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四十九話 『返礼』

 正午。コフィンの兵士達が世界を焼く陽光から王都を守るため、石畳の道にあり合わせの材料で日よけの屋根を作っていた時。


 突如町中にがつがつと硬い足音が響き、一匹の奇妙な生き物が石畳を削りながら、作りたての屋根の下を駆け抜けた。


 仰天する兵士達の声を無視して、生き物は鋭い爪で石くれを弾き飛ばし、王城へと突き進んで行く。


 広場を突っ切り、目を丸くする門番の前でようやく土煙を上げて停止すると、生き物の背に乗った男が声を張り上げた。


「コフィン王国王女、ルキナ殿にお目通りを願いたい! 調教師ダカンの努力が実ったと伝えられよ!」





「――セパルカからの使者だと!?」


 汗だくの肌着姿のルキナが階段を駆け下りながら叫ぶと、その後を追うナギとガロルが交互にルキナに篭手や鎧の胴を差し出しながら応える。


「ダカンは無事に国境を越え、隣国セパルカにたどり着いていたようです! 書簡をセパルカ王に渡し、コフィンの現状とルキナ様の意志を伝えたと!」


「使者は北側の小部屋に通してあります、背の高い、手足の長い男で……セパルカの将校の鎧を着ています」


 ルキナは急いで鎧を着込みながら、使者の待つ部屋へと急いだ。


 小部屋の扉を開けると、先にダストの弟であるケウレネス・アラゴンが使者の相手をしていて、椅子に座った相手の杯に清水を注いでいた。


 使者の杯を持った方とは別の手には、黒革の手綱が握られている。その手綱は床に座り込んだ、巨大なロードランナー、地を走る鳥のくちばしに続いていた。


 セパルカ人が乗用に用いる、黒いとさか・・・を持つ牛ほどもある怪鳥。コフィンにおける大狐、ドゥーにあたる生物だ。


「悪く思われるな。セパルカ人は他国の貴人と会う時、己の『鳥』の手綱を握って席に着く。交渉が決裂し、剣を抜かれた時にすぐその場を脱出できるようにとの備えだが……半ば儀礼的な態度だ。そちらを警戒しているわけではない」


「……心得ている。先王ルガッサがセパルカ王と対談した時も、その鳥は部屋の中にいた」


「あなたは鳥に髪をついばまれて大泣きしていたな」


 使者が、長い腕を曲げて杯に口をつけながら笑った。


 ルキナはじっと使者のかさかさに乾いた顔の皮膚を見つめ、ナギが用意した椅子に腰を下ろす。


 切れ長の目をした、大きな男だ。赤みを帯びた髪は短く刈り上げられ、そのど真ん中に額に続く刃傷がある。


 ルキナは自分より二十は年上の使者に、首をかしげながら問うた。


「セパルカ戦役……と、我々は呼んでいるが……かつての戦争で、お会いしたか? 申し訳ないが講和会議の時にしかそちらの将校とは会っていないので、記憶があいまいで」


「ああいや、当時は自分は将校ではなかった。会議を遠巻きに見ていた兵士の一人だ。御存じないのも当然」


 使者の言葉に、ルキナはなるほどとうなずきながら一度咳払いをして、ナギに顔の汗を拭かれつつ、本題に入る。


「それで……我が国の特使、ダカンは今は?」


「セパルカの王城にて、ドゥーとともに保護している。かなり疲弊ひへいしておられたが、けが一つ負ってはおられぬ。御安心なされよ。

 書簡もしかと王に渡った。……苦労なされたな、ルキナ殿」


「何のこれしき、と言いたいところだが、正直かなり参っている。こちらの空の異変はセパルカからも確認できただろう」


「神話が滅ぼされた。例の、神とやらのしわざか……全く恐ろしい敵が現れたものだ」


 ケウレネスが、ルキナにも清水の入った杯を運んで来る。


 ルキナは清水を飲み干したいのを我慢して、一口だけ含んで舌をしめらせ、会話を続けた。


「時に、何故国境を突破して来られたのか。我が国の現状、スノーバの姿勢は書簡にしたためたはず……将校が一人で潜入して来るなど、あまりに無謀」


「それはコフィンの特使が命がけで国境を越え、我らに危機を報せてくれた故。セパルカ人はどのような時でも礼を忘れぬ。ならば同等の無謀をもって書簡の返事をするが、筋というもの」


 ルキナは使者の言葉に、とっさに鼻面を手で押さえて笑みを隠した。


 何たる蛮勇、何たる心地良き愚直さ。

 礼には礼を、憎悪には憎悪をまっすぐに突き返すのが、セパルカ戦士達の気質だ。


 好ましい……だが……かつてのセパルカ戦役が、そんな彼らの気質のために開戦を避けられなかったこともまた、事実なのだ。



 発端ほったんはセパルカの第二王子が、隣国コフィンとの友好を深める目的で、コフィンの重鎮達とともに北の山脈へ物見遊山ものみゆさんへ行ったことだった。


 男は勇猛ゆうもうさを、女は不屈の精神を美徳とするセパルカは、王子にたった二人の供だけをつけてコフィンに送り出した。


 コフィン側は大事な国賓こくひんに万一のことがあってはならぬと、五十人の兵士を護衛につけ、最上の礼をもって山脈を案内した。季節は夏。溶け残った雪のある山を避け、雪崩を警戒しつつ最も安全なルートを取った。


 歓待の経過は上々、山の頂上に行きたがる王子を珍しい草木や宝石の鉱脈で引き止めつつ、陽は順調に傾いていった。



 異変は、突如起きた。山間に馬のいななきがこだましたと思うやいなや、岩場の影から剣を持った男達が一斉におどり出て、一行に襲いかかって来たのだ。


 コフィンにも追い剥ぎや、ぞくはもちろんいる。だが数十人の徒党を組み、馬を乗り回して兵団を襲うような連中は未だかつていなかった。


 王都以外に大きな町のないコフィンで兵団と戦えば、身を隠す人里がなくなるからだ。


 人の少ない村に潜めば目立ってすぐに密告されるし、王都に潜めるはずもない。痩せた草原で身動きできなくなるのが関の山だ。


 つまり、一行を襲った賊はコフィンの人間ではない。おそらくは山脈の向こう側からやって来た、ごろつきどもだ。


 コフィンの兵士達はすかさず抜剣して応戦したが、セパルカの王子と二人の供は逃げることもせず、誰よりも先に斜面を駆け下りてくる賊に向かって行った。


 勇猛、蛮勇、それがセパルカ男子の美徳。


 笑顔さえ浮かべて戦う彼らに必死に追いつき、五十人のコフィン兵は円陣を組んで敵の攻撃をはばんだ。


 結果は、兵団側の圧勝だった。徒党を組み武装していても、所詮正式な訓練を受けていない賊どもは、日々己を鍛え国の剣として在る兵士達に半数以上を斬り殺され、敗走した。


 敵が背を向けたことで、誰もが一瞬、ほんの一瞬、気をゆるめた。


 その一瞬に、背を向けていた賊の一人が振り返り、妖精をかたどった柄を持つ短剣を投擲とうてきした。


 くやしまぎれの一撃を、兵士の一人が慌てて剣ではじく。


 瞬間、信じられないことが起こった。


 ぼきりと音を立てて、兵士の剣が折れてしまったのだ。賊を斬ったせいでいたんでいたとはいえ、ちっぽけな短剣とぶつかって根元から剣が折れてしまうなど、考えられないことだった。


 折れた剣先が、円陣の中央に飛び、何かに刺さった。兵士達が振り返ると、セパルカの王子がまるで魂が抜けたかのように、地に膝をつき、突っ伏す。



 彼の喉に刺さった剣が、地面と接触してより深く沈み込む音がした。



 事故。王子の死は、賊の襲撃後に起きた不運な事故だったのだと、王子の供のセパルカ人達は証言してくれた。


 しかしセパルカ王は息子の屍を前に、ただでは納得しなかった。


 コフィンの国王ルガッサが、賊がやって来る可能性のある北の山脈の観光を許したこと、さらに己の兵団がセパルカの王子を守れなかったことを謝罪すると、セパルカ王はゆるく首を振ってこう言った。


「第二王子の死がコフィンのせいでないことは承知しておる。八つ当たりをするつもりもない。コフィン人達が王子の死を心から悼んでくれているのは、よく理解している」


 物分りの良い冷静な言葉に聞こえるが、セパルカ王はここでコフィン人達が耳を疑うようなことを言い出した。


「しかしながら、王子の命を奪ったのが賊の剣ではなく、コフィン兵士の剣であったのは問題だ。セパルカの王族は、武において絶対の自信を持っている。王子が身構える間もなく味方の剣に殺されてしまったことは、冥府めいふにいる王子にとってはあまりに悔しく、悲しいことであろう。

 ならば親愛なるコフィンの人々は、王子の魂をなぐさめるために多少の骨を折ってくれる義理があるはずだ。違うかね」


 続く言葉は、コフィンとセパルカの歴史に残る惨劇を、あまりにたやすく呼び寄せた。


「戦争だ。憎しみではなく、王子への愛で応えてくれ。セパルカ王家の若き力を倒したコフィンと……尊敬の念をもって、戦おう」


 決定的な、考え方の違い。価値観の相違。


 それまで単に愛すべき隣人とコフィン人達がとらえていたセパルカ人達は、相手への好意と敬意を保持したまま、戦争を開始した。


 死者をなぐさめるために、命を捨てて殺し合う。戦争という行事を、亡き王子にささげる。


 コフィン人の誰もが理解できなかった。王子を刺したのがコフィン兵の刃でなければ、セパルカ王は戦争を決断することはなかったと言う。


 あまりに純粋な、武への信仰。


 かくしてセパルカ対コフィンの戦争は幕を開け、多くの死傷者と引き換えに数ヵ月後に終結した。


 講和会議に出席したセパルカ人達の、傷つきながらもまるで聖なる仕事をやり遂げたかのような顔つきを見て、ルキナは直感的に、彼らと自分は違う人種なのだと悟った。


 存分に戦い満足したセパルカ王が、敵であるフクロウの騎士を心からの笑顔でたたえたり、父王ルガッサと肩を組んで同盟を結び直したりするさまは、正直異様で、理解の及ばぬものだった。


 コフィン人の感覚からすれば暗愚あんぐ極まりないかの国の王は、しかしセパルカ人達から名君と慕われ、誇りとされている。


 セパルカ人というのは、良くも悪くも義理堅く、純粋な価値観を持つ民族なのだ。



 ルキナはそんな彼らの姿を思い出しながら、目の前の使者に「では」と言葉を向けた。


「セパルカ王から、書簡の返事を預かっておられるのか?」


「左様。ルキナ殿に直接伝えるよう、仰せつかっておる」


 伝える、ということは、手紙の類ではないということだ。


 ガロルやナギ、ケウレネスとともに身を乗り出すルキナに、セパルカの使者は杯を掲げ、にやりと笑って告げた。


「幸運を祈る。最後まで諦めるな。……と」



 数秒、間があった。

 目を細めて杯をすすり出す使者に、ルキナが薄く口を開けて、ぽかんとする。


「……その……使者殿」


「うむ」


「……それだけか?」


 もう一度「うむ」とうなずく使者に、ガロルが額に手を当て、笑い出した。


 たかが、それだけのことを伝えるために、将校をコフィンによこしたのか。


 響くガロルの笑い声に、遠慮がちなケウレネスやナギの声が続くのを聞きながら、ルキナは顔を伏せ、苦笑しながら、礼を述べた。


「激励の言葉……ありがたく、頂戴ちょうだいする」


「うむ」


 セパルカの使者は満面の笑みでうなずき、清水のお代わりを催促さいそくした。

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― 新着の感想 ―
風土がよほど厳しいんですかね、砂漠の遊牧民とかで。 死生観がガンギマリしすぎているというか、「信義と誇りなき生など無価値」的な。
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