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六十話 『軍団(レギオン)』

 明け方。深い海の中と同じ色に染まった夜空を、ミミズクの影が飛ぶ。


 コフィンの王都にはスノーバの旗が立ち、冒険者達の掲げる刃が篝火の光をぎらぎらと反射させ、地を縫う針のようにきらめいている。


 ミミズクは青黒い空に吸い込まれるような火の粉の目を揺らし、王都の様子を一通り見下ろすと、音もなく草原の方へと飛び去って行く。


 死の散在する世界をすり抜け、黒い体で風をかき分け、やがて石の祭壇へと舞い降り、そのまま地底へ続く穴へ潜って行った。


 太陽が出ていない時刻。宝石の反射鏡の前には火がかれ、ゆらめく炎の明かりが洞窟を浮かび上がらせている。


 ミミズクが、砂の溜まった地面に降りることなく、そのまま奥へと向かう。


 やがて石碑と遺物の在る空間へと到達すると、草のベッドの上で横たわるダストのそばへ、降り立った。


 ミミズクの火の粉の右目がぼう、と輝き、ダストの右目がぴくりと震える。


 ゆっくりと閉じていた目を開くダストが、ミミズクの眼窩を軽く指でこすった。


 熱を持たない、この世ならざる火の粉の目がまたたき、ミミズクは天井付近へと羽ばたいて行く。


 ダストは身を起こし、石碑の方へ顔を向けた。壁際の遺物を怖がって石碑の反対側に眠っていたアッシュが、いつの間にか目を開いて、こちらを見ている。


 ミミズクの気配を感じ取ったのか、それとも元々眠りが浅かったのか、草のベッドに横たわったままじっと視線を送ってくる彼女に、ダストは髪をかき上げながら口を開いた。


「コフィンの王都が、スノーバ人達に占拠されている。王城も同様だ」


「行くの?」


「ああ。現地の状況にもよるが……決戦の用意をしていかねばならんだろう」


 アッシュが身を起こし、ダストに寄って来る。「勝算は?」と訊く彼女に、ダストは目を閉じて答える。


「将軍達だけなら殺せる。だが神を滅ぼさねばコフィンは救われない……策はいくつか用意した。あとは、全てをぶつけるのみだ」


「遺物を連れて行くの?」


「いや、遺物は必要ない。仮に神と戦わせても勝てんだろう。君の護衛に残していく」


 アッシュが、わずかに呼吸を乱す気配があった。


 ダストは目を開き、唇を噛んでいるアッシュに強い口調で言う。


「君を守るために、俺が決戦のための戦力を割いたなどと考えるな。初めから遺物に頼るつもりはなかった。力対力では神には勝てない」


「私は、邪魔?」


「ああ、邪魔だ。ついて来ても無意味に傷つくだけだ。三人の冒険者相手に何もできなかった時点で、君に殺し合いのための才能が備わっていないことは分かってる」


「…………おとなしくここにいる方が、ダストが自由に戦えるって分かってる。でも……ただ待ってて、もしあなたが戻って来なかったらって思うと……」


「敵を殲滅し、君も守ると約束した」


「命と引き換えになるんじゃないかって言ってるのよ」


 アッシュはダストの目を見つめ、それから意を決したように、ダストの細い体に抱きついた。


 アッシュの髪は、土と草の匂いがする。彼女が小さく息をつき、消え入りそうな声で、ささやいた。


「自分が冒険者じゃなくて、魔術師だったら良かった。そしたらあなたと一緒に戦って、一緒に命を賭けられたのに」


「……君には向かんよ。こんな業の深い領域は」


「祈ったら届く?」


 アッシュの唇が、耳に触れる。


「神様に、どこかの空の上にいる優しい存在にあなたの無事を祈ったら、願いを聞き届けてくれる? 魔術の勉強も、訓練もしていない、呪文も知らない私の祈りは、少しでも世界を変えられるかな?」


「……」


「保証がなくても、人は神様に祈るよね。どこの国でも、自分の力じゃどうしようもないことに少しでも抵抗したい時……人は、一生懸命祈りを捧げる。運命を変えるために。

 ひょっとしたら、それが魔術の起源だったのかもしれないね」


 アッシュの両手がダストの頭を抱き、白い髪をぎゅっとつかんだ。


「大好きだよ。どんなに傷ついても、ぼろぼろになっても、お願いだから帰って来て。私を迎えに来て。

 祈ってるから。ダストのためだけに、祈ってるからね」


 ダストは、彼女を抱き返すことも、返事をすることもできず、ただその細い肩に顔を埋め、一度だけ、うなずいた。








 罪の多い人生だった。

 憎しみと後悔にまみれた人生だった。


 思えば、純粋に人のために命をかけたことはどれほどあっただろう。


 戦で兵を動かすのも、魔術に手を染めるのも、根底には己個人の都合と感情があった。


 父を傷つけたい、母に贖罪をしたい、自分が楽になりたい。


 突き詰めればそれが最大の動機だった。


 ダストは今、祭壇の穴から地上に立ち、朝陽の下にいる。他のコフィン人達が命を削られている日光にも、正常な生命活動を行っていない体はほとんど反応しない。


 白い肌はいささかも焼けることなく、汗も出なかった。


 草の間から、獣達の影が寄って来る。犬と、鹿と、ミミズクとヤモリ。ネズミと、巨大なドゥーの、動く屍。


 ダストは呪文を唱えながら、外套のポケットからスノーバの国旗を取り出し、顔に装着する。


 ドゥーの影が、青い炎の眼の宿った頭蓋骨を下げ、低く鳴いた。

 そのあごに足をかけ、頭蓋骨に飛び乗る。


 眼窩に左腕を差し込み、体を固定すると、ダストはコフィンの王都の方角を睨んだ。


 低く「行け」と命じると、即座にドゥーと、その他の獣の影が草原を走り始める。


 音もなく、しかし風のように突き進む魔物達。その首魁しゅかいたるダストは、国旗に描かれた狼の眼から世界を射抜くように見る。


「屍よ……魔王の従僕達よ。我々はこれより災厄となる。人を喰らう神と、国を殺す者どもにとっての災厄、悪夢となる」


 無数の頭蓋骨に灯った青い火が、ぼう、と勢いを増して燃え上がる。


 魔術で屍を動かす時に自然と宿るその火は、魔力の奔流ほんりゅうの表れか、それとも屍に残った、魂のなごりか。


 何ものも燃やすことのない幻のような炎は、長く尾を引いて空中に流れる。


「我らは人の時代を、人以外の力で変える。コフィンの正規軍がすべき戦いに、横槍を入れる。我らは外道の群。異形の兵団。

 自覚せよ。我らの名は――」


 燃え上がる炎が渦を巻き、獣達の頭骨の中で炸裂した。


 それまで生前の姿を再現していただけだった屍が、明らかに並の獣以上の速さに加速する。


 炎が、眼窩だけではなく、頭頂や眉間、口の中にも宿った。


 それはさながら青い炎の角、炎の牙だ。


「我らは『魔王軍』……勇者をほふり、神を滅ぼす」


 ダストの声に応えるように魔物達が咆哮を上げ、災厄の軍団は決戦の地へと、一直線に突き進んで行った。

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