七十話 『復活』
広場に降り注ぐ光の粒子が、吹雪のように荒れ狂った。
青空に君臨する太陽の光よりも、さらにまぶしく輝く力の渦が王都から闇を駆逐する。
人々の視界を埋め尽くす光。ダスト以外の誰もが目をきつく閉じ、身を屈める。
王都の全てのラヤケルスの環が、巨大な金属を引き裂くような音を立てて『鳴いた』。
暴力的な光と音に視覚と聴覚を奪われかけた人々の上に、不意に、何かの気配が現れる。
光の中に、巨大な影が生まれた。生き物の息づかいと、滴り落ちる血液の音が広場に響く。
瞬間、光が、突如おさまった。
正確には目を焼き潰さんばかりの青白い光が消え、陽光だけが残った。
最初に目を開いたのは、ユークだった。彼は本を掲げたままのダストを見、次いで、その視線をたどる。
魔王が見つめる先……モルグの首があった場所には、青白い半透明の、巨大なかぎ爪つきの足があった。
「……ばっ……」
ユークが視線を上げると、その瞳にさらに巨大な竜の胴体と、翼が映る。半透明の体はその重量でわずかに土に沈み込み、陽光をいくぶんかさえぎって、地面に影を作っていた。
それは現れた竜の体が幻ではない、現実世界に干渉する物体であることを示している。
青白い体の頂上に載った腐れかけた竜の首が、血の霧を歯の間からもらし、ユーク達を見下ろしていた。
「馬鹿な! モルグの胴体は草原に打ち捨ててある! ならばこの透明の肉体は……!? か、影で作ったまやかしではない……!」
顔を引きつらせるユークに、ダストがうつむきながら、低く声を放つ。
「魔術の効果……自然の理、森羅万象を歪める力を増強するラヤケルスの環……それをこれほどの規模で使ったことは、今までなかった……」
「ラヤケルス……!?」
「死者の魂を呼び戻し、再び生を与える……俺達魔王が追い求めたたった一つの魔術の効果……それを、無数の魔法円がひたすら、極限まで再現しようとした結果が……」
モルグの翼が、どぉん、と空気を震撼させながら広げられた。巻き起こる風、霧雨のように舞う血しぶき。
身構える人間達の目の前で、モルグが地面に向けて、翼を振り下ろす。
「……おそらくは……『魂の実体化』」
爆発音のような轟音。土がえぐれるほどの、暴風。
吹き飛ばされ、転倒するダストとユーク。冒険者達の何人かは塀や石壇に叩きつけられ、マリエラやマキト達も立っていられずに足元に身を伏せた。
ピーク時よりはおとなしい、静かな輝きにおさまった魔法円の光の柱を、上空に飛び上がったモルグの体が貫く。
大気を揺るがす咆哮。上空の太陽へ向かって飛んでゆく竜に、マリエラが伏せたまま怒りに満ちた叫び声を上げた。
「魂だと!? 魔術はこの世に存在するものしか操れない! 命尽きた者の魂を呼び戻し、実体化させるなど……!」
「生き物の意志や感情、記憶を内包する、いわゆる魂……肉体と常に共に在るとされるそれの詳しい所在も、確かな実在の証も不明だ。
命が、死後どこに行くのかも、そもそもどこから現れたのかも、誰も知らない」
ゆっくりと地面に手をつき、身を起こすダストが、深く息をついた。
「分かっているのは、命というものが確かにこの世に存在し、また存在していたという事実だ。肉体や、心……この世の誰もが作り出すことのできない奇跡の産物が、現世には在る。
はるか昔、誰かがこの地上で最初の生き物を創り、肉体を創造し、そこに魂かそれに似たものを入れたのだとしたら……」
立ち上がるダストが、上空を見上げ、小さく笑った。
「魔王の魔術は、その所業に近づくために磨き上げられたのだ。生きた肉体を持たぬ魂が、現世に現れるための筋道を用意する……その筋道が、いかに歪んでいようと、問題ではない」
「……ディファイラー……冒涜者とは、よく言ったものね……!」
マリエラの声に含まれた嫌悪の色を笑いながら、ダストは天を仰ぎ、目を閉じる。
取り落としていたラヤケルスの環が記された本が、いつの間にか光を失って地べたに転がっていた。
王都を囲む光の柱も、じょじょに低く、暗くなっていく。
――風が、吹いた。
その場の誰もが、世界が変わる瞬間を認識できなかった。
青空にはどこから現れたのか、厚い雲が異常な早さで流れ込み、太陽をみるみる隠していく。
上空のモルグが咆哮を上げるたび、世界は暗くなり、灰白色の雲に覆われていく。
……ああ……良い空だ。
唖然とする冒険者達、臭うような殺気を放つ、ユーク達。
彼らの真ん中でつぶやいたダストが、おもむろに顔を隠す国旗の結び目を解き、視線を地上に戻した。
モルグが起こす風が、さらされた素顔をなで、白髪を揺らしていく。
「コフィンは渡さんぞ」
ダストの眼が、刃のように研ぎ澄まされ、勇者の子孫達を睨む。
「我が教え子が、名を刻む国だからな」
――歓声。
そう呼ぶにはあまりに弱々しく、かすれた声だった。
空に雲が戻り、殺人的な太陽を隠し、地上に風が送られてくる。
懐かしい灰白色の空におどるのは、死んだはずの偉大な守護竜の影。
未だ陽光の熱が残る石畳に、家々から住人達が転がり出て来る。
かぶっていた麻布を放り捨て、風に身をさらす男。抱えていた水袋を開け、モルグに雨を催促する女。
屋根の上に登って国旗を振る老人に、言葉にならぬ声を上げて空に拳を突き上げる少年。
ルキナは、路上にあふれる民の衰弱しきった笑顔を一つ残らず目に焼きつけ、周囲の家臣達に口を開いた。
「王としての経験の浅い私にも、今、はっきりと分かることがある」
「……何です?」
訊き返したガロルに、ルキナが目を閉じ、両の拳を握って答える。
「この民の笑顔は、戦後コフィンに初めて芽吹いた希望の花だ。スノーバの呼んだ灼熱の太陽が消え、初めて地表に出てきた。
この花を育て続けることができれば、コフィンはきっと復活できる」
「……」
「逆に、今空を舞うモルグが再び落とされれば……希望は、二度とこの地に芽吹かないだろう。今度こそ何も育たない、絶望の大地と化す」
ぐっと奥歯を噛み、ルキナが目を見開いた。
家臣達を振り向き、「鎧を持て!」と叫んだ。
「草原の冒険者どもが動き出す前に態勢を整える! 王城に封印した剣とドゥーを確保し、魔王ダストの援護と外部の敵の迎撃を二手に分かれて行え! ガロル、投石器はあるか!?」
「スノーバに破壊されましたが、弓矢を用意できます! もしくは魔術管理院に協力を要請すれば代替案があるやも知れません!」
「すぐに人をやれ! それから民の避難だ! 王都内での戦いになるぞ、可能なら草原へ逃がせ! その方がまだ安全だ!」
「ルキナ様! 民間から志願兵を募っても良いでしょうか!? 人手が足りません!」
「……衰弱した者を使うな、意志と体調を確認しろ! おいお前!」
ルキナが、そばにいるドゥーの影に声を向けた。
それまで虚空を見つめていた魔物が、首をねじってルキナを見る。
「何故ダストの元に戻らない? それとも私についてるよう言われたか?」
問うルキナへ、魔物はゆっくりと体を向け、影の中に浮かんだ頭蓋骨を地面すれすれまで下げた。
その仕草は、乗用に調教されたドゥーが人間に鞍を差し出す時のものだ。
ふつうは手綱を引かれて初めて示す行動だが、頭の良い個体は飼い主の様子や服装を見極めて自ら頭を下げる。
どうやら、本当にルキナの手伝いを命じられたらしい。正直どうやって乗ればいいのか分からないので、ルキナはナギを指して「彼女を守れ」と命じてみる。
「ルキナ様! 私などではなく御自身に……」
「お前が戦えない者達と行動を共にすればみんなが守られる。そら、寄って行くぞ。ちゃんと言葉が分かるらしい。そいつを連れて民の避難誘導に加わってくれ」
「うわっ……な、なんで鼻の辺りに湿り気が……!?」
「よし行け! 時間がないぞ、これより我が国からスノーバを叩き出す!!」
最後の戦いだ!
そう告げるルキナに、家臣達は一斉に気合の声を返し、王都の各所へ走り出した。




