六十六話 『灰と遺物 後編』
小さく口を開けて絶句する相手の前で、少女が人さし指を振りながら口をとがらせる。
「でもさ、他のダストの下僕達……動物の骨と影で作られた使い魔達が、明確な命令を与えられていない時には好き勝手に動き回れるようにさ、私も受けた命令を逸脱しない範囲では喋ったり動いたりできるんだよ。
心まで支配されてるわけじゃないっていうか。だから時々『うぶ毛』を伸ばして外の光や雪を感じたりもするし。あと、最初に会った時にあんたの足つかんだのも私の意志。血液たらしてきたから、ひょっとして私の支配権奪おうとしてんのかなーって思ってさ。
どんな奴だろうって捕まえてみたの。でも泣きわめくだけで全然呪文言ってくれないからさあ」
「ちょ、ちょっと!」
ほうっておけばいつまでも喋り続けかねない少女の台詞に、アッシュが手をかざして割り込む。
無防備に近づき、青くなりかけた顔で訊いた。
「ダストが戻らなかったら私を放り出すって……どういうこと?」
「そのままの意味じゃない。ダストがスノーバの勇者に殺されちゃったら、いずれここにスノーバの手が伸びるでしょ」
「私そんなの聞いてない! 必ず勝ってくるって言ってたのに……!」
少女が、アッシュを見上げてにこっと笑った。「ずるいよねえ」とつぶやくように言い、針金のような髪を指先でいじる。
「男の人って、ふだんは正直でも最後の最後で嘘つきになるんだよね。お父さん……ラヤケルスもさ、勇者ヒルノアに追われてこの国を出て行く時、確かに『大丈夫だ』って言ったのに、全然大丈夫じゃなくてさ。勝手に死んじゃって、いなくなっちゃって……」
でも、と、なめらかな一糸まとわぬ人骨の体を揺らして、少女が瞳のない目を細める。
「アッシュちゃんの場合は仕方ないよね。ダストが絶対戦いに勝つって約束しときながら、こっそり私に負けた時のことを頼んどいたのは、常識として当然の行為だよね」
「常識って……!」
「絶対勝つ、って誓ったらさ。勝てるの?」
首を傾げる少女が、笑みを消して言った。「なんで?」と続ける彼女に、アッシュが口をつぐむ。
「神様にお願いしたら、殺し合いの結果を左右できるの? 祈りを捧げたら、人の生き死にを操作できるの? ……ねえ?」
「……それは……」
「誓いと祈りで勝利を手にすることができるならさ、みぃんな同じことをしてるよねぇ」
少女が、アッシュの顔に手を伸ばす。やわらかい皮膚を楽しげになでながら、少女の両目が、青白い炎となって燃え上がる。
「『思い』で人が救えりゃ、誰も苦労しねえよ。ばぁーか」
アッシュの喉が、妙な音を立てた。少女の手をつかみ、ぎっ、と睨み返す。
「そんなこと、分かってるもん」
「分かってないね。ダストは自分がしくじった時のことをちゃんと考えたよ。全力で戦って、それでもダメだった時のことを冷静に想定したよ。
あんたはがむしゃらに祈って奇跡を願ってただけじゃない」
「私は役立たずだもの!」
叫んだアッシュが、少女の手を押しのけ、勢いあまって地面にひざをついた。
腕を抱きながら、しゃくり上げそうになる喉を押さえ、呼吸を整える。
「一緒に戦えないんだよ……弱いから、剣も魔術も、使えないから……足手まといになるって、ダストも言ってた……」
少女を見上げ、ぐ、と唾を呑み込む。
「何もできない、何もしてあげられない! だから無意味かもしれなくても信じて祈ってた! ダストは、それだけで強くなれるって言ってくれた!
……彼がくれた役目をこなしてるの……馬鹿みたいに……!」
「――後悔するよ」
少女が、両目を再び静かな湖面のような色に戻しながら、言った。
とす、とその場に座り込むと、あぐらをかいてアッシュにもう一度声を放つ。
「絶対後悔する。あの時、祈り以外の行動を起こしておけばよかったって、一人ぼっちになってから思うんだよ。祈りの効果なんて、物事が上手くいった時にしか感じられないんだ。
無事を祈ってた人が死んじゃったら……何もしなかったのと、同じになっちゃうんだよ」
「……」
「やめてよ。この穴倉の中で、祈りを後悔して泣かないでよ。私と同じことしないでよ。
そんなの見せられるの、たまったもんじゃないんだから」
アッシュが、少女の言葉に目をしばたかせた。
ぽかんと口を開けるアッシュから目をそらし、何故か少女がすねたような口調で言う。
「ラヤケルスが死んだ時と、同じなんだよ……コフィンの一人目の魔王は、私を石室に残して死の逃避行に出かけた。娘や親しい人々の骨でできた化け物を、ヒルノアに壊されたくなかったから。
私は魔王の無事を祈って、何もしないまま、彼を永遠に失った。それからずーっとここで後悔し続けてる」
「……ラヤケルスが好きだったの?」
「私の人格は彼の娘のを模倣してるんだよ! 肉親同然だよ!」
背骨の尻尾が、激情を表すようにがらがらと音を立てた。
口元に手を当てるアッシュに、少女が地面を見つめながら、声を落とす。
「だからさ……二人目の魔王の戦いで、同じことをしてほしくないんだよ。あんたは私なの。昔の私と同じ立場にいるの。
過去を再現して欲しくない。……それが私が、今更、あんたの前に出てきた理由。ダストともろくに話したことのない私がね」
「…………名前、何だっけ。ほら、最初に教えてくれた、長いの。ラヤケルスの娘の名前だっけ?」
少女が、一度口にした名前をもう一度繰り返す。
アド・ラド・ウェンティコ・カムクルクス。
アッシュは静かに繰り返してから「アドって呼んでいい?」と問う。少女は一度首をひねってから、あいまいにうなずいた。
自らを失敗作と呼ぶ彼女には、ラヤケルスの本物の娘への、負い目のような感情があるらしい。
アッシュは少女を、遺物を、人の名前で呼んだ。
「アド、私、あんまり頭よくないの。魔術のことも、戦争のことも詳しくない。
ダストの足手まといにならずに彼を助ける方法……正直、全然思いつかないし……ダストがどうやってスノーバを倒そうとしているのかも、分かってないんだ」
「ダストが私……遺物を戦いの場に連れて行かなかったのなら、きっと力押し以外の方法で攻めるんだと思う。
具体的な方法は私も分からないけど、でも……本当に命が危ない時に、私が現場にいて邪魔になるなんてことはないと思う」
「アドはダストを助けに行きたいの?」
「それにはダストの命令が邪魔。夜まで待ってあんたを逃がすって役目を、更新しなきゃ」
更新? と眉を寄せるアッシュの目の前に、いきなり壁際の巨体から、骨の手が伸びてきた。ぎょっとして尻餅をつきかけるアッシュに、骨の手はひらひらと甲の部分を見せつけてくる。
白い骨の手の甲には、うっすらと赤黒い血痕のようなものがこびりついている。
数秒首を傾げていたアッシュが、はっと思い至ってアドの顔を見る。
「私が祭壇の穴に落とした、お尻の傷の血!」
「御名答。屍を操る魔術には、術者の血液が媒体として必要ってダストが言ってたよね?
この場で私にかかった魔術を解除更新できるのは、つまりあんただけなのよ、アッシュちゃん。
あんたにしかできないことなわけ」
「……でも、魔術って物凄い訓練をしなきゃ使えないって……」
「操られるモノが自ら術者に協力すれば別。魔術は異形のモノ、人ならざるモノにお願いをする技術だよ。初めから相手がお願いを聞こうとしているなら、ちゃんと媒体と呪文さえ揃えれば素人でも再現できるよ」
呪文。
その言葉に、アッシュが頭を抱えて「ああっ……!」とうめいた。
「何だっけ! あれだよね、ダストが前に言ってた……えっと……『黒い星の燃える火』……じゃなくて、『黒い深い星』……あっ、心臓って単語もあったような……!」
「悪いけど、呪文は私が教えるわけにはいかないんだよね。術者の明確な意志を乗せるのが呪文を唱える時の絶対条件だから、私が誘導したら魔術は成功しない」
「うそっ! じゃあ自力であの長い呪文思い出さなきゃいけないの!?」
「祈りを捧げるよりやりがいがあるでしょ? 頑張って、アッシュちゃん。一緒に運命に抗おう!」
ぐっと両手を握るアドの前で、アッシュが「わああ!」とわめきながら、必死に記憶の糸をたぐり始めた。




