五十六話 『サンテ!』
民とは、民衆とはどういうものなのか。
皇帝の娘ならば当然知っておかねばならなかったことを、サンテは未だに良く分かっていない。
スノーバの巨大な城の前、広場に設けられた壇上で、レオサンドラが一人の男の首を掲げて演説をしている。
集まった数百人の入植者達の前にさらされる首は、つい今朝方レオサンドラ自身がユークに引き合わせた選りすぐりの冒険者、剣聖だの聖剣士だのの内の一人だ。
暴走した神、赤い蛇にいわれなく八つ裂きにされた哀れな被害者を、レオサンドラはまるで裏切り者のように罵倒する。
「この者、『神聖三剣士』のルグランは愚かにも邪悪な魔王の魔力に魅入られ、我らが将軍の暗殺を企てていた! よって神の怒りがその身を滅ぼしたのだ! 神はスノーバ人を守護していると同時に、悪しき者を監視している!」
レオサンドラの部下、城詰めの冒険者達が、縄をうたれた二人の男を引っ立ててくる。
壇の前にひざまずかされた二人はさるぐつわを噛まされ、しきりに何かを訴えているが、それは意味をなさないうめきにしかならない。
「神聖三剣士は悪の側に落ちた! よってその魂を魔王の支配から解放する! 諸君も気をつけよ! 魔王は人心を腐敗させ、正義の心を失わせる! 魔王を見たならばその言葉に耳を貸さず、ひたすらに挑み心臓をつらぬくのだ! さもなくば諸君もきゃつの僕にされてしまうであろう!」
レオサンドラが、スノーバの国旗を顔に巻いた外套姿の魔王の絵を両手に広げる。その足元で、縄をうたれた二人が他の冒険者に押さえつけられ、剣を突きつけられる。
神の暴走を隠すために、被害者とその仲間を悪人に仕立て上げて処刑するのだ。
レオサンドラは民衆に向かってがなり立てる。
「邪竜モルグに続き強大な魔王が我らの前に立ちふさがったが、恐れるな冒険者達よ! 聖なる神の加護を受けた勇者達に勝てぬものなどない! スノーバ軍とともに立ち上がり、この国の悪を根絶するのだ!」
演説の後に、くぐもった断末魔と歓声が響くのは分かっている。
サンテはそれらが聞こえる前に窓際から離れ、城内の玉座の間に向き直った。
コフィンについて来た入植者達を民として見るならば、彼らはひたすらに気まぐれで愚かだ。今朝まで英雄視していた人々を、夕方には罪人として軽蔑することができる。
己が裁かれる立場にならぬ限り、与えられた情報をうのみにして拳を振り上げ続ける者が大半だ。
理解できない。サンテは目を細め、己のいる玉座の間を見渡した。
室内にはスノーバ最強の冒険者達がいて、みな己の得物を抱えて仁王立ちしている。他の部屋や廊下を警備している冒険者達のように、あぐらをかいたり賭け事に興じたりはしていない。
二十人弱の、何らかの二つ名を持つ『称号持ち』達。
その中には中庭でサンテに打ち負かされたサリダという女剣士もいて、じっとサンテを睨んでいる。
「マリエラ、調子はどうだ?」
不意に、玉座に座ったユークが低く声を上げた。
視線を向ければ、玉座の両脇に立つマリエラとマキトが共にサンテを見ていた。
マリエラが、こちらを見たままひらりと手を振る。
「そうか、いまひとつか。残念だな」
……魔術を使えるのか、という意味の問いだ。
ユークは一人天井を見上げながら、手にした杯のぶどう酒をあおる。
ユークはあまり酒を好む方ではない。それが今日は見かけるたびに口にしている。
いら立っている。魔王に手玉に取られ、あざけられたのが相当に効いているらしい。
これまで怖いもの知らずで数多の国を征服してきたユークの戦果に、言ってみれば魔王は泥を塗ったのだ。たった一人の敵に手を焼いている現状に、ユークは内心はらわたが煮え返っているに違いない。
さりげなく玉座の方に近づくサンテ。すると突然、部屋の外から足音が響いてきた。
「ユーク将軍!」
城門を警備していたはずの冒険者が、ごてごてと飾りの満載された鎧を揺らして大声を上げる。
ユークは天井を見上げたままおっくうそうに「何だ」と短く訊いた。
「お客さんです! ライデ・ハルバトスという男が重要な話があると!」
「……誰だ。そんなやつは知らん」
「コフィンの騎士だそうで! なんでも魔王に関して、重大な秘密を知っているとか!」
ユークが、ゆっくりと視線を下ろす。
サンテはうるさくはね始める心臓を必死に無視しながら、無表情に腕を組む。
コフィンの騎士が、ユークに情報を持って来る……ルキナの策略でないのならば、間違いなく裏切り行為だ。
ユークが無言であごをしゃくると、報告を持って来た冒険者がくるりと背を向けて「どうぞ!」と叫んだ。
しばらくして、だいぶ向こうで待たされていたらしい騎士が、一人の従者を伴ってやって来る。
年の頃、四、五十と言ったところか。鋭い光を宿した眼は、我が身かわいさに国を売る男のものには見えない。
左手に兜をさげた騎士が、冒険者達に睨まれながら玉座の前に歩いて来ると、ユークが持っていた杯を揺らしながら口元だけに笑みを浮かべた。
「誰だ」
「ライデ・ハルバトス。コフィン王国騎士団の副長をしています」
「その副長が何故私に会いに来る。ルキナ王女……姫騎士には、用がある時は自分が出て来いと常々言ってある」
「それはこの謁見が、私個人の意志によるものだからです。閣下」
どくん、と、サンテの心臓が大きく脈動する。
ユークが杯をくるくると手元で遊ばせ、やがて床にほうり捨てた。
騒々しい音を立てて砕ける杯。
騎士、ハルバトスが従者とともにユークの前にひざまずき、頭を垂れながら言う。
「魔王の名はダスト。かつてコフィン王家に仕えていた、最高の知恵者です。ルキナ王女とも面識があります……王女の教育係でした」
「……雌犬、め……すっとぼけて、いやがったな」
濁った声で言ったのは、マリエラだった。マキトや他の冒険者がその口調に目を丸くするが、ユークは一瞥すらせずにハルバトスに問う。
「何故私に教える」
「魔王があなたに宣戦布告した、と聞きましたので。情報が御入用かと」
「目的は何だ。スノーバ国籍でも欲しいのか」
「あなたにコフィンを、正しく導いて頂きたいだけです」
ユークが眉根を寄せ、マキトを見る。マキトは肩をすくめ、「じゃあ何かい」と声を上げる。
「ライデ何とかさんは、王女様を蹴ってうちの将軍につくってこと? 別に良いけどさ、でも、今まで全然僕らの前に出てこなかった人がいきなりお味方しますって言ってきても、正直信用できないな」
「私は以前からあなたがたに協力していました。勇者マキト様、この者の顔に見覚えがございませんか」
ハルバトスが自分が連れてきた従者を示すと、粗末な衣を着た従者が無言で顔を上げる。
マキトは「んん?」と腰を曲げてその顔を見つめ、ややあってから、口を大きく開けてぽん、と手を打った。
「ああっ、知ってる。ユーク、この人僕知ってるや」
「……誰だ」
「コフィンの英雄や神話の情報を持ってきた内通者だよ。ほら、元老院の使者さ」
思わずサンテの喉が、ぐっ、と詰まった。
ハルバトスが、何故かサンテを振り返り、言葉を続ける。
「私はコフィン元老院の議長、ヘルゲン・ハルバトスの息子です。元老院は王家とは独立した立場でスノーバに情報を提供したり、戦後交渉を行っていましたが、この私も議長の息子としてそれに協力していたのです。
私の従者は、ルキナ王女の命を受けてスノーバの都を密偵する任を受けていました。その立場を利用して議場にこもっていた議員達の密書を持たせ、堂々とこちらに届けていたのです」
「ほう……それはそれは」
ユークが、ハルバトスの視線をたどり、サンテを見る。次々と自分に集中する室内の人々の視線に、サンテは腰の肉断ちの剣から意識的に手を遠ざける。
ユークの口元から、笑みが消えた。
「ハルバトス殿、それで、魔王は今どこにいるのかな」
「本人の居場所は分かりませんが、コフィンの王城にはヤツの腹違いの弟や、昔の女がいます。その者どもを使えばおびき出せるでしょう」
「ほう、ほう」
「それから、もう一つ有益な情報がございまして」
ハルバトスが、ゆっくりと立ち上がる。
「ユーク将軍は、コフィンにおける英雄、実力者を血祭りに上げてから守護神モルグを倒すおつもりだったはず。事実フクロウの騎士と狩人は、元老院からの密告があった直後に順次討伐されています。
しかし、ならば、何故魔王ダストを後回しにされたのか」
「魔王のことは元老院の密書には書いてなかったぞ」
「いいえ、お知らせしました。確かに魔王の逸話と正体を記した密書を我が使者がお渡ししました。
そこの、スノーバ三傑のお一人に」
ハルバトスが指さしてきた瞬間、サンテは全身の毛が逆立つような気合と共に肉断ちの剣を抜き放っていた。
先走って向かって来た曲剣のサリダが、ひきつるような笑顔を浮かべて斬りかかってくる。
肉断ちの剣は、先手を打てた場合は凄まじい殺傷力を発揮するが、敵に先に斬りかかられると命取りになりかねない。
金属をすりぬける肉断ちの剣では、敵の刃を受けることができないからだ。
サンテは重い得物を引きずるように身をひるがえし、サリダのあごに左手の甲をぶち当てる。
床に転倒するサリダの剣が、サンテの髪留めの紐を切り裂いていった。
ばさ、と広がる黒髪を感じながら、サンテはハルバトスを指さし返す。
「コフィンの策略だ! でたらめな情報を渡してあまつさえ我々を分断させようという罠だ!!」
「サンテ」
「ユーク! そもそも騎士団が王女を出し抜くなどということが!」
「サンテ」
二度、底冷えのするような声でサンテの名が呼ばれる。
息を乱すサンテに、ユークが、鬼のような顔をさらして、宣告した。
「戦って死ぬか、自分の顔をそぎ落として許しを乞うか、選べ」
肉断ちの剣以外の、室内に存在する全ての武器が、サンテに向けられた。
――窓の外から、レオサンドラの長ったらしい演説と、人々の歓声が聞こえてくる。
サンテは自分を睨む大勢の敵の視線の前で、ゆっくりと目を閉じ……
次の瞬間には、肉断ちの剣を両手で高く頭上に構え、鷹のようにとがらせた目で敵の群を射通した。




