七十八話 『ガロル 一』
勝てる。
勝ててしまう。
ガロルは勇者マキトと刃を打ち合わせながら、戦士としての経験とカンが告げてくる声を、必死に振り払っていた。
振るわれる戦斧の勢い、向けられる殺気の凄まじさ、マキトの、身のこなし……その全てが、ガロルよりもはるかに劣っている。
それは確かに事実だ。だからガロルの脳内に住み着いた、戦士としての心が、魂が、何度もガロルをそそのかしに来る。
『今だ、わき腹ががら空きだぞ、刃を突き込め!』
『なんて大振りな攻撃だ。振り切ったところを狙えば腕を落とせるぞ』
『首を斬り飛ばせ! お前なら一太刀でやれる!』
……マキトと刃を打ち合わせるたび、攻撃をやり過ごすたび、剣術的な勝利への強い誘惑がガロルを引っ張ろうとする。
だが、目の前の勇者を剣術でもって下すことには、何の意味もないのだ。
そんなことはガロルごときがやるまでもなく、かつてのフクロウの騎士が既に成している。
フクロウの騎士はマキトを打ちのめし、戦斧を握る腕を剣で貫いた。
人対人の戦いならば、その時点でフクロウの騎士の勝利は決まっていたはずだ。
だが彼は、マキトの人外の力の前に敗れ去った。勝利を意味するはずの敵の傷口から這い出た赤い蛇に、体を貫かれた。
剣術における勝利……マキトの体に剣を突き刺すという行為が、そのままガロルの死につながりかねないのだ。
怒号と絶叫、血しぶきが舞う広場で、ガロルはひたすらマキトの戦斧を受け止め、受け流し、刃ではなく剣の柄や拳を繰り出していた。
あごを打たれ、腹を蹴り飛ばされ、さらには足払いをかけられて転倒するマキトが、いらだたしげな声を上げてガロルを睨んだ。
「召使いのくせに……しぶといおっさんだなッ!」
「いくらでも打ちすえてやるぞ! 不死者でも痛覚はあるだろう! 痛みで立てなくしてやる!!」
「痛み? はっ、そんなもの、ほとんど忘れちゃったよ!」
石畳の上で身をひねり、跳ねるように立ち上がるマキト。
周囲には冒険者と、コフィン人の屍が無数に転がっている。
倒された人数は冒険者の方が多い。だが今、広場に生きて立っている人数も、冒険者の方が多い。
まばらに広場に現れる敵の増援に対し、コフィン側の数は戦闘開始から減る一方だ。
戦斧を振り回し気合を入れるマキトの前で、ガロルは視界の端で敵に剣を折られ、押し倒された兵士に向き直り、持っていた剣を投擲した。
敵の体の下でもがいていた兵士は、顔の横に突き刺さるガロルの剣にすぐさま手を伸ばし、目の前の敵の喉を切り裂く。
返り血にまみれる兵士が、ガロルに顔を向けて何か叫んだ。こめかみに迫る刃の気配。そばにある、マキトの息づかい。
ガロルは息を吸い込みながらひざを曲げ、背をそらし、体を後方へ倒す。
喉のすぐそばを、戦斧が通り過ぎた。舌打ちをするマキトの腕を両手でつかみ、そのままぶらさがるように体重をかける。
地面にひざをつくマキト。その両腕を抱え込み、締め上げる。
「このままへし折ってくれるわあ!!」
「こっ、この……!」
抵抗しようとしたマキトの右腕が、べきりと音を立てた。
単純な太さならば、マキトの腕はガロルの腕の半分程度しかない。
盛り上がった石のような筋肉が、マキトの骨を歪ませていく。
怒りの叫びを上げるマキトに、冒険者が何人か駆けて来た。
槍を持った冒険者が投擲の姿勢を見せるが、ガロルはマキトを解放しない。
渾身の力を振り絞り、マキトの右腕と、左の手首を砕く。
ぼきぼきと響く嫌な音。マキトは絶叫するが、指に引っかかった戦斧は落とさない。
槍が、投擲される。
ガロルは命中を覚悟したが、槍は風を切り、妙な角度で飛来して来る。
あっと思う間もなく、槍が、マキトの肩に突き刺さった。
噴き上がる鮮血の中、マキトが、歯を剥く。
赤く染まる歯をさらして、笑う。
「しまった!!」
へし折った腕を放しながら、地面とマキトの体を蹴りつける。
地面に仰向けに倒れるマキトの肩から、ずるりと赤い蛇が、ガロルに向かって伸びてきた。
後方に跳ぶガロルが、喉の前で腕を交差させる。
次の瞬間、赤い蛇が、ガロルの太い左腕の肉に食らいついた。




