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四十六話 『塵の記憶 三』

 飢饉の後、国の再建に奔走する王家の家臣達は、それまで以上に知恵者としてのダストを頼るようになった。


 草原に転がる死体の回収、腐った川の浄化、泥に埋もれた村の始末に始まり、畑の修復と拡大、民の環境衛生など、やらねばならぬことはいくらでもある。


 家臣達はことあるごとにダストに己の抱える仕事の資料を見せ、意見を求めては知恵を借りた。


 飢饉の最中よりは忙しくないとはいえ、決して手を抜くことは許されない、国の再生という大事業。


 だがダストはそんな中、一日のうち夜更けから明け方まで、誰にも連絡のつかない王城の外へ毎日のように出かけた。


 自分の仕事に関する指示はすべて部下に伝えてあるとは言え、王の腹心が毎晩王城を留守にするなどもってのほか。


 大方平民の女でも抱いているのだろうと元老院の議員達に詰め寄られると、ダストは目をそらしながらこう答えた。


「どうせ寝ている時間なら、王城にいようと外にいようと同じことでしょう。それこそ王城で侍女を抱こうが、城下町で売春婦を抱こうが結果は同じだ」


 議員達はその言葉を肯定ととらえ、国王の一番の知恵者は国の再建に向かうための睡眠より、獣欲を優先して夜遊びを繰り返している。王家の臣たる資格が果たしてこの男にあろうか? と、国王ルガッサに直接ダストをいましめるよう助言した。


 ルガッサはすぐにダストを自室に呼び、向かい合った長椅子に互いに腰かけ、一対一の話し合いをした。


 他の誰をも同席させない、まるで友に対するような対談だった。


「お前らしくない失言だな、ダスト。元老院の挑発に乗るとは……連中、鬼の首を取ったような態度だったぞ」


「私は元々彼らには嫌われていますから。議員数十名で成る助言機関としての元老院の意見を、陛下はたった一人の知恵者の意見と、平等にはかりにかけられます。

 つまり元老院議員からしてみれば、自分達ひとりひとりはこの私の、数十分の一程度の価値しか認められていないということです」


「……本当にどうしたんだ。お前はそんな、あからさまに人を侮辱するようなことは言わない男だった」


 ダストはルガッサの目を見ず、出された清水の杯に口をつける。


 ルガッサはそんなダストの顔をじっと見つめ、小さく「白髪が増えたな」とつぶやいた。


 ぴくりと手を震わせる相手に、ルガッサは太い血管の浮き出た腕を伸ばし、指先をダストの杯に重ねる。


 じっと自分を見つめるルガッサへ、ダストはどうしても目を向けられずに低い声を返した。


「私を処分なされる気ですか」


「まさか。お前は自分を何様だと思ってるんだ。我が国を最悪の飢饉から救った、英雄の一人だぞ。女を抱くために城を抜け出した程度でとがめるものか」


「あれは言葉のあやです」


「良い女か?」


「抱いてません。会ってません」


「若いのもしなやかで良いが、多くを心得ている年増も捨てがたい」


「ナギに張り倒されます」


 つい視線を上げたダストに、ルガッサがあごひげをなでながら、にやりと笑う。

 国王の手が杯を持つダストの手を、上から力強く握った。


「信頼している。お前達親子は、この国の宝だ」


 ずきりと、胸のどこかが痛んだ。


 苦痛の表情を見せぬよう、深く頭を下げて痛み入る様を装う。


 だが次に発せられたルガッサの声は、思いがけず低く、厳しい響きをおびたものだった。


「お前を、ドゥーで故郷に送った兵士が、みょうなものを見たと言っている」


 ダストの表情が、石のように硬くなる。


瀕死ひんしの神父を王都に連れ帰った後、暗くなっても戻らないお前を心配して再び引き返したのだ。お前は自分の足で帰ると言ったが、万が一のことがあってはと……気を利かせた」


「……」


「ドゥーを走らせている途中で……風景の中に、二本の木が見えたそうだ。夜の闇の中で、うっすらと長大な、木のようなものが見えた。兵士はけげんに思い、そちらへとドゥーを走らせた。

 すると……木のようなものは、まるで長い長い人間の腕の骨のような形をしていて、それらは両手でささげ持つように、一人の人影を宙に浮かせていた、と」


 杯が、ずるりとダストの手をすべって床に落ちた。

 ルガッサの目を見ると、その奥には燃えるような強い感情がみなぎっている。


 ルガッサが、再び口を開く。


「兵士には、この話を他言するなときつく言ってある。何故かわかるか?」


「さて……」


「骨の腕に乗っていたのは、お前だからだ。ダスト」


 ダストは無表情に、己の王の顔を見る。

 自ら戦や国難に立ち向かい、おびただしい傷跡を残した、名君の顔。


 己の、恩人の顔だ。


「我が家臣ダストが、どのような迷いにさらされているのかは知らん。だがそれを明かす気がないのなら、これだけは覚えておけ」


 ルガッサが、骨がきしむほどの握力で、ダストの手を握り締めた。


「お前の迷いがもしコフィンをおびやかすものなら、私は躊躇ちゅうちょすることなく、お前を斬る」


「……当然、でしょうな……それが国王たる者の正常な振る舞いです」


「だがな。私は、お前を信頼しているのだ」


 ルガッサが、ダストの髪を逆の手でつかみ、目を細めた。


「この信が、誤りでないことを祈る」


 ずきり、ずきりと、ダストの胸に痛みが走る。

 まるで心臓が締め付けられるような、呼吸さえ止まりそうな、痛み。


 極限の罪悪感が、激痛さえ引き起こすということを、ダストはその日、初めて知った。


 兵士が見たという、長大な骨の手。それとともがらの契約を結ぶために裂いた手の平の傷が、ルガッサの握力のために開き、細い血の流れをダストの腕に伝えた。

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