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七十二話 『うつむく魔王・後編』

 襲い来る敵に対して、ダストは地を見つめたまま動かない。


 ぶつぶつと低く口中につぶやきを落とす魔王に、まずは先ほどの大鎌を持った冒険者が再度攻撃を仕掛ける。


 翼を広げた天使が彫られた刃が、風を切ってのど元に迫る。ダストは動かない。


「危ねえ!! 上だッ!!」


 別の冒険者が、突如声を上げた。鎌使いの冒険者が視線を上げると、人々の頭上を跳び越えて、鹿の影が炎を噴きながら飛来する。


 あわてて鎌を振りきろうとした冒険者の顔面に、鹿の頭蓋骨が一瞬早くぶち当たった。


 砕ける臼歯が冒険者の顔中に突き刺さり、そのまま勢いに押し倒される。


「くそっ、またか!!」


 魔物に二度も攻撃を邪魔された冒険者が、鹿の触れぬ体を蹴りつけながら毒づく。


 続いて魔王に迫ろうとした数人の冒険者が、包囲の外から響く耳障りな咆哮にとっさに背を返した。


 生き残っていた数匹の魔物達が、青白い炎を撒き散らしながら戦いの場へ向かって来る。


 勇者マキトが、戦斧を片手で持ち上げながら叫んだ。


「臆するなよ! 恐ろしげな見た目はこけおどしだ! 炎は熱を持たず影の体は現世に干渉できない! 頭蓋骨を砕けば簡単に倒せる!」


「簡単にって……!」


 まるで船のかいのような平たい剣を振るう冒険者が、刃を異常な身のこなしですり抜ける犬の影に足を噛まれ、転倒した。


 彼を助けようと別の冒険者が槍を突き出すが、犬の影が食らいついた足を身を捻って持ち上げ、刃先を敵のふくらはぎで防ぐ。


 味方を刺してしまった冒険者がほとばしる悲鳴に身を硬直させた一瞬の隙をつき、地面を這っていた蛇の影が靴からズボンの中へ滑り込んだ。


 悲鳴と狂乱、主人を守るために集結した魔物達が、冒険者達の間を駆け回り、飛び回り、混戦状態になる。


 その様子を少し離れた場所で見ていたマキトが、うろたえるレオサンドラの横であごに手をやり、ダストへ視線を送る。


 周囲を舞う刃や鈍器が髪や外套をかすめても、ダストはひたすらうつむいたまま微動だにしない。


 地面を見つめ、ずっとぶつぶつとつぶやきを落とし続けている。


 マキトが、ややあって、ゆっくりと口角をつり上げた。


 無防備に、まっすぐに魔王に向かって歩き出すマキトに、レオサンドラがとっさに声を向ける。


「よせマキト! 危険だ!」


「馬鹿なこと言わないでくださいよ。不死身の勇者に向かって」


「魔王の魔術は神をも狂わせたんだぞ! お前の不死身の力は神の力の片鱗だ! よりたやすく手玉に取られるかも知れん……マキトッ!」


 レオサンドラの忠告を無視して、マキトは混戦の渦中に踏み込んで行く。


 殺し合う冒険者と魔物達の中を、戦斧を頭上に掲げ、まっすぐに魔王だけを睨んで進む勇者。


 途中犬の頭蓋骨を手斧で叩き割った冒険者がマキトに手柄を報告したが、マキトはひらりと片手を振るだけで視線も向けない。


 魔物に勝利した冒険者は不満そうな顔をしたまま、横から飛びかかって来た別の魔物にわき腹に食らいつかれ、悲鳴を上げる。


 地獄の光景。だが数では冒険者側が圧倒的に優勢だ。


 屍が動き、炎を噴き上げて襲って来る衝撃と恐怖に慣れれば、放っておいても冒険者達は魔物を殲滅せんめつするだろう。


 マキトはダストの眼前まで来ると、掲げていた戦斧をゆっくりと下ろした。


 うつむいている顔を覗き込むように腰を折り、それから、ごくごく小さな声で笑いながら、歯を見せた。


「やっぱりね。そうじゃないかと、思ってたんだ」


「……」


「きついんだろ? あんたが蝿にした血液は、モルグが持って行っちゃったからね。血が、足りないんだろ」


 ダストの顔はわずかに青ざめ、瞳孔どうこうが開きかけていた。


 その手の傷が乾き、砂のようなかさぶたに覆われているのを眺めながら、マキトは鼻を鳴らし、背後から向かって来たミミズクの頭蓋骨を片手でつかまえた。


 耳障りな声で鳴き暴れるミミズク。その骨にひびが入り、一瞬にして握り潰された。


 ぎ、ぎ、とガラスを引っかくような音を立て、ミミズクの影が四散し、青白い火の粉が骨片と共に地面に落ちる。


 うつむいていたダストが、ほんの少し顔を上げ、マキトを血走った目で睨んだ。


「不死の力がなければ、とっくにくたばっているカスが……いい気になるなよ」


「負け惜しみか、まだ奥の手が残っているのか、判断に困る台詞だね。このまま手足を切り飛ばしてやってもいいけど……ユークには捕らえろと言われてる、し」


 マキトが、不意ににっこりと満面の笑みを浮かべた。瞬間戦斧の柄が風を切り、ダストのあばらに叩き込まれる。


 息を詰まらせたダストが、そのまま地面になぎ倒された。


 魔物達の何匹かがその様子に反応し、マキトへ狙いを変えて向かって来る。


 やめろ、とダストがうめく間もなく、マキトの戦斧が舞い、刃と柄で魔物達の頭蓋骨を砕く。


 唯一鹿の影がマキトの首筋に残った臼歯で食らいついたが、皮膚を破った瞬間飛び出した赤い蛇に眉間を貫かれ、ぼろぼろと崩れ落ちる。


 口端から血の筋を流すマキトが、ダストを見下ろしながら高い声で笑った。


「ほら、ほらほら! 早いとこ次の手を打ってこいよ! チンケな魔物はじきに全滅するよ! また新しい魔術を使うのかな? それともあの上空にいるモルグをけしかけてくるのかな?

 いいよ、やってみろよ、魔王や悪竜を倒すのは勇者と昔から決まってるんだ! 僕の役目さ!」


「……命を失う危険を冒さないくせに……何が『勇気ある者』だ……!」


 地面に手をつきあえぐダスト。


 マキトの笑顔が瞬時に掻き消え、頬のあたりにひとすじのしわが寄った。


「――僕の称号を否定するつもりかい? よせよ、殺したくなるだろ。僕の尊厳を侵すんじゃないよ」


「笑わせる。勇者などという二つ名は、本来自分で名乗るようなものじゃない。勇気ある人それ自体は世界中に無数にいる……

 その中で、数多の人類の中で、傷つくことを失うことを恐れず死を賭して戦い続けた英雄を、他者が心からの賞賛を込めて呼ぶ名が『勇者』だ」


 死を受け入れぬ者が自らを勇者と呼ぶなど、不遜滑稽ふそんこっけい極まりない。


 吐き捨てるように言うダストに、マキトはしばらくぽかんとした表情で口を半開きにしていた。


 残り数匹の魔物をすり抜け、マキトに加勢しようと駆けつけて来る冒険者達。


 彼らの前で、マキトの顔肉が震え、浮き上がった血管が顔中を這っていく。


「やっぱり……! やっぱりお前さあ……!」


 戦斧を握り、振り上げるマキトに、ダストが懐に右手を入れ、立ち上がろうとした。


「――やっぱり、死んどけよッ! 虫けら野郎ッ!!」


 ごう、と、戦斧がまっすぐにダストの顔に振り下ろされた。









「……もう、間に合わないかもしれないねぇ」


 ラヤケルスの石室。石碑にもたれた遺物ことアドが、あくびをしながらアッシュを見下ろした。


 アッシュは持ち込んだ生活用具のフォークで足元に文字を刻み、ダストの呪文を必死に思い出し、完成させようとしている。


 がりがりとフォークを鳴らしながらうんうんうなる彼女の尻を軽く蹴りつつ、アドが天井を見上げ、ため息をつく。


「ダスト、負けちゃったかなあ。スノーバに牙を剥いたら殺されるか、最悪捕まって生きながらの拷問よね。皮をはがれて、血をゆーっくり抜かれて」


「ちょっと黙っててッ!!」


 涙声で怒鳴るアッシュに、アドが硬いまぶたをぱちりと鳴らす。


「地に眠る深き星の火の心臓……黒く踊る…………じゃなくて…………燃える……でもなくて……えぇと」


「……もしだけどさ、呪文を思い出して、地上に出て行った時、もうダストが死んじゃってたら……アッシュちゃん、どうする?」


「……黒く……燃……燃……」


「この国のために、スノーバと戦ってみる? それともやっぱり国境の外に逃げる? ねえってば」


「ダストが自力で勝つかも知れないでしょ……」


 アッシュがフォークを握り締め、アドを髪の間から睨んだ。


 腕を組むアドに、目をこすりながら喉を鳴らす。


「絶対、絶対ダストと生きてまた会うんだから。絶対……このままさよならなんて、認めないもん」


「認めないって……」


「お願いだから集中させて。絶対呪文思い出すから。間に合わせてみせるから」


 ぐっと唇を噛み、再びフォークを動かし始めるアッシュに、アドは肩をすくめ……それでもそれ以上口を利きはせず、黙って作業を見守り始めた。









 宙を舞う短剣が、マキトの背にまともに突き刺さった。


 振り下ろしかけた戦斧から左手が離れ、刃がダストの左の地面をえぐる。


 マキトと、冒険者達の動きが止まり、誰もが短剣の飛来して来た方角へ視線を向けていた。


「愚か者……」


 つぶやくマキトの瞳に、広場へ突入してくる、コフィンの男達の一団が映った。


 短剣を、幅広の剣を、逃げ出した冒険者達が落として行ったと思われる装飾過多の武器を振りかざし、ガロルを先頭にコフィン王家の戦士兵士、騎士達が咆哮を上げる。


「――――愚か者どもがあぁあああああッ!!」


 ほとばしるマキトの怒りをものともせず、コフィン人達の刃が、スノーバ人達の群に、斬り込んだ。

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