五十九話 『問い』
ガロルが駆け寄って来て、ルキナの肩をつかみ無理やり己の背に隠した。
さらにナギに腕をつかまれながら、それでもルキナは話すのをやめない。
「ただし、家臣や民を一人でも傷つければこの話はなしだ。入植者達も連れ帰ってもらう」
「無条件で協力しろと言った。だが、お前が焼印を押すのなら取り巻きどもに用はない」
ユークが回帰の剣を指でいじりながら、ガロルの背の向こうのルキナを馬上から見下ろす。
やがて小さく笑みを浮かべると、「明日だ」と低く告げた。
「明日、この広場に王都のコフィン人どもを集める。老若男女、病人も半死人も全てだ。舞台を設け、王女隷属の儀を大々的に行う。
そうだな……正午がいい。高く上った太陽の下、コフィン王家の威と尊厳を破壊する」
「魔王への連絡方法がある。彼を呼び寄せる」
「いや、余計なことはするな。お前達は油断ならん。明日の儀式の刻限まで、ルキナ王女とその配下の者はコフィン城の玉座の間に監禁する。
冒険者達を城中に配備し、怪しい動きを見せる者は即座に処分する」
首を振って異を唱えようとしたルキナに、ユークは声を張り上げてさらに続けた。
「魔王は我が軍に斥候を潜ませている。ならばわざわざ招待状を送る必要もあるまい。
これ以上妙な小細工はさせん……さあ、とっとと巣に戻れコフィン人ども! 貴様らの王家の歴史も明日で終わりだ!!」
「――何故あのようなことを仰ったのですか……!」
スノーバ人達に占拠された王城の、玉座の間。
陽が落ち、窓から入り込む月明かりだけが視界を確保するそこに、城中のコフィン人達が押し込められている。
閉ざされた大扉の向こうから響いてくる冒険者達の騒ぐ声を聞きながら、ルキナは父王が座っていた玉座のひじ掛けをなで、うつむいた。
「ルキナ様がスノーバに屈服するということは、即ちコフィンが屈服するということです。国を占領されながらも心に抵抗の火を灯していた民草の、最後の希望が王女の戦意だったのです。それを放棄なされるおつもりですか?」
「そもそも、何故魔王……ダストに協力していたことを黙っておられたのです。限られた家臣だけを動かし、魔王の策の手伝いをさせるなど……王城での会議そのものを否定されるような御振る舞いではありませんか」
会議の出席者達の不満の声に、ルキナはそっと振り返って、「すまん」とつぶやいた。
直立する者、壁にもたれる者、疲れ果てて床に座り、寝転ぶ者……王家に仕える人々の視線を一身に受け、ルキナは目を再び床に落とす。
「ダストの件は……みなに相談すべきだった。だが、父上に追放された大罪人である彼の協力を仰ぐとなると……必ず、強く反対する者がいると思った」
「それは……しかし……だからと言って我ら家臣を無視なさるのは……」
「悪かった」
再び謝罪をするルキナに、不満を口にした者達も困惑したように顔を見合わせ、沈黙する。
ナギがルキナに歩み寄り、その肩を抱いて壁際の、衣類やカーテンを積んでこさえたベッドに連れて行く。
腰を下ろさせながら、ナギは「どうなさるのですか」と、ルキナに問う。
「国旗の合図も出せないのでは、ダストが明日の正午までに駆けつける保証はありません。仮に来たとしてもこの状況では、彼にも何ができるか……」
「ガロル、ケウレネス。ダストに頼まれた工作はどこまで進んでいる?」
仮設ベッドに座ったルキナの前に、呼ばれた二人がひざまずいて交互に答える。
「コフィン、スノーバの両都に、ダストに指定された工作を試みましたが……コフィンの王都はともかく、スノーバの都の方は敵地ということもあり、未だ完遂できてはいないかと」
「非常に奇妙な依頼でした。まず間違いなく何らかの魔術の布石でしょうが、兄自身が詳細を話さなかったので何とも言えません。
不完全な工作でも一定の効果が得られるのか、あるいは工作が完遂されない限り使えない魔術なのか……それと、セパルカの使者は無事国境の外へ抜けたとのことです。その際に撃破した敵拠点に、ドゥーと兵士達が身を潜めています」
「伏兵にしても、連絡が取れんのではどうしようもないな。そもそもスノーバと戦って事態が好転するわけでもないし」
わきから一人の貴族が声を上げると、強くうなずきながら別の家臣が口を開く。
「あの神を倒せん以上、スノーバに対してはいかなる武力抵抗もすべきではないのだ。ダストが何を考えているか知らんが、実に余計なことをしてくれたものだ。将軍を挑発してこのような危機的状況を招きおって……」
「逆だ。彼はスノーバがコフィンを完全支配しようとする、限界ぎりぎりの時期まで待って宣戦布告を行ったのだ」
ルキナの声に、家臣達が再び視線を彼女に向ける。
「スノーバの軍団と神に占領されたコフィンが、どこに向かうのかを今までじっと静観していた。神に関する情報が集まるのを、神を攻める隙が見つかるのを、身を潜めてじっと待っていたのだ。
……神を倒せる確固たる方法が分かっていたなら、ダストはその時点で戦いを挑んでいただろう。モルグが殺され、青い空がコフィンを覆う前にな」
「……つまり……ダストは必勝の自信があって将軍や、ルキナ様と接触したわけではないのかもしれないと……?」
たった今ダストに対して余計なことをしてくれたと言った家臣が、不安げな表情でルキナに問い返した。
ルキナはゆっくりとうなずき、一同の顔を見回す。
「みな、既に限界という顔色をしている。青い空と太陽に日々さいなまれる我々コフィン人は、数日もすればその過半数が戦闘不能に陥るだろう。
スノーバに屈服し、水や物資を受け取り、援助を受ければ生き延びることだけはできるかも知れない。だがそこからはじょじょに大地が死に始め、国は崩壊へ一直線に突き進む。
スノーバに依存しなければ生きられなくなる……それ以外の未来を選ぶなら、正に今以外に行動の時はない」
「……ルキナ様、もう一度お訊きします……明日、どうなさるおつもりなのですか」
間近から、じっと顔を見つめてくるナギ。
同じように無言で視線を向けてくる人々に、ルキナは両手の指を組み、上目づかいに、言った。
「正直に……正直に言ってくれ。みんな……私に、どうしてほしい?」
大勢の家臣達が、目を丸くしたり、息を呑んだ。ルキナは目をしきりにまたたかせながら、さらに言う。
「民の前で焼印を押し、将軍に頭を垂れるか? それともあくまで隷属を拒むか? ……ナギとケウレネスを守るために、あんなことを言い出したわけではない。答えを、出す時だと思ったからだ」
「答え……?」
「王家と、国の誇り、尊厳を思うならばスノーバとは徹底的に戦うべきだ。だが……私は民に、命を狙われた。国の未来に絶望し、生存を望む民に刃を向けられたのだ。
ハルバトスは、元老院は、私のやり方では民を救えぬと考えた。スノーバに屈するなら、誇りは消えるが……人が生きることは、できる……」
ルキナが、自分の手を見つめ、ぎゅっと目を閉じた。
「戦うべきか。屈するべきか。今こそ最終的な答えを出さねばならない。
戦うならみなが動ける内に、ダストを援護できる内に牙を剥かねばならぬ。
屈するなら民が生きている内に、スノーバにその気がある内に牙を捨て、慈悲を乞わねばならぬ。
立場も、義務も忘れていい。あらゆる意見を許す。滅亡の可能性を承知で勝機の見えぬ決戦に挑むか、民を、家族を生かすために新たな国の形を受け入れるか……みなの気持ちを、聞きたい」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
断固戦うべきだと顔に書いてある者も、迷いや恐れの表情を浮かべる者もいる。
だがその心情を簡単に言葉にできない空気が、場を満たしていた。
王家の家臣ならば、王女を売るような選択はあり得ない。だが王家は民のためにあり、その王家の現在の主が、民の生存のために敵の手中へ身を投げ出そうとしている。
誰もが上げる言葉を決めあぐねていた。
そんな中、ひざまずいたままのガロルが、低く通る声で、言った。
「全ては王の御言葉のままに」
ルキナが、ゆっくりと目を開け、ガロルを見る。
ガロルは縫い合わされた口をゆがめ、笑っていた。月光の中、ガロルの大きな手が、主君に差し出される。
「民が生きねば国はない。誇りが消え去れば生きる価値がない。生と、誇り……それは共に国に必要なものです。ならば、それをめぐる最後の決断は、あなたがなされば良いのです。ルキナ様」
「……だが」
「コフィンの民は、王家を敬愛しています。王家のために死ねる民は多い。しかし、王家がなくなっても……それでも民は、生きていけるのも、事実です」
普段ならば口が裂けても言わないだろうガロルの台詞に、人々の顔に様々な色が走った。
ガロルが手を差し出したまま、小さく、うなずく。
「コフィン人があなたに求める行動は、決して同じではないでしょう。ただ……少なくともこの場にいる者達は、あなた自身が望まぬ選択を強いられるようなことは、あってはならないと考えているはずです」
ルキナを見る無数の視線に、とたんに力がこもった。口を引き結ぶ人々を背に、ガロルは笑みを消し、ぐっと手を拳に固める。
「あなたはもはや王女ではない。我々の、あるいは最後の王です。どうして欲しいなどと訊く必要はありません。あなたの選択が我々の意志です。
我々の、民の、魔王ダストの、そしてあなた自身のためになされた決断なら、全てを受け入れます」
「……ガロル」
ルキナが、額を押さえ、魂を吐き出すような深い息をついた。
その口角が、わずかにつりあがる。
「最後まで、厳しいな……万人のための決断ができるなら、初めから悩みなどしないものを」
「気合を入れてください。これがこなせれば、あなたは生涯偉大な王です。……誰も文句は言えません」
ガロルが再びほほ笑むと、他の人々の中からもぽつぽつと笑みがこぼれた。
ルキナはゆるく首を振りながら、差し出されたガロルの拳に、自らの拳をコン、と打ち合わせた。




