちをしていた仲間に「ひざまずけ!」と注意され、あわてて槍を下ろして床にひざをつく。


 当時まだ少女だったルキナは、ガロルの顔を両手ではさみながら、鈴の鳴るような声で続けた。


「父上が言うのだ。王女たるもの、人を選び、使い、成長させる才を磨かねばならぬとな。今から部下を持ち、育てねばならぬと、そうおっしゃったのだ」


「……は……?」


「お前の名は……えぇと……バロンだな?」


 にっと笑うルキナに、ガロルは緊張で青くなりながら、震える声で答えた。


「申し訳ありません……ガロルでございます、王女様」


「ぬっ……」


「い、いえ、王女様がお望みならバロンに改名いたします! どうぞバロンとお呼びください!」


「せんでいい! ……ちょっと、覚え違いをしただけだ!」


 顔から手を離してむくれるルキナに、ガロルは潰れたカエルのように平伏した。


 はらはらと見守る侍女や戦士達の視線の中、ルキナは腕を組みながらガロルを横目に見る。


「父上が、城中の家来の中から好きな者を一人連れて行って良いとおっしゃったのだ。

 バロルよ、お前はこの部屋の人間の中で一番私と年が近そうだし、いつもぎゅうっと槍を握って隙なく仕事をしている。しかも、とても強そうだ」


「あの、バロルではなくガロルで……」


「最強なんだろう?」


 突拍子もない台詞に、ガロルが口を半開きにして顔を上げる。


 ルキナの顔に笑みが戻っていた。どこまでも真っ青な瞳が、一切の疑いの色もなくガロルを見つめる。


「戦士の中で一番強い。だから毎日私や父上が食事をする場所を守る栄誉を与えられたのだろう。

 そこにいるもう一人の槍持ちと、二人で戦士団員の頂点に立っているのだろう。ん?」


「……あの……それは……」


「お前に決めた。お前が一番私の部下にふさわしい。今日から私の直属の家来だぞ、バロル」


 うれしいか?


 そう問うルキナの背後で、侍女や戦士達が必死に笑いを押し殺しているのが見えた。


 ガロルはその光景を数秒眺めていたが、やがて、じわじわと湧き上がってくる心臓を燃やすような怒りに拳を握り締め、ルキナに再度頭を下げた。



「光栄、至極にぞんじます。ルキナ王女様。

 ……ご明察の通り、私は……コフィン王国戦士団……最強の男にございます」







 その言葉は、それから一年以内に現実となった。


 ガロルの体躯は倍増した鍛錬のために膨れ上がり、それまで寝る間も惜しんで磨いていた剣の腕は、睡眠自体を何日も放棄してまで高められた。


 医者に死の危険を告げられても、ガロルは強くなることをやめなかった。


 日々ルキナの供をしながら、肉体をいじめ抜き、剣を何百本も使い潰し、戦士団の仲間を試合で下し続け、やがて戦士団長すらも叩き伏せた。


 実力主義の戦士団の新団長に任命された時、ルキナに抜擢されたことをあげつらって『上手くやりやがって』と言う者もいた。


 ガロルは、その言葉を吐いた者に決闘を申し込み、助太刀の仲間もろとも半死半生の目に遭わせた。


 自分を、たとえ勘違いでも、気の迷いでも『一番』と言ってくれたルキナの判断を笑う者は女子供でも許さなかった。



 ルキナはガロルに、本来の己の分を超えるほどの強さを持つに至る理由、尊厳を与えたのだ。


 一国の王女が、国王の娘が、ガロルに『最強』を求めてくれた。『今一歩』の自分を、信頼してくれた。



 命を賭けるに値する理由だった。その理由がガロルに壁を越えさせてくれた。



 ルキナがガロルを連れて歩き、頼りにしたり、他人に自慢げに紹介してくれると、それまでの人生のあらゆる苦難が吹き飛ぶほどの喜びが胸を満たした。


 ルキナはガロルにとって、女神に等しい存在になった。けっして口外はできないが……国王ルガッサよりも、守護神モルグよりも優先すべき主だった。


 自分の人生や、自尊心のためではない。


 ルキナの心と名誉を守るために、ガロルは彼女の、最強の右腕であらねばならなかった。




 ――だからこそ……それゆえに。


 ガロルは一度は振り払いかけた『今一歩』の呪いに、再び捕らわれることとなったのだ。

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