七十四話 『迎撃 一』
丘を上って来る人の波に矢が到達した瞬間、血しぶきと怒声の渦が噴き上がった。
それまでじわじわと王都に迫っていた冒険者達が、先頭から一気に走り出す。
「次! つがえよ! 狙え!!」
ルキナの「放て!」の合図のたびに、八つの強弓から重い鉄の矢が、人間の壁へと一斉に飛んで行く。
冒険者達は厳密にはスノーバの入植者、民間人であり、訓練を受けた兵士ではない。
誰かが指揮をとっているわけでもなく、ただ各人が己の意志で王都へ押し寄せている。
たかが八つの弓でも、一方的に射撃を繰り返せば恐怖で群が瓦解する可能性があった。
敵が石壁に到達する前に、一度でも多くの射撃を行わねばならない。
高い悲鳴に似た音を立てる矢に、ルキナの右前方で志願兵の男が、鎧を着た正規兵に「なあ」と声を向けた。
「この音は何だい? ひいい、って、矢が飛ぶたびにおっかねえ音が聞こえるじゃねえか」
「ああ、それは……弓兵達が持っている弓矢が、本来戦闘用ではない、軍に対して進軍の合図を送るための『鳴き矢』を射つための強弓だからだよ」
「なきや? 矢が鳴くのか」
「矢の中が空洞になっていて、射つと複雑に掘られた溝に風が流れ込んで笛のように高い音を出すんだ。我が国の兵団はその音を合図に敵に攻め込む。
飛んでる時間が長いほど音が良く響くから、力自慢にしか引けない強弓を使うわけだ。武器というより楽器に近い品ということで、スノーバも取り上げなかったが……」
「武器としても使える?」
「当然だ」
鳴き矢は、突き立った人体から溝を通して血を吸い上げ、まるで噴水のように辺りに撒き散らす。
恐ろしげな飛来音との相乗効果で、一部の冒険者達の足が鈍った。だが、武装した二百もの仲間と肩を並べているという安心感からか、群それ自体の速度は変わらない。
やがて冒険者の波の中から、矢が射返されてきた。明らかにコフィン側よりも弓使いの人数が多い。
さらに酒瓶に燃える羊皮紙を詰めた火炎瓶や、細かい石を包んだ麻袋が投擲され始める。
「恐れるな! まだ届かん! 敵は丘の下、我らは上だ! 石壁が攻撃を防ぐ!」
王都が丘の上にあるのは、矢戦での攻防で優位に立てるからだ。
矢を射るにあたり、敵の下にいるよりも上にいる方が圧倒的に自由な発射角と長い射程を得られる。素手での投擲武器を使うならばなおさらだ。
丘の下から投げ上げたのでは、平地の何倍もの高度まで上げねば敵に届かない。
冒険者達の矢は石壁にも届かず、火炎瓶と石つぶてに至っては中途半端な高度で地面に炸裂し、中には味方に命中しているものもある。
戦術も何もあったものではない。
武器と地形の相性も考えず闇雲に攻撃してくる、ド素人の集団だ。
だがそんな敵でも、王都に乗り込まれたなら絶体絶命の窮地に陥る。
石壁から敵の様子をうかがっていたケウレネスが、声だけでルキナに報告する。
「敵の勢い、衰えません! 丘の中腹に到達します!」
「くそっ……! 『つぶて』用意!」
鳴き矢の効果が思ったほど出ないと見るや、ルキナは拳大の石を包んだ麻布を持つ兵士達を振り返った。
二十名ほどの男達が、長く垂れた麻布を片手でくるくると回し始める。
ケウレネスが敵のいる方向を腕で示すと、その射線上から他の者と共にどきながら、ルキナが叫ぶ。
「放てッ!!」
男達の気合と共に、回転していた麻布から石が空に向かって放たれる。石壁の向こうで、やがて怒号の渦に無数の悲鳴が混ざった。
「放て放て! 合図を待つな!! あるだけぶつけろ!!」
「ルキナ様! 敵の中に馬に乗った連中が……! こちらへ来ます!!」
「ルキナ様!!」
ケウレネスの報告に顔を引きつらせるルキナに、さらに誰かが後方から声をかけた。
振り向けば、石畳の道を四匹のドゥーが駆けて来る。
鞍に乗っているのはドゥーの調教師達と、魔術管理院の管理官達だった。
目の前で急停止するドゥーから転げ落ちるように降り立つ老婆に、ルキナが手を貸しながら歓声に近い声を上げる。
「ロドマリア! 来たか! 丘の下に冒険者達と馬が迫っている! じきに攻め込まれそうだ!」
「ルキナ様! 王女の名において我々に魔術の使用許可を!」
ドゥーの背から次々と降りて来る魔術管理官達へ、ルキナは迷うことなく「許す! 敵を退けよ!」と命じた。
彼女らに何ができるのかは分からない。だが管理官達には投石器に変わる攻撃手段を求めて使者を送ったのだ。
老婆ロドマリアを先頭に、ローブをまとった七名の女達が石壁の梯子をよじ登り始める。「危ないぞ!」と声を上げる弓兵の肩にしがみつきながら、ロドマリアが低い声で言った。
「死にたくなかったら黙って手をお貸し! 矢をつがえて引き絞りな! 良いと言うまで射つんじゃないよ!」
「弓兵! ロドマリア達の指示に従え!」
ルキナの声に、弓兵達は前方を睨みながら「御意!」と声を返した。
弓を引き絞る弓兵達の手に指をそえながら、ロドマリア達が各々の懐から小袋を取り出し、矢に中身を振りかける。
「十年祈りを捧げたモルグの石像を砕いて粉にした、最高級の魔術媒体『竜の砂』さ。コフィン王家お抱えの魔術管理官の秘術、とくと見るが良い」
「早くしてくれ! 馬乗りがやって来る!」
「焦るんじゃないよ! ……大空にすまう天の竜! 古よりの翼の下、そなたの民たる我と我の魂に魔の刃を授けたまえ!」
ロドマリアと管理官達が呪文を唱えると、砂をふりかけられた矢が緑色に輝き始める。「馬の前の地面を狙いな」と命じるロドマリアに、弓兵達は言葉通りに狙いをつけた。
「空に風を、地に力を! 守護竜よ与えたまえ!! ……今だ! 射ちなあッ!!」
魔力の輝きをおびた矢が一際高い悲鳴を上げ、間近まで迫った馬の群の足元に突き刺さった。




