五十一話 『抜剣』
スノーバ軍の幹部であるサンテは、本来なら入植者達にとっても近寄り難い身分の人間だ。
まがりなりにも旧帝国政府打倒の立役者であり、ユークの最も古い仲間の一人でもある。
そんなサンテに無礼を働くことは、現在のスノーバの事実上のトップであるユークに歯向かうことであり、どんな厳しい処罰を受けても不思議でない行為だった。
だから昨日までは、将軍や幹部仲間、冒険者組合総長レオサンドラ以外に、サンテに無防備に近づこうとする者はいなかったのだ。
「おい、皇女」
城の中庭を歩いていたサンテが、一瞬にして眉間に亀裂のようなしわを刻み、声をかけた者を睨んだ。
広大な庭園には、レオサンドラの召集を受けた熟練の冒険者達が集い、警備をかねて手合わせや酒盛りに興じている。
その中の一人、ぶ厚い湾曲した刃を持つ刀剣を腰に差した女が、サンテの前で何かをくちゃくちゃ噛みながら腕を組んでいた。
冒険者らしく、珍妙ないでたちの女。
全身に薄布を包帯のようにぐるぐるとまきつけ、下半身に短い腰布だけをまとった姿の彼女は、浮き上がる見事な体の線を誇らしげにさらしている。
丸い乳房や足のシルエットに男達は喜ぶだろうが、女のサンテの目にはひたすら下品に映る。
サンテは相手の腰まで届く赤髪を睨めつけながら、低い声を返した。
「何だお前は」
「スノーバ聖剣士のサリダさ。今朝会っただろ」
「覚えてないな。聖剣士などこの城にはいて捨てるほどいる。肩書きとしては『市民その一』と同じだ。わざわざ名乗られても知ったこっちゃない」
サリダと名乗った女がほほえみ、わずかにうつむいた。次の瞬間、あごを勢い良くしゃくるように動かすと、噛んでいたものをサンテに向かって吐き飛ばす。
とっさに左手でそれを防いだサンテの手の平に、べちゃりと黒いものが付着した。
手を返して確認すると、唾液にまみれたサソリがぐしゃぐしゃになって張りついている。
サソリなど、コフィンにはいなかったはずだ。スノーバからわざわざ取り寄せたのか。しかも尾の毒針がそのまま残っている。
サリダがサンテに近づき、舌を出してみせた。
明らかに毒のせいで変色している黒い舌に、サンテがサソリを払い落としながら「安い命だ」とつぶやく。
「はったりか、度胸試しのつもりか。自分が傷つくだけの無意味な冒険だ」
「そういうもんだろ、冒険者って。意味なんか求めちゃいない、ただ冒険が好きなだけの人種さ。
……なあ皇女。あんた、ユーク将軍に嫌われてるんだってね」
「何?」
「見てりゃ分かるよ。あんた、将軍に警戒されてる。何かしでかしたのかい」
気がつけば、周囲の冒険者達の何人かが二人を取り囲んでいた。他の連中も、争いの気配を察知してこちらを見ている。
さっと顔色を変えたサンテが、肉断ちの剣に手をかけて怒鳴った。
「何のつもりだ貴様ら! スノーバ軍幹部、スノーバ三傑に挑む気か!!」
「三傑じゃなくて、あんたに挑んでるんだよ。親殺しの皇女様」
剣の柄を握るサンテに、サリダが腰布のベルトにさがった麻袋から、新しいサソリを取り出す。
蜂蜜漬けらしく、ぷぅんと甘い臭いが辺りに漂った。
「てめえの親と国を裏切って滅ぼすのに加担して、新政府でちやほやされるってのは気分良いんだろうねえ。しかも勇者の遺産……神器の剣までもらって強者きどり。良い根性してるよ」
「……今すぐ地に頭をこすりつけて謝罪しろ。聞かなかったことにしてやる」
「元々気に入らなかったんだ。あたしらの上にあんたみたいのがいるのが、ムカついてしょうがなかった。
けど……ユーク将軍が疎んでるってんなら、遠慮はいらない」
サソリの尾を右手でつまんでぷらぷらと揺らすサリダが、にっこりとサンテに笑いかけた。
その左手が、腰の曲剣をつかむ。左利きらしい。
「将軍は何か知らないけど、あたしらを頼りにしてる。そんなら頼りにされてないあんたをやっつけても構わねえだろ。
そのでこっぱちにあたしの名を刻んでやるよ。ずっと顔を隠して生きな」
「後悔するぞ」
鞘入りの剣を構えるサンテに、サリダがサソリを噛み千切りながら曲剣を抜いた。
「気取るんじゃねえ! すげえヤツのすげえ遺品振り回して強い気になってるド素人が! それが鞘をすり抜けて振るえることぐらい知ってんだよ!!」
言葉通り、肉断ちの剣を抜き身と想定して動くサリダが、曲剣を構えながらサソリの針を投擲した。
向かって来る針を体をひねって避けるサンテの頭部に、ひゅんひゅんと風を切る曲剣が流れるように振り下ろされる。
「食らいなっ! これが『本物』さ!!」
刃が、サンテの髪に触れる。
瞬間サンテの体が流れるように反転し、刃をかいくぐって肉断ちの剣を抜いた。
長大な剣が腰のバネを使って引き抜かれ、鞘が後方に飛ぶ。
目を丸くするサリダのなびく赤髪をいくぶんか、肉断ちの剣がざっくりと切り飛ばした。
「……ほう。髪も『肉』と同じ扱いだったか」
つぶやくサンテが、攻撃の勢いのまま自分のわきをすり抜けようとするサリダの首をつかんだ。
げっ、と声をもらすサリダの膝裏を蹴りつけ、ひざまずかせると、そのまま肉断ちの剣を背後からサリダの両目にあてがった。
「ちょっ……嘘っ」
「抜けぬと、勝手に勘違いしたのはお前だ。私が強くなる努力を怠っていると、自分の方が優れていると勘違いしたのも、お前自身の責任だ」
「待っ……!」
サリダの両目に刃が触れ、引き裂かれる直前。
サンテの頭上から突然凄まじい破壊音が響き、細かいガラスの破片が周囲に降ってきた。
とっさに飛び退く冒険者達の中、サンテはサリダをつかまえたまま、髪にガラスをわずかにかぶる。
数秒後に視線を上げると、バルコニーからレオサンドラが顔を出していた。
彼は壁に叩きつけた大きなワイン瓶の口をサリダに向けると、怒りの形相で中庭に怒声を降らせる。
「馬鹿者どもッ!! ユーク将軍の懐刀であるサンテ殿になんたる振る舞い! 私の顔を潰す気かッ!!」
「……総長……!」
「サンテ、その者どもには私が後で厳重に注意する故、どうか剣を収めてくれ。ユークにもどうか内密に……」
城の中庭で騒ぎを起こしておいて、内密にできるものなのか。サンテは無言でレオサンドラを見つめ、やがてサリダを解放した。
地面に両手をついてあえぐサリダの尻を蹴飛ばすと、そのまま背を返して歩き出す。
慌てて道を開ける冒険者達。飛ばした鞘を拾い上げるサンテに、尻を向けたままの敗者が怒声を浴びせた。
「ちくしょう……てめえ覚えてろ! 絶対殺してやる! 背中に気をつけやがれ!!」
レオサンドラの面目も自分の立場も考えずに負け惜しみを言うサリダを、サンテは一度も振り返らずに中庭を出た。
格下の聖剣士の報復などどうでもいい。問題はそんな連中にまで、自分がユークに不審を抱かれていると悟られていることだ。
サンテは刻一刻と迫る破滅の時を感じながら、額に浮かんだ汗を腕でぬぐった。




