五十七話 『絶望の谷』
間近にいた数人の冒険者が、サンテに殺到する。剣に槍、フレイルが風を切り、殺意をのせて迫り来る。
サンテは裂帛の気合と共に全身のバネを総動員し、長大な肉断ちの剣をななめに振り下ろした。
間合いに入っていた三人の冒険者の体を刃が通り過ぎ、手に骨肉を断つ感触と抵抗、それによる痛みが走る。
鎧や服の下から鮮血をほとばしらせ、倒れる冒険者達。
だがすぐに後続が屍を踏み越え、襲って来る。
振るった肉断ちの剣を戻している暇はないと判断したサンテは、倒した冒険者が床に落とした剣の柄を、こするように踏みつけた。
ぎぃん、と音を立て、剣がくるくると回転しながら空中に舞い上がる。
手斧を振るおうとしていた敵が一瞬ひるんだ隙に、左手で舞い上げた剣をつかみ、そのまま喉を刺しつらぬく。
血の泡を吹いてたたらを踏む敵を蹴り飛ばし、その反動で肉断ちの剣を構えなおした。
またたく間に四人を倒した。だがまたたく間に息も上がる。
血をしたたらせる剣を構えながら激しく呼吸を繰り返すサンテに、敵の群の中からナイフが飛来する。
首を振って避けるはずが、ざっくりと頬を裂かれた。
うめくサンテに、曲剣を構えたサリダが走り込んで来る。その口が、わずかにふくらんでいた。
「……またサソリか!!」
横一線に肉断ちの剣を振るうサンテに、サリダが口に含んでいたものを吹きつけた。無視しかけたサンテの目が、唾液にまみれた飛来物をとらえる。
どす黒い、とがった物の塊。
無数のサソリの尾だけを紐で縛り合わせた、含み針だ。
サソリの尾は、持ち主が死亡した後も致死性の毒を分泌していることがある。
飛来する尾の毒針は全て、そろってサンテの方を向いていた。
針が左手の甲に触れる寸前、サンテは肉断ちの剣から左手を離し、身をよじってサソリの尾を避けた。
腕を上げた腋のすぐ横を、毒針がすり抜けて行く。
「――もらった」
攻撃を中断し、身をのけぞらせていたサンテの胸元で、サリダの声がした。
曲剣が風を切る音。とっさに胸の前に引き上げたサンテの左足を、サリダの刃がまっすぐに切り裂いた。
噴き出す血液が、仰向けに倒れるサンテの顔にかかる。人相が変わるほどの笑みを浮かべたサリダが、口の動きだけで『ざまあ見ろ』と言った。
「ぐっ……うぅううあッ!!」
悲鳴と気合の混じった叫びを上げ、サンテは肉断ちの剣を、床をすべるように振るう。
だがその右手首に曲剣が投擲されて突き立つと、肉断ちの剣は勢いのままに、サンテの手元から飛んでいってしまった。
サリダの靴が、サンテの頬を踏みつける。
続いて他の冒険者の武器が音を立てて突きつけられ、サンテは倒れたまま、取り囲まれてしまった。
「やった、あたしがやったぞ! 将軍見てましたか!? 曲剣のサリダが裏切り者を倒しましたよ!」
「ああ、よくやった……後で勲章をやろう、サリダ」
ユークが、玉座に座ったままにこりともせずに言う。
サンテはユークと、マキトとマリエラの顔を睨み、最後にコフィンの騎士、ライデ・ハルバトスを見た。
彼の顔に向けて、サリダに頬を踏まれたまま届くはずもない唾を吐く。
「コフィン騎士にもとんだ愚か者がいたものだ! 魔王を差し出したら、もうコフィンにはユークが危険視する者は誰一人いなくなる! 何の遠慮もなく侵略されるということが分からないのか!?」
「我が父が議長を務めた元老院の意志は、あなたも理解していたはずだ」
ハルバトスが、まっすぐにサンテを見返して低い声を出す。
その手が、コフィン騎士の証である兜を床に放り捨て、マントを無造作に引きちぎる。
自らの髪に顔を埋もれさせるサンテへ、ハルバトスは何の負い目もない表情を向けた。
「この戦争、コフィンには一片の勝ち目もない。最強の神の脅威もさることながら、スノーバの占領政策による食糧危機、その他物資の不足、さらにモルグの死と青い空の出現に、コフィンは正に滅亡の危機に瀕している。
戦える状態ではない……いや、万が一スノーバ軍を退けたとしても、今のコフィンの環境では国を再建することは不可能だ。乾いた大地は捨てるしかない。結局国は消滅する」
「……だからユークに全てを差し出し、全国民を養ってもらおうと言うのか。今こそ元老院の売国計画を引き継ぎ、王家を生贄に奴隷としての生を得ようと?」
「売国ではないッ!!」
突然怒鳴ったハルバトスが、体ごとユークに向き直って拳を振り上げた。
「確かに! 私は王家の臣としての務めを放棄し、騎士としての誇りに背くことをしているかも知れない! コフィン人として恥ずべき利敵行為を行い、自国の歴史に終止符を打とうとしているのかも知れない!
同胞は、後の歴史家は私をさげすみ、唾棄し、最悪の裏切り者として憎悪するのかも知れない! だがッ!」
ハルバトスの目が、ユークの冷たい表情に燃えるような熱い視線を放つ。
「正しいだけでは国を守れんのだ! 間違っていようと歪んでいようと、人が生きぬことには、何もつなげられんのだ! ルキナ王女のやり方では国民は死滅する! 戦いを選べば、誰一人生き残れない!!」
敵の城の中で、スノーバ人ばかりがひしめく中で、コフィンの騎士は、自国の王女を声高に否定した。
サンテはその姿に、思わず過去の自分のありようを重ねた。己の信念を抱き、国と民のためを思って現状を否定し、行動した結果世界を壊してしまった。
信念の内容が正しいかどうか以前に、個人が正当な手続きや議論を経ず、己の行動だけで即座に国の行く末を決めようとすることの危険性を、サンテは痛いほど知っている。
ルキナや同僚や、民の目を盗んでユークに働きかけるハルバトスは、かつてのサンテと全く同じ過ちを犯そうとしていた。
「このライデ・ハルバトスは汚辱にまみれる者だ。全ての人類にさげすまれた上でコフィン人を生かす者だ。
死に向かうばかりの大地から民を救い出し、スノーバの保護下に導く。それが元老院の遂行しようとした正義だった。正義を継ぐために私はルキナ王女に忠義の再宣誓をし、騎士団に残ったのだ。
全ては最も重大な局面でスノーバに情報を渡し、王家を打倒してもらうため……」
「もういい。結局元老院の残党がいたというだけの話だ。『媚びを売るので優しく支配してください』……お前が言いたいのはそういうことだろう、ハルバトス」
ユークが口をひん曲げて言うと、ハルバトスは玉座に近づき、ひざまずいて頭を垂れた。
「コフィン人は、あなたとスノーバに永遠の忠を誓います。どうか我らを生かし、信じ、僕として慈しんでください。いずれスノーバの正当な民となれるよう、まい進してまいります」
「ふん。同じ台詞をルキナ王女に言わせられたら考えてやる。……自分の大義を疑わない裏切り者というのは始末に負えんな、ええ? サンテ」
ユークが舌打ちをすると、曲剣のサリダが靴底でぐりぐりとサンテの頬を踏みにじる。
もう、終わりだ。かたく目をつぶるサンテに、ユークは短い嘲笑とともに裁きを下す。
「まがりなりにも共にスノーバを制した仲間だ、辱めたり拷問にかけるようなことはしないでおいてやろう。
今すぐ処刑したいところだが……良いことを思いついた。サンテよ」
ユークが、立てた親指をゆらゆらと床に向けたり天井に向けたりしながら、言う。
「お前には、生き地獄を味わわせてやる。どんなに悔やんでも抜けられぬ、絶望の谷へ落としてやろう」




