五十二話 『罪人二人』
中庭から城内に入り、石造りの廊下を歩く。
赤い蛇が宿った兵士達を自在に動かせなくなった今、城内を警備しているのは元々その任を命じられていた一部の兵士達と、レオサンドラの呼んだ冒険者達だ。
廊下の隅に置物のように立つ兵士と、道の真ん中に座り込んでサイコロ遊びをしている冒険者。
サンテは雑然とした城内を歩き、階上へと上がって行った。
ユーク達は、玉座の間に最も強い冒険者達とともにいるはずだ。魔王が襲撃して来たという空中庭園には二十人以上の冒険者が、地面に柵のように剣や槍を刺して侵入者に備えている。
……空の太陽さえなければ、不滅の神さえいなければ、コフィンの残存兵力でもこの城を落とせたかもしれない。
サンテは奥歯を噛み締めながら、人気のないバルコニーを探して外に出た。
背後の廊下には冒険者達がいるが、ガラスの扉を閉めてしまえば声はほとんど聞こえない。
「…………魔王、いるか?」
周囲を見回しながら、小さく聞いてみる。
しかし城の外壁にはミミズクの影はなく、他の生物の気配もない。
しばらく返事を待ってからため息をついたサンテが、バルコニーの手すりに両ひじを載せた。
――すぐそばに、地面に横たわる神の背が見える。
生白い不死の巨人。赤い蛇達は日差しを嫌ってか、一匹残らず巨体の内部に引っ込んでいた。
初めて見た時は恐怖におののいた姿も、見慣れた今となってはどこか、哀れだ。
最強の勇者の遺産として悠久の時を生きるこの怪物は、いったい何のために存在しているのだろう。
魔王ラヤケルスを倒すこと、ただそれだけのために作られた存在。
ならば不死の巨人の存在意義は、とっくの昔に消滅している。
ユークの言うように新生スノーバの力の神話を作るため、象徴として用いられるとしても……その意義に、生物としての満足などあろうはずもない。
永遠に人に利用され続ける。死ぬことも朽ちることもできない『不滅』の存在。
それはただ、ひたすらに、哀れだ。
サンテは神の背に人さし指を向け、その線をなでるように動かしてみた。ゆっくりと上下する痩せた背中の下で、赤い蛇の形がぼこぼことうごめく。
その時、不意にサンテの後ろ髪が揺れた。風。背後のガラスが、開いたのだ。
首をひねると、後ろから顔を覗き込んできたマリエラと目が合う。口に薬を染み込ませた綿を詰めたマリエラは、充血した目でサンテを睨んでいた。
「……何だ?」
鼻と鼻が触れ合うほどの距離で、マリエラが口を動かす。
ごろごろと喉が鳴るだけで、言葉は出てこない。
眉根を寄せるサンテの首に指をそえると、マリエラはつつ、と皮膚をなではじめた。
指で文字を書いているらしいと分かると、サンテは目を細めて首に注意を集中する。
《ウラギッタラ》
首筋に力を入れないよう、静かに、ゆっくりと息を吐く。
《人形ニシテヤル》
……人形……赤い蛇に体を乗っ取られた、兵士達を思い浮かべる。
マリエラはサンテの首から胸元に指を下ろし、外套の中に手を入れてきた。
何故か、心臓をつかみ出されるイメージが脳裏に浮かび、マリエラのあごをひじで押しのける。
マリエラはサンテの乳房を軽く指ではじき、にこりともせずに離れると、そのままガラス扉の向こうに戻って行った。
割れんばかりに強く閉められる扉。
しばらく無言でその向こうを見つめていたサンテが、ぐっ、と喉を鳴らしてうつむく。
『考え直したらどうだ』
「……生来、頑固な性格でな」
手すりにいつの間にか降り立っていた影に、自然に口から返事が出た。
「最後まで、見届ける。逃げるという選択肢はない」
『……碑文の解読が済んだぞ』
ぎゅっと拳を握って、振り返らずに相手の声を聞く。ガラスの向こうの廊下には人が歩いている。
『コフィン王家の家臣達が先に進めてくれていたおかげで、早く済んだ。有益な情報がいくつか見つかったよ』
「神を、不死の巨人を倒す方法は記されていたのか?」
『まず事実として、神はヒルノアに生み出されて以降誰にも倒されずに動き続けている。碑文に書いてあったのはヒルノア自身が考え出し、しかし完遂しなかった神の殺し方だ』
「どんな方法だ?」
『赤い蛇を全て神の体内から追い出し、別の生物に寄生させた上で宿主ごと殺害するという方法だ。古代の巨人の中にさえいなければ、脅威も軽減されると考えたのだろう。だがこの方法は失敗する。
すでに強力な大魔術をいくつも使っていたヒルノアには、別個の宿主に宿った数百匹の蛇を完全に制御するだけの気力、体力がなかった。あやうく制御不能になった蛇に殺されかけて、慌てて魔術を中断したらしい』
その方法を再度試みるとしても、それが可能なのは神の現在の飼い主であるマリエラだけだ。彼女がサンテ達に協力するわけがない。
『あとは他の遺産を使った殺害案が記されていたが、これも現実的ではない。ただ、碑文の最後に有益な魔術の技法……というより、アイデアが記されていた。希望にはなりうる』
「決定打には足りぬ、というふうに聞こえるが」
『完全に殺害するのはおそらく無理だろう。だが神をどうしても倒さねばならぬようになったら、間違いなく我々の戦力となる。
……お前の渡した碑文の写しは、確かに決戦に際しての役に立ったのだ。少しは気が楽になったか』
サンテは小さく鼻で笑い、首を振った。ミミズクの影が、低く声を響かせる。
『俺も、ルキナ王女も、ユークも、戦いを長引かせるつもりはない。数日のうちにこの戦いの結末が決まる……決戦の気配を感じたら、コフィンの王城へ行け。ルキナ王女は受け入れてくれる』
「ユークのそばで、隙を狙う。私にしかできない仕事だ」
『死ねば罪が減ると思ってるのか』
サンテが、笑みを消して虚空を睨む。
ミミズクの影が、羽ばたく気配がした。
『我々は未来永劫、罪人だ。ただ少しばかり体裁が整うとしたら、それは自分達以上の災厄に勝利した時だけだ』
ただ死んでも、誰も喜んではくれんぞ。
そう言い残す魔王に、サンテは言葉もうなずきも、返しはしなかった。




