四十七話 『塵の記憶 四』
悪しき偶然、悪しき運命。
ダストが刃を突き立てた場所にかつての魔王ラヤケルスの石室があったのも、二年間降り続いた雨で地面が軟化し、崩れやすくなっていたのも。
転落した場所に砂が積もっていて、衝撃を和らげ、命を失わずに済んだのも、全て悪しき運命の悪戯だった。
地下にいた魔王の遺物がけっして好戦的な存在ではなく、さらに洞窟の奥にあった碑文を、古代文字をダストが読み解くことができたこと。
……古代の魔王の主張が、ダストの心をゆさぶり、支配したこと。
生きて魔王の所業を引き継ごうと考えてしまったこと自体が、ダストにとっては、取り返しのつかないほどの悲劇だったのだ。
ダストは遺物と契約を結んで穴から脱した後、故郷の人々の棺を全て石室の中に下ろし、祭壇を設けて穴を隠した。
草の丈より低い、石の床。ダストは毎夜その場所に通い、石室の中でラヤケルスの知識と技法を吸収、実践し続けた。
魔王ラヤケルスの魔術は、全てが死者の復活、魂の復元を目的としたものだ。
それは屍を立ち上がらせることから始まり、動かすこと、喋らせることを経て、それらを自立的に行い、思考させるまでに至る。
屍の一部、たとえば骨や遺品などに影をまとわせ、生前の姿を偽装させる魔術も、全て死者の蘇生のための試行錯誤の産物だった。
ダストはそれらを寝る間も惜しんで習得しつつ、ラヤケルスが碑文の最後に刻んだ言葉を何度も読み返した。
『死者との再会を夢見て作り出したこれらの魔術は、しかしながら全て、単に物体としての屍を動かしているに過ぎないのではないかという、疑いを否定しきれない。私は娘の影を作り、一ヶ月間ともに生活してみたが、最後の最後で作り物感を感じてしまった。
影は私に笑いかけ甘えて昔話をするのだが、それらは全て私がエピソード中に登場するものばかりだった。つまり彼女は、私の記憶にある物語しか語れない。私が作った、娘の模造品だからだ』
ラヤケルスはこの影を含め、様々な媒体で娘を何体も作っていた。
遺物の中には娘の白骨が組み込まれているし、木を彫って作った人形に娘の人格を与えようとしたこともあった。
だがそれらの全ては、ラヤケルスを満足させるものではなかった。
ラヤケルスは自分が娘本人ではなく、娘に似た存在を量産していることに気づき、やがてこの世を去った娘の魂の居場所を探すようになる。
『肉体を離れた魂は、どこに行くのか。それを捕まえることができれば、死者を甦らせることができるのだろうか。死者の影を作り出す時、媒体に死者本人の骨や遺品を使うと上手くいくことが多い。これはきっと、魂のありかに関係しているはずだ。
魔術は、その仕組みを術者本人が完璧に理解して使用しているわけではない。自然を操る得体の知れない、強大な存在に対して、ひたすら願いを伝えて効果を得ている。願いがどんな力の作用の結果かなっているのか、それすら術者には分からないのだ』
碑文の最後の一行には、ラヤケルスの人生をかけた疑問が、細くかき消えそうな字で刻まれていた。
『私はこの世を去った人々に、いったい何をしてやれたのだろう――これから、埋め合わせができるのだろうか』
ダストが悪名高きラヤケルスの魔術などを研究しようと思ったのは、碑文に刻まれたラヤケルスの心情が、まるで鏡のように自分のそれと同じだったからだ。
失われた命を、魂を取り戻したい。彼らの死に際して自分が犯した過ちを、つぐないたい。
愛すべき人々に、何をすべきだったか……何を与え、何を言うべきだったか。
胸中に満ちる『答え』を、今一度彼らにぶつけたい。埋め合わせがしたい。
ラヤケルスは毒の雨の実行に自らも関わり、親しい人々を死なせる片棒を担いだことを。
ダストは飢饉に苦しむ村に、最後まで足を運ばなかったことを。
血を吐くほどに悔やみ、そしてほんの少しでも、つぐないたかったのだ。
「――魔術管理院から、密告がきた。お前が魔術に関する資料を密かに持ち出し、写本を作っているとな」
国王ルガッサがダストと二度目の対談をしたのは、飢饉が収束してから一年が経ってからだった。
コフィンはすでに、泥と腐肉にまみれた地獄から、曇天に覆われた痩せた草原の国に戻っていた。
死者の慰霊祭を明日にひかえた王城は、しんと静まり返っている。ルガッサはその静謐の中、長椅子に深く腰かけて、髪を真っ白に染めたダストを見つめていた。
「ダストよ。分かるか。破滅の足音がすぐそこまで近づいて来ているのが」
「……はい」
「私はお前のやることを見逃してきた。いや、協力して隠ぺいしたと言ってもいい。お前は相変わらず優秀な知恵者で、国の復興にも大いに貢献した。民の人気も、いまや私に並ぶほどだ。守る価値は、大いにあった」
ルガッサの右手には、重くぶ厚い鉄の剣が握られている。
鞘入りのそれで床をこつり、こつりと突きながら、ルガッサが目を閉じて、低く言う。
「だが、もはや限界だ。英雄ダストが民の心をつかむ一方、王城内の者達はお前の不審な行動と変貌に懐疑の視線すら隠さなくなった。いずれお前のしていることは、誰かに暴かれる」
「もう少し……なんですがね」
床を見つめるダストの言葉に、ルガッサが目を閉じたまま「何がだ?」と問う。
「何がもう少しなんだ? ダスト、お前はいったい、何をやっているのだ」
「話したら、今しばらく時間を頂けますか」
黙っているルガッサに、ダストはしばらく己の指先を見つめてから、秘密を、話し出した。
ルガッサの反応は、予想外のものだった。
閉ざされた目は魔王ラヤケルスやその碑文のことを聞いても開くことはなく、ダストがいかに己の『正しさ』を悔やんだか、恥じたかを吐露しても、微動だにしなかった。
ダストはルガッサに斬り捨てられるのを覚悟で、言った。
「私の行動原理は、国王であるあなたの前に現れた動機は、全て親父への嫌悪と復讐からでした。親父の前で出世して、ことあるごとに母の存在を思い出させ、彼にとって目障りな存在に成長することが願いでした。それ以外のことは、本当はどうでもよかったのです」
「……」
「ですが……そんな親父がしてきたのと、全く同じ仕打ちを母にしてしまった。自分一人が王都で出世して、母が、故郷が最も辛い時に帰らなかった。死ぬまで母の元に行かなかったのなら、それは母を捨てたも同然だ」
「お前が私情に負けて故郷に帰っていたら、どうなっていたと?」
ルガッサが、ゆっくりとまぶたを開けてダストを睨んだ。
「滅んだ村の数は、間違いなく倍にふくれ上がっていた。飢饉は長引き、お前のいる村は生き残ったかもしれんが……より多くの死者が、草原にあふれ返っただろう」
「私は全国民に責められ、村も汚名をかぶったかも知れない。ですが、陛下……それでも私は、母を、村人を見捨てるべきではなかったのです。ダストという男は、決してそれだけは、してはならなかったんです」
「魔王の碑文に、魅入られたか」
ルガッサが深くため息をつき、握った剣で自分の肩を叩いた。
「恐ろしい男だ。ラヤケルスというのは。勇者に討たれ、悪しき伝説となった今も……遺した言葉一つで、人間をこうまで狂わせる」
「陛下、私のことは見捨ててくださって結構です。しかし、せめてあと半月の猶予を……半月もあれば、ラヤケルスの魔術を完成させられるかもしれません」
「完成?」
目に瞬時に殺気を宿すルガッサに、ダストは斬るならここを斬れとばかりに、右手の指を互いの間にかざしながら話す。
「ラヤケルスの魔術は、つまり死者の魂ではなく屍を対象として行われていたから失敗したのです。死者の遺した屍に固執するのではなく、最初から死者の人格、魂に向けて呪文を唱えれば……そのための形式さえ整えれば、死者の蘇生は決して不可能ではない。
私はその考えのもとに、ラヤケルスの魔術を改良しているのです」
「魂を呼び戻すと言うのか。そんなことが……」
「きざしが、見えてきているのです。未だ成功はしていませんが、私の魔術は死者の霊魂らしきものを捉えかけています。これに魔術の効果を増幅させる『ラヤケルスの環』を組み合わせれば、きっといずれは……」
ルガッサが、突然長椅子から立ち上がり、ダストを見下ろした。
握った剣を、まっすぐにダストに突きつける。
ダストは目を細め、再び床に視線を落として、息をついた。
「……でしょうね。やはり、受け入れられませんか」
「当たり前だ。魔王の遺志を継ぎ、死者を冒涜する魔術を完成させようなどとよくもこの私の前で言えたな。
ダスト、今すぐお前の作った祭壇の場所を教えろ。私が兵をやり、魔王の痕跡をこの世から消し去ってくれる」
「嫌です」
短く拒絶するダストの肩を、一瞬にして鉄の剣が砕いた。長椅子から床に膝をつくダストに、ルガッサが火を吐くかのような形相で怒号を浴びせる。
「私がどれほどお前を大事に思っているか分からんかッ!! 知恵があるからではない、命の恩人の息子だからではない、長年の戦友だから、お前を悪の道に堕落させたくないのだ!!」
「……悪の道……?」
「魔王の妄言にまどわされるな! どんなに悲しくとも、辛かろうとも、人は愛する者の死を乗り越えねばならん宿命にあるのだ!
死を悼んでも覆してはならん! そんな解決法は断じて、誰の心も救いはせんのだ!!」
荒い息を吐くルガッサの背後で、不意にきしみを上げて扉が開いた。
はっとした表情で振り返るルガッサの前に、扉を開けて部屋を覗き込む、王女ルキナの姿があった。
彼女は教育係の貴族と、最近自身の直属の部下に抜擢した戦士、ガロルを背に、不安げな声で問う。
「父上、どうしたのですか? そんな大きな声でダストを怒鳴るなんて……」
「ルキナ、大事な話の最中だ。部屋に戻りなさい」
「……ルキナ様とて……」
ダストの声が、蛇のように床をのたくった。
「死んでいる王妃様より、動いている王妃様の方が、良いでしょうよ」
ルガッサが、蒼白になった顔をダストに向けるまで、長い間があった。
ぽかんとするルキナを押しのけて、彼女の教育係の貴族が部屋に飛び込んで来る。ダストを指さし、貴族は王城中に響くような声で叫んだ。
「亡き王妃様、ひいてはルキナ様を侮辱する言葉を吐くとは何たる不忠! ダスト殿、いかにあなたであろうとこればかりは許されることではありませんぞ!」
「ああ、男爵。ついでに俺は陛下に黙って魔術管理院から資料を持ち出し、写本を作っていたのだ。魔術の管理に関する法律は厳しい……極刑もやむなしだな」
ルガッサが獣のような声を上げ、貴族を突き飛ばし、ダストを蹴りつけた。
床に倒れるダストに馬乗りになり、胸倉をつかみ上げると、ルガッサは怒りで真っ赤になった顔をダストに近づける。
「この……馬鹿者が! よりによって娘と家臣の前で……何ということを……!」
「陛下、俺にラヤケルスの魔術を使わせて頂けないのなら……せめて俺の所業を、公にしてください。包み隠さず、全て。故郷の村のことも……何もかもを、国民に明かしてください。俺は大罪人で、英雄どころか王家を裏切っていたのだと」
「それが故郷への償いになると!? 国民がお前を軽蔑し、飢饉の悲惨さを忘れなくなるとでも言うのか!」
「もはや、英雄などと民に呼ばれて生きるつもりはありませんでした。死者の蘇生がならぬなら、仕方がありません……この身と引き換えに、故郷の消滅を人々の心に刻み込む。俺が見捨てた人々の死を、全国民に認識させる。
国が生き延びるために犠牲になった村があったことを、決して忘れさせないことが、俺にできる最後の贖罪だ」
ルガッサが、叩きつけるようにダストから手を離した。
「…………娘の前で亡き王妃を侮辱された。その上でお前を処罰しなければ、王の威信に傷がつく。自ら退路を断ったのだ……運命は決まったぞ、ダスト!」
「陛下、一切の情けは無用です。ごくふつうの罪人として、処刑を。さもなければ魔王の名が王家に汚れを残します」
ルガッサは、空気を振るわせるほどの声でもう一度「馬鹿者が!」と怒鳴り、鉄の剣を壁に投げつけた。




