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七話 『ラヤケルスの環・前編』

 窓から滅びの景観けいかんを眺めるルキナの背後で、侍女のナギが、狩人ののこした子供に清潔な麻服を着せている。


 簡略化されたデザインのモルグの刺繍ししゅうほどこされた麻服は、ナギの亡き息子のものだ。八歳になったばかりだった彼は、父親にヘラジカ狩りに連れられて行った先で進軍中のスノーバ軍と鉢合はちあわせし、父子ともども帰らぬ身となった。


 コフィンの人々が、当時その存在を認識すらしていなかった帝国スノーバ。

 山脈を越えて突然やって来た彼らは宣戦布告もなしに国境警備隊を虐殺ぎゃくさつし、王都にいたる道で出会う全てを血祭りに上げたのだ。


 緊急事態においてゆうちょうに議論ばかりを繰り返す元老院を見捨てた国王ルガッサが、騎士団と戦士団の一部を王都の防備に当て、残る全兵団を率いて迎撃に向かった。


 何の準備も事前情報もなしに出撃したコフィン人達はよく戦ったが、敵軍の背後から突如とつじょ出現した巨大な神に、対応できるはずもなかった。


 初戦で国王を殺されたコフィンは、混乱のままに降伏を選ぶ。


 元老院が王都に進軍する敵に使者を送った時、スノーバの将軍は待ってましたとばかりに使者を歓待かんたいし、降伏を受け入れたのだ。


 部屋の扉に背を預けていたガロルが、うつむいている子供の熟した麦の色をした髪を眺めながら、口を開いた。


「この子は、かつてのセパルカ戦役の戦災孤児のようです。赤ん坊の時分に狩人に拾われ、以降ティオリネの森で暮らしてきたとか」


「……そうなのか?」


 ルキナが首を曲げて問うと、子供はうつむいたまま、こくりとうなずいた。


 ルキナは窓際を離れ、革でできた靴をじっと見つめている子供の前にひざをつく。


「狩人は、どんな人だった? 母親代わりだったんだろう?」


「……」


「ルキナ様、今は……」


 ナギが、育ての親を亡くしたばかりの子供の肩にそっと手を置く。


 そうか、そうだな、と息をついたルキナが、しかし再び立ち上がろうとした時、その指を小さな手がつかんだ。


 顔を上げる子供が、大きな目にルキナの顔を映しながら、か細い声で言った。


「おひめさま、おねがいがあります」


「む……何だ?」


 子供にお姫様と言われ、わずかにとまどいながらルキナが問う。


 小さな男の子は、大人三人の視線を受けながら、先ほどまでルキナが眺めていた窓の外を指さした。


「狩人の弓は、あのまま置いといてほしいんです。それで、ぼくがおとなになったら、もって行くおゆるしをいただきたいんです」


「……」


「おねがいします」


 狩人は、森の中の日々にあって、この子供をしっかりと教え育てていたらしい。なんとも立派な紳士しんしぶりではないか。堂々とした物言いに、ルキナも「分かった、許そう」と返す。


 それは彼が大人になるまでに、スノーバを国内から追い出し、コフィンを再興さいこうするという約束でもあった。


 英雄達の遺物は、スノーバがコフィンの心をくじくためにさらしているのだ。それをルキナ達自身の手で取り払う時があるとするなら、それはコフィンが再生する時以外にありえない。


 ルキナは自分の手を取っている指に逆の手を重ねながら、可能な限り優しい声で訊いた。


「あの弓に飾られているうろこは、本当にモルグのものなのか? 狩人がいで、持ち帰ったと聞いたが」


「はい。狩人がモルグに矢をって、その時にはがれたんです」


 目を丸くするルキナよりも早く、ガロルが扉から背を離して「射っただと?」と声を上げた。


「空を舞うモルグに矢を当てたとでも言うのか? かの守護神は雲の間にしか姿を現さない、遠目にしか見た者のいない幻のような存在なんだぞ」


「巣があったんです」


 モルグの、巣。

 絶句する大人達の前で、子供は自分の手を温めているルキナの両手に目を落としながら、続ける。


「くらい、光のない夜に、嵐にまぎれて森のなかに降りてきて、羽をやすめるんです。それで一時間くらいねむって、またとんでいくの。森のおくの、底なし沼にかこまれた浮き島がモルグの巣でした……でも、たぶんもうもどってこないと思う。まわりの木が全部焼けちゃったから」


「冗談だろう。国の守護神がそんな……森の中で獣と一緒に眠っていたというのか? 我々は何百年も、モルグは空の向こうにのみ存在する伝説だと信じていたのに……」


 狼狽ろうばいするガロルに、ルキナが目を細めながら「いや」と首を振った。


「伝説を伝説たらしめるのは、それを伝え崇拝する人間だ。我々はモルグを神格化しんかくかし、手の届かない偉大なものだと考え、ハナから近づこうとは思わなかった。

 こう言っては何だが、狩人はコフィン人の信仰からは離れた人物だったようだな。国境の森に堂々と隠れ住むきもを持ち、モルグへの畏敬いけいの念がないからこそ、かの竜の実態を知ることができたのだろう」


「不信心ゆえに守護神に近づけたとは、何と皮肉な……そしてモルグに挑み、鱗を剥いだと……」


「狩人は、自分はもとはよその港町で売られていた、どれいだったと言ってました。自分を買ったしゅじんの隙を見て、逃げてきたって……モルグのことですけど、矢が刺さったら、びっくりして飛んで行っちゃったって言ってました。くらかったから誰にさされたのか分からなかったんだろうって。

 あんまりあっちこっち転がってねぼけながら逃げるもんだから、なんだか気の毒になって、狩人もそれからモルグをねらうのはやめたって」


 ガロルが、額に手を当ててふらっと体を揺らした。


 近づくことすらおそれ多い信仰の対象のそんな話を聞かされれば、無理もなかった。


 だがルキナは子供の目の奥をじっと見つめ、やがて有無を言わせぬ強い口調で言った。


「この話、我々以外にはけして聞かせてはならぬ。お前の名は何という?」


「『チビ』です。狩人はずっとそう呼んでました」


 横から「そんな、犬じゃないのだから」と口をはさむナギに、チビは首を振って「チビです」と、二度同じ答えを重ねる。


 ルキナは分かったとうなずきながら、チビの肩に手を載せ、ガロルとナギに緊張した表情を向けて言った。


「お前達もチビの話は他言するな。まかり間違ってスノーバの将軍の耳に入れば、子供の作り話では済まなくなるぞ」


「ルキナ様? それはどういう……」


 困惑こんわくするナギに、ガロルが「そうか」とはっとした表情で視線と言葉を向ける。


「将軍はコフィンの希望を一掃しようとしているんだ。国王、フクロウの騎士、狩人を殺し、いずれはルキナ様も自分の前にひざまずかせようとしている。王家と英雄を片付けたなら、民に残る精神的支柱はあと一つしかない」


「まさか……モルグを!?」


 叫んでから口をふさぐナギに、ルキナが眉間にしわをよせてうなずいた。


「モルグが空のかなたにしかいない、得体の知れない存在と思っている内は、いかに翼を持つ神を操る将軍達でも容易には手を出せまい。だが相手が地に降り立って眠ると分かれば、兵を総動員して寝場所を探り当てる。

 ……国の守護神が殺されたなら、コフィンの民を襲う衝撃は国王やフクロウの騎士の時の比ではないぞ。真の絶望が国を支配する」


「想像もできない……! モルグが、殺される? コフィンの雨をつかさどる竜神が死んだら、いったいこの地はどうなるんだ……?」


 ガロルの言葉に答えを返す者はいなかった。


 しんと静まり返る室内で、ルキナが唾を飲み込む音だけが、異様に大きく響いた。






「まる、まる、まるまる、まる……まる」


「太った虫でもはさまってたのか」


 本のページから顔を上げたアッシュは、一瞬きょとんとしてから「違うもん!」と背後を振り返った。


 灰色の羽で作ったはたき・・・で戸棚のほこりを払いながら、ダストが兜をかぶったアッシュに横目を向ける。


「掃除の途中で立ち読みとはけしからん」


「立ち読みじゃなくて立ち見。書いてある字はちんぷんかんぷんだわ。私、いちおうコフィン文字は勉強してきたのに」


 そう言ってアッシュが本を持ち上げ、立ち見・・・していたページをダストに向ける。


 薄く黄ばんだ紙に細い字が並ぶページには、真円しんえん、完全な『まる』だけで構成された奇妙な図形が記されていた。


 まるでくさりのように重なり連なった円が、螺旋らせんを描きながら別の鎖とからまり、一すじの流れとなって、さらに巨大な円を作っている。


 円で作られた円。中央に線を引けば、その図形は完全な左右対称となる。


 ダストは羽のはたきで図形を示すと、「ラヤケルスのだ」と首を傾ける。


「その本は現代コフィン文字じゃ歯が立たんよ。そこに並んでいるのは古代コフィン文字だ。今から千年以上も前の人間が遺した碑文ひぶんの写しだよ」


「待って、何の環って? ヤラレカラス?」


「なんだその気の毒なカラスは。ラヤケルスだ。冒涜者ぼうとくしゃラヤケルス。またの名を――魔王ラヤケルス」


 魔王。その単語を聞いた瞬間、アッシュの目にひときわ強い好奇の光が宿った。


「魔王って、人に災いをもたらす魔物の王って意味の、魔王? でもそのラヤケルスは人間だったのよね?」


「一説には巨大な体躯たいくの、三本の角を持つ恐ろしい魔物だったと言われ、また一説にはただのみすぼらしい老人だったとも言われる」


「全然違うじゃない。本当はどっちなの?」


「知りたいか? さすが冒険者、好奇心旺盛おうせいだ。だが知識はタダで手に入るとは限らん」


 ダストが、戸棚のわきに置いてあった輝くつぼをアッシュにほうった。


 あわてて受け止めようとするアッシュが、両手の上で何度かお手玉する。

 全体が鏡のように景色を反射させる金属でできている、変わった壷だった。


「その壷をピカピカにみがいてもらおうか。終わったら別の壷だ。部屋の中に十三個あるから、カウントしながらやるように」


「す、すでにピカピカなんですけど」


「磨けばもっとピカピカになる。居候いそうろうするなら、家主の役に立て。完璧な仕事をすれば食事も出してやるし、魔王の話も聞かせてやるよ」


 逆に言えば、いい加減に磨いたら飯を抜くということだ。


 アッシュは投げつけられる布を受け取り、あわてて壷を床に置いて磨き出した。ダストはそのままはたきで部屋中の埃を落としにかかる。


 そうしてアッシュが壷を磨いては探し磨いては探しを繰り返す内に、埃はき集められ、ゴミは専用の穴に埋められ、時間が経ってゆく。


 ふと、アッシュが七つ目の壷を手に取りながら、再びダストに口を開いた。


「ねえ、今更なんだけどね」


「ん?」


「なんで私を家に置いてくれるの?」


 ダストは家の最奥、板戸で仕切られた用を足す為のスペースを掃除しながら小さくほほえむ。


 唯一地面がむき出しになったそこには穴が空いており、ダストの腕がすっぽり入るほどの深さがある。


 穴は底につくと手前にL字に曲がっており、袋小路ふくろこうじになった奥にはが住んでいた。


 コフィン式の便所には必ず飼われている虫で、人や動物の排泄物はいせつぶつを分解して生きている、益虫えきちゅうだ。


 その外見は黄色く輝く羽を持ったちょうのような昆虫で、口には口吻こうふんの他に強靭きょうじんなあごがある。


 この虫は暗く湿しめった場所を好み、人や動物に直接近づくことを嫌う。ゆえに便所の穴の奥に羽を濡らさないための止まり木となる植物をえ、そこに幼虫か卵を放してやれば、一生便所の掃除役をになってくれるのだ。


 その仕事ぶりは見事なもので、五匹もいれば家庭に年中清潔な排泄用の空間を提供してくれる。留意すべきことは長い間留守にすると腹を減らして野に帰ってしまうこと、そして天敵の鳥類を間違っても家に入れないことだ。


 ダストは長年の経験から、止まり木を香りの強い香草にすることでさらに快適な便所を演出しており……


「もしもし?」


 顔を覗き込んで来るアッシュに、ダストは我に返って尻を拭くための柔らかい木の葉のたばを隅に置き、板戸を閉めた。木の葉も香草系で、さわやかな果実に近いにおいがする。


「すまない、聞いてなかった」


「もう! 何で私を家に置いてくれるのって訊いたのよ!」


「何でって、なりゆきだよ。行く所がないんだろ」


 ダストは便所わきに置いておいたはたきを取り上げ、ぱたぱたとアッシュの兜をはたく。


 彼女ははたきを腕で防ぎながら「そうじゃなくて」と、怒ったような口調で言った。


「面倒ごとを持ち込んだ私になんで優しくしてくれるのって話よ。だって、私に関わったせいであなたはあやうく誘拐ゆうかいされるところだったし、冒険者を三人も……その、やっつけなきゃならなくなったんだし」


「あの三人の性根が腐ってたのが君のせいだと言うのなら問題だがね。別に、お互い悪人どもにからまれたと言うだけのことじゃないか。君を恨んでやしないよ、安心しなさい」


「……でも、私も、悪いヤツかもしれないし」


 首をかしげるダストを見上げるようにして、アッシュは兜の奥の目をくりっと転がす。


「見ず知らずの人間を家にめて、何かされるとは考えなかったの? たとえば朝起きたら、金目のものがごっそりなくなっちゃってたりとかさ」


「うちには金目の物なんかないし、君ごとき小娘の人柄ひとがらを見抜けんほど俺はおさなくない」


 「どういう意味よ!」と食ってかかるアッシュのあごを、ダストは意味ありげな手つきでつかんだ。兜の鉄とわずかに汗ばんだ皮膚が指に当たる。


「君こそ、何故いかにもあやしげな俺の家に素直にやっかいになっている? 若い女が一人暮らしの男と同居して、間違いでもあったらどうするんだ。大草原の真ん中では、君の悲鳴は誰にも届かないのに」


 目を見開くアッシュが、次の瞬間いきなり大きなくしゃみをした。


 あっけにとられて指を離すダストの前で、兜をぬぎ、壷を拭くための布で内部をぬぐう。


「……私、そういういやらしい話されるとくしゃみが出るの。鼻の奥がむずむずして」


「鼻の粘膜ねんまくが弱いんじゃないか。つまり鼻の穴が広がるとくしゃみが出る」


前途多難ぜんとたなん過ぎて想像もしなかったわ。モルグが見つかるまで屋根を貸してくれる人なんてこの先絶対現れないと思ったら、他のことはどうでもよかったって言うか……それに、ダストは一応、その、命の恩人だし……」


 だし、何だと言うのだ。

 ダストの視線を受けて、アッシュは上目づかいに、少しばかりいたずらっぽく笑ってみせる。


「ダストって、見るからに男らしくないからそういう『怖さ』がないのよね。何だか女友達の家に泊まってるみたいな気がしてさ」


「またか。君は俺を女性の知人にたとえるのが好きだな。世の女性は女々めめしい男は嫌いだと思ってた」


「女性っぽいことと女々しいことって微妙に意味合いが違う気がするけどなあ。でも、そっか……初対面の私のこと、良いやつだって思ってくれたんだ」


「違う。大それたことができそうもない、弱そうなやつだと思ったんだ」


 不意にアッシュがダストの白髪をくいっと引っ張った。「何だ、やるのか?」と全くやる気のない顔で言うダストに、アッシュはじっと手にした髪先を見つめる。


「……埃がついてる」


「何」


「食事の時も気になったんだけど、髪の先で色んな物なでちゃってるんだよ。伸ばすならちゃんとたばねないと」


「好きで伸ばしてるわけじゃない。ただ、切ったらそのまま抜けてしまいそうな気がしてな」


「何それ? ……ねえ、壷磨きより役に立てること、あるんだけどな」


 にっと笑うアッシュが、自身の肩先までの黒髪を示した。

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