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五話 『狩人』

 雨が上がっても、コフィンの王都の石畳を歩く民は一人としていなかった。


 誰もが都の物陰に隠れ、災厄が自分に降りかからぬことを祈り息を潜めている。


 道には瓦礫がれきと血痕が飛び散り、引き倒された国王ルガッサの銅像が水たまりに突っ伏している。


 ある道にはスノーバの将軍を批判した男がカカシのように死体をはりつけにされ、またある道では巨大な乗用動物であるドゥーの死骸が、腐った毛皮の塊となって転がっている。


 都全体を、重苦しい絶望の空気が包んでいた。


 王城の門前には天空竜モルグの、首を落とされた石像があり、その足元に、ずぶ濡れのフクロウの騎士の鎧兜がさらされていた。


 モルグの足に寄りかかるような姿勢で放置されている鎧は、空洞くうどうにもかかわらず、まるで死体が入っているかのような存在感がある。


 英雄のぬけがらを王城の中から見下ろしていたルキナは、鼻をすすって窓辺にくずおれた。


 コップに飲み物を注いでいた侍女がそれを見て、あわてて水差しをテーブルに下ろし、ルキナに駆け寄る。


 地味な色の麻服を身につけたルキナは、侍女に手を取られながら、いやいやをするように首を振った。


「王都に死があふれている。王が、英雄が死に、国を担う勇者達が殺されようとしている。私は、どうすればいい? 王位を継ぐ者として、どう振る舞えばよいのだ」


「姫様、今は耐える時です。冬の時代を耐えた者だけが、春を迎えることができます」


「スノーバはコフィンの全ての芽をつむつもりだ。このままでは春など来ない……何か、何かきっかけが必要だ。ナギ、密偵はどうなっている。ガロルは何かつかんだのか」


「……それが……スノーバ兵達は一切口を利かず、入植者達も肝心なことを知らないようです。将軍と幹部達、神に関する情報は、今のところほとんどありません……戦士団、騎士団の中でなるべくスノーバ人に近い顔立ちの者が敵の都に潜入しているのですが……看破かんぱされる危険を考えれば、城や施設に不用意に近づくこともできず……」


 ルキナは部屋の隅の寝台に腰かけ、両手で顔を覆った。

 ナギと呼ばれた侍女は主君の前にひざまずき、うめくように言う。


「将軍は、今日はティオリネの森を焼き払うそうです。隣国セパルカとの国境線代わりの、本来どこの国の領土でもない土地ですが、そこに天空竜モルグのうろこを剥ぎ、持ち帰ったという狩人がいるとか。

 まったく、愚にもつかないよた話です。モルグに近づける人間などいるはずもなし。民間の作り話を真に受け兵を動かし、国境を焼き払う。スノーバの将軍はどうしようもない愚か者ですわ」


「コフィンの希望となりうる者を全て殺すつもりなのだ。どのような形であれ、輝かしい伝説、逸話を持つ者は求心力を発揮し、新たな指導者となる可能性がある。

 国の守護神の一部を持つという者が、仮にモルグの使者を名乗り、民に剣を持てと呼びかければ、疲弊ひへいしたコフィン人の心に再び闘志の炎が宿るかもしれない。

 ゆえに災いを招く前に狩人を殺し、その死を衆目にさらそうというのだ。……国境を焼けば、セパルカも黙ってはいないだろうにな。あの将軍にそこまで考えが及んでいるか知らんが」


「我が国とセパルカは和平後、森のこちら側と向こう側にそれぞれの国境警備のとりでを置き、それより先には軍を進めないことを約束しています。

 スノーバ軍が森に立ち入ったことが分かれば、セパルカはそれをコフィンの裏切りと取るかも……何とかセパルカ側と連絡が取れればよいのですが……スノーバ軍の国境警備は隙がなく、使者を送ることもできません……」


「……現場に行ったガロルにも、どうしようもないだろうな」


 ルキナは深いため息をついて手を下ろし、窓の外を見やった。


 フクロウの騎士の時と同様、ルキナも将軍の『英雄討伐』に同行しろと迫られたのを、ガロルが王女は体調が優れぬため、自分が代理で行くと突っぱねたのだ。


 前回ルキナが将軍達にされたことを考えれば、また、国境を焼く軍勢の中にルキナの姿を見つけたセパルカ人達の反応を考えれば、ガロルの主張は至極しごく当然のものだった。


 だがこのことで将軍が機嫌を損ねたならば、あの幼稚な男はまた何を言い出すか、分かったものではない。


 ルキナは胃がねじれるような不安を感じながら、窓の外を見つめていた。





「コフィンとスノーバには国交はなかった。だが、はるか昔、古代と呼ばれる時代にはつながりがあったと聞く」


 救いを求める亡者もうじゃの手のような、いびつな形の木が並ぶ、森。


 天に向かって広げられた枝には、ぎざぎざとささくれだった硬い葉がついている。


 どこか恐ろしげなティオリネの森から黒煙が立ち上るのを眺めながら、ガロルは自分に語りかけてくる将軍の声を聞いていた。


 国境線に臨む軍勢。コフィン側と、森を抜けたセパルカ側に展開されたスノーバ軍は、焼け出される森の生物を無差別に殲滅せんめつする。


 遠く木々の向こうに見える巨大な岩の塊、セパルカの砦は既に臨戦態勢に入っているらしく、無骨な鎧を着た戦士達が投石器を並べて無言の殺気を放っていた。


 一触即発の状況ではあるが、セパルカ人達は未だ攻撃はして来ない。それは彼らが、おそらくコフィンの窮状きゅうじょうをある程度知っており、目の前の敵がコフィン軍ではないと分かっているからだ。


 セパルカ人達は、あくまでコフィンとの和平協定、砦より前に軍勢を進めないという取り決めを守ってくれている。


 ガロルはこの幸運に感謝すると同時に、義理堅いセパルカ人達の身を案じた。


 コフィンが完全にスノーバに下ったなら、次の侵略対象となるのは隣国のセパルカに違いないのだ。


 スノーバ軍には道義も、ルールもない。セパルカがコフィンとの取り決めにこだわり、スノーバに先手を取られるようなことがあってはならない。


 その時には、きっとコフィンは、セパルカに対するいかなる援護もできない状態にされているはずなのだ。



「おい、召使い。聞いているのか」



 自分に向けられる将軍の声に、ガロルはわずかにそちらを振り返った。


 ガロルは今、スノーバ兵達の隊列の後方に立っている。そのすぐそばにはスノーバの将軍と、戦斧の男マキト、神喚び師の少女、マリエラがいる。


 将軍は自分よりも背の高いガロルを見上げるのが気に入らないのか、ずっと焼ける森の方へ視線を向けていたようだった。


 ガロルが低く「コフィンとスノーバに、何らかのつながりがあった可能性は、否定できない」と答えると、将軍は軽くうなずいて再び口を開いた。


「事実、違う国に生まれたはずの我々は、まったく同じ言語を話している。山脈をへだてた二つの国、いや、この大陸に存在する全ての国は、もともと一つの大きな国が分裂してできたものだと言う学者もいるらしい」


「海の向こうにも、我らと言葉の通じる民族がいるそうだ。同じ人種が世界に散り、それぞれの国と歴史をきずいたのかもしれない。ある国はそれを良しとし、独自に栄え、またある国は」


 ガロルが、細めた目で将軍を見た。将軍の口角はつりあがり、森を見すえたまま笑っている。


 幸いにも今は、その目にセパルカの砦は映っていないようだった。


 彼の口が、ああ、と声を上げる。


「他国を倒し、再び世界を統一しようとしている。我々スノーバが、それだ。神にまつわる強大な力を得た我々スノーバは、コフィンを皮切かわきりにまずは大陸全土を支配する。光栄に思え、お前達はこれから始まるスノーバの植民地支配の、第一号モデルとなるのだ」


「国を、人の心を屈服させ、文化と誇りを、希望を奪い去る。その上で自分達に従属させ、労働力とする」


「貧相な英雄譚えいゆうたんよこしまな信仰を消し去り、我々の神話を与えてやろうと言うのだ。世界最強の、スノーバの神話だ」


「あのでかい、人を食う神をあがめよと」


 ガロルの首に、わきから伸ばされた戦斧があてがわれる。

 だがガロルは動じることもなく、それを指先で押しのけた。


 顔をゆがめるマキトを睨み、ガロルは低く冷たい声で言う。


「正直に言ってみろ、スノーバ人。お前達が操り、戦争に使った『神』とやら……あれは、昔からお前達の本国で崇拝されているものではなかろう?」


「……なんだと?」


「スノーバからの入植者は、神のことを何も知らない。神の名も、神への祈り方も、信者として知っていて当然のことを何も知らないのだ。神がいつからいて、何をしてくれる存在なのかすらもな。……彼らは神を、強大な兵器としてしか認識していない」


 森から上がる黒煙が、一際ひときわ大きくなった。雨上がりの森に、大量の油でもってつけられた火が、風にあおられて空にき上がる。


 その黄色い炎の光を受け、将軍が喉を鳴らして、初めてガロルを見た。


 スノーバの将軍、神に愛された英雄と呼ばれる少年の、まがまがしい悪意にゆがんだ顔。ガロルはその形相へ、おくせず言葉を吐く。


「神は……いや……お前達は、何なんだ? 物言わぬ兵士達、不死の将、異形の兵器。我々コフィン人は、お前達をスノーバという見知らぬ国から派遣はけんされた正規軍と思っていたが……よもや」


「よくしゃべる召使いだ」


 将軍の目に、ゆらりと殺意の影がよぎった。

 ガロルが全身を緊張させ、腰の短剣に手を置いた、その時。


 ガロル達の目の前にいた兵士の何人かが、金属片と血しぶきをまき散らして吹っ飛んできた。


 目をくガロルの足元に、銀の仮面を太い矢に射抜かれた兵士が倒れる。子供の腕ほどもある木製の矢に、マキトが戦斧を構えながら声を上げた。


「狩人だって……魔物の間違いだろ」


 刃を立てて突撃準備をする兵士達の向こう、燃える森を背に、黒い影が立っている。


 その影は獣の毛皮でこさえた靴をはき、腰と胸に、麻布あさぬのを巻いている。そこから露出した肉体はごつごつと盛り上がっていて、太い骨と筋肉の形がはっきりと見てとれた。


 頭には大きなヘラ鹿の頭蓋骨ずがいこつをかぶり、眼窩がんかから血走った目を覗かせている。左手には自身の体よりも大きな弓を持ち、その両端には青緑色に輝く鱗が輝いていた。


 ガロルよりも頭三つ分ほど背の高い狩人は、目の前を埋め尽くす軍勢に向かって、弓を高々とかかげて地を揺るがすような咆哮ほうこうを上げる。


 腕を振り上げた時、狩人の胸についた丸い二つのふくらみが、わずかに上下した。


「女か。伝説の狩人とやらは」


 きょうざめしたようにつぶやいた将軍が、ふと狩人の左手を見る。


 大きな手には目をこらせば小さな指がからみついており、さらには狩人の背後に小さな、別の人間の足が見えた。


 子供だ。


 狩人は、背後に子供を隠している。守っている。


 そう理解したらしい将軍が、再び口角を吊り上げ、悪意を顔中ににじませた。


「突撃」


 やめろとガロルが叫ぶ前に、将軍の声が放たれた。神喚び師マリエラが大声でその指示を繰り返すと、静止していた兵士達が怒涛どとうの勢いで刃を振りかざし、狩人と子供に殺到さっとうする。


 狩人は子供の指を振り払い、左手を背中に回す。腰の麻布をめるベルトに差し込まれた矢筒やづつから矢を引き抜くと、そのまま押し寄せる軍勢に向かって弓を引きしぼり、放った。


 ごう、と風を切る矢の先端が、兵士の一人の喉をつらぬき、倒す。


 死体にぶつかり、つまずいた後続の兵士が数人転倒している間に、狩人は次々と信じがたい早さで矢をつがえ、放ち続ける。


 常識的なサイズをはるかに超えた矢が、兵士の攻撃の波に穴を開け、数を減らしていく。


 しかし、いかに強力な攻撃といえど、軍勢の前に一人の人間の抵抗など、一時しのぎにもならない。


 すぐに兵士達が狩人と子供に到達し、襲いかかった。もう終わりだ。弓使いが距離を詰められた。


 思わず目をつむりかけたガロルが、しかし次の瞬間、再び目を剥いて絶句する。


 狩人が、兵士に斬りつけられる寸前に最後の矢を放った。その矢の軌道きどうは目の前の兵士を狙ったものではなく、兵士達の間を抜け、高みの見物を決め込んでいたスノーバの将軍へと一直線に突き進んだのだ。


 驚くべき射程、驚くべき精度せいどの一撃。だがガロルが驚がくしたのは、狩人の人間離れした弓矢の腕前ゆえではない。


 矢が飛来する数秒の間、数え切れぬほどの兵士達が、いっせいに矢の方を注視ちゅうしし、振り返ったのだ。


 集団戦闘を行っている兵士達が、このような挙動きょどうを示すことなどありえない。


 敵の攻撃に気を取られる者、よそ見をする者はいるだろうが、戦争における歩兵とは斬られる前に斬る、斬られながら斬ることが使命なのだ。敵の矢が自分のわきをすりぬけたなら、そのまま敵を襲うのが当然。


 それを、スノーバの兵士達は一人残らず矢に気を取られ、こちらを振り返っている。


 銀に輝く仮面の群。おびただしい数の視線を受け、ガロルは初めて、今自分が置かれている状況に、恐怖を感じた。


 矢がガロルのそばを通り過ぎ、重い音を上げて何かに突き刺さった。一瞬の間の後振り返ると、将軍が、神喚び師マリエラに押し倒される形で倒れている。


 矢は、後方の地面に突き刺さっていた。唖然とするガロルの目の前で、マリエラが大きく背中のえぐれた衣を引きずり、身を起こす。


 将軍をとっさにかばったのだろう彼女のむきだしの背中には、鉱石のやじりに引き裂かれた傷がななめに長く走っていた。


「ユーク、大丈夫?」


「ああ、何でもない。君のおかげだよ」


 将軍を、おそらく名前で呼んだのだろうマリエラは、複雑に盛った輝くような赤銅色の髪をゆらし、立ち上がる。


 兵士達は、まだこちらを見ている。マリエラは背中から流れる血を指ですくい、自らの口に含んだ。


 そのまま唇を赤く塗り、ゆっくりと、狩人に顔を向ける。


 すでに新しい矢をつがえていた狩人が、底冷えのするような殺気のはりついたマリエラの表情に、一歩下がった。


「天を焼く高き星の光。白く燃ゆる、光球の名の下に示す」


 マリエラが詠唱を口にした瞬間、はるか遠くで、どぉん、と、大地が揺れる音が響いた。


 それが何を示すのか、ガロルは知っている。顔が引きつり、脂汗あぶらあせが噴き出し、無意識に腰を落として衝撃に備えた。


 空気を裂き音を立てる稲妻のように、ごうん、ごうん、と、巨大なものの羽ばたきが、空を震わせる。


 兵士達が、狩人に背を向けて戻って来る。ガロルは立場も忘れ、狩人に叫んでいた。


「子供を手放せ! そなたにはもう守れない!!」


 狩人が反応する前に、ガロルとスノーバ軍の背後から、嵐のような暴風が一帯を襲った。


 枝を、葉を、火のついた油を吹き飛ばし、竜巻たつまきのようにうずを巻く風。


 それらが収まる数秒の間に、その場の全員の頭上に影が落ち、狩人と軍勢のはざまに、巨体が降り立った。


 逃げ遅れた兵士が何人か、着地する巨大な足に踏み潰される。


 生白い、女の素足のようなもの。牛の体ほどもある黒々とした爪はひび割れ、闇色の血液がにじみ出ている。


 ガロルは、改めて祖国を蹂躙した怪物を見上げた。骨の浮いた、餓死者がししゃのような体。骨の関節部は皮膚が破れて白い骨と、赤く輝く蛇のようなものがうごめき伸びている。


 背中の両肩甲骨を突き破って広がるのは、赤い蛇の群体ぐんたいだ。怪物は、これで空を飛ぶ。


 怪物、スノーバ人達が神と呼ぶ存在は、耳元まで裂けた亀裂きれつのような口から、赤ん坊の泣き声に似た咆哮を上げた。


 その口から、眼球のない二つの眼窩がんかからも、無数の赤い蛇がはみ出している。


 セパルカの砦から、戦慄せんりつの気配が届いて来た。コフィンの敗戦の経緯を直接知らぬだろう彼らは、今、隣国が敗れ去った理由を、目の当たりにしているのだ。


 神を喚んだマリエラが血を塗りたくった唇をゆがめると、神の足の間から見えている狩人を指さし、言った。


「神よ、生贄は、そこに」


 神が、再度地をゆるがせて、聞く者の正気をかき消すような鳴き声を上げた。

 けるような皮膚に覆われた頭部が、狩人の前でゆらゆらと揺れる。


 歯を食いしばってその光景を見つめるガロルに、戦斧をかついだマキトが横から声をかけた。


「馬鹿な女だね。マリエラは将軍の恋人でもある。好いた男を傷つけようとする者を、マリエラは許さない。兵に八つ裂きにされていた方が、まだマシな死に方だったのに」


「……恋人だと……?」


命乞いのちごいしても、もう遅い」


 神が、緩慢かんまんな動きで背を曲げ、狩人に暗い眼窩を向ける。

 不意に狩人がヘラジカの頭蓋骨を脱ぎ、それを背後に回した。


 見れば、狩人の背に隠れていた子供が何かわめいている。とび色の髪をした、男の子だった。汚れた麻服を着た彼はヘラジカの骨を持たされると、そのまま突き飛ばされる。


 ああ、とガロルは理解した。狩人は最後まで戦う気なのだ。


 長身の女体の上に載る顔は薄茶色の髪に縁取ふちどられ、まだ、若かった。


 いくつもの傷の走る顔が子供から背けられ、神を睨む。

 首を傾げる奇怪な巨人に、狩人は咆哮を上げて駆け出した。


 女の肉体が、ここまで力強く地を駆け、巨悪に向かうさまをガロルは見たことがなかった。狩人の人生を、人としての物語を知らずとも、その戦神のような頑強がんきょうな肉体が敵と戦うためのものであったことを、誰もが理解できるはずだった。


 神が、腕を振りかぶる。巨大だが細く、醜く、命のかよっているとも思えぬ腕。


 狩人の血と生命がみなぎった太い腕が、弓に矢をつがえ、引き絞る。


 神が手を叩きつけるのと、矢が発射されるのは、同時だった。狩人のいた場所に土煙が、まるで火山の噴火のように舞い上がり、地面が揺れる。


 ガロルは矢の行方を追った。


 狩人が死の間際に放った矢は、確かに神の眉間みけんに突き刺さっている。だが、それが何かの劇的な変化を生じさせることはない。


 神の眼窩から這い出る赤い蛇が、何匹か矢の突き立った場所に行き、流れ出る黒い血をなめただけだった。


 子供の泣き声が耳に届いた時、同時にガロルの前方に何かが飛来し、重い音を立てて地面に突き刺さった。


 神の一撃に弾き飛ばされた、狩人の弓だった。その先端に赤い血にまみれて輝く竜の鱗を見た時、ガロルは立っていられなくなり、地面に膝と手をついた。


 スノーバの幹部達と、将軍があざわらう声が聞こえる。神の耳障りな、赤ん坊のような鳴き声が聞こえる。


 救いは、ないのか。ガロルは目をつぶり、胸の内でつぶやいた。





 その日、ティオリネの森を焼き払ったスノーバ軍は、わざわざコフィンの誰もいない王都の通りを凱旋がいせんし、ルキナのいる王城に立ち寄った。


 戦斧の勇者マキトが名もなき狩人の無様で無惨むざんな死を即興そっきょうの歌にして語り上げ、狩人から救出・・した子供から取り上げたヘラジカの頭蓋骨と、竜の鱗のついた弓を、既にさらされていたフクロウの騎士の鎧のわきに置く。


 窓際で拳を握り締めて震えているルキナに将軍が嘲笑を向け、スノーバの軍勢は王城を後にした。


 取り残されたガロルと、子供が同様に石畳を見つめてうつむいている。


 コフィンの王城は、まるで処刑された英雄達の、墓標ぼひょうのようだった。

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