四十五話 『塵の記憶 二』
神父の保護を兵士に任せ、先に王都に帰らせた後、ダストは村人の棺をひとつひとつ開けて覗き始めた。
やまない豪雨の中、人間を火葬するための火を起こすのは大変な苦労だったに違いない。ところどころ焦げたりひびわれたりしている白骨には、燃やしきれなかった肉をそぎ落としたのだろう、何度も刃を当てた跡が残っていた。
白骨達の胸にはそれぞれの名を刻んだ、小さな石の板が置かれている。
ダストはそのひとつひとつに触れ、屍の空洞の眼窩を覗いて回る。
言葉はなかった。後悔も謝罪も意味をなさぬことが分かっていたからだ。
知人を、友人を、特に親しくなかった者を、死後に見舞い、視線だけをくれた。
やがて、ダストはふと、おぞましい想像をめぐらせた。
村人全員の屍を、こうまで綺麗に白骨にして整えるためには、いったいどれほどの体力が必要なのだろう。
ただ、じっと身を横たえて生き延びることすら困難な飢饉だった。
配給された食糧と緊急作物を上手くやりくりできなかった村は、腐った草原に人をやり、直接雨を浴びない丈の低い新芽や、生き残っている虫を捕って塩でいためて食った。
食えぬ泥エビに手を出し、狂った者もいる。そういった村人達のほとんどが、食うため以外の仕事を放棄していた。
放棄せざるを得なかった。
ならば、村人全員の火葬という重労働をこなした神父は、何を食べていたのだろう。
何故彼だけが、生き残ったのだろう。
……ダストは、自分の母親の棺を開けながら、別れ際の神父の様子を思い返した。
うつむいて、死んだ魚のような目をした彼は、最後にダストに一言だけ謝罪した。
すまない、と。
それはダストに吐いた言葉に対するものと考えていたが……本当は、それだけではなかったのかもしれない。
母親の、刃の跡の残った骨を見つめながら、しかしダストは、ふっ、と笑った。
「そんなわけないよな、母さん」
半壊した頭蓋骨に両手を当て、ほほを寄せながら、目を細める。
「泥にうもれた動物の死肉でもこそいで、焼いて食ってたんだ。きっとそうだ……」
仮に、違ったとしても。今更事実を追求し、暴く必要などない。
そんな資格などない。
ダストは白骨の感触を記憶に刻み込むと、やがて全ての棺のふたを閉め、教会を出た。
二年間降り続いた雨の気配は、空気に満ちる水気となって残っていた。
ダストは陽の落ちかけた青黒い世界の中、腐った草原を渡ってくる風に髪を揺らしながら、泥の中を歩く。
明日までには王城に戻らねばならない。ならば夜中のうちに、村人達の棺を埋葬してやろうと思った。
国王ルガッサに事情を話せば、彼は考える間もなく数十人の兵士をダストに貸してくれるだろう。
だがダストは、村人達を、母を、己一人の手で葬りたかった。
苦しむ彼らに差し伸べなかった手を、せめて彼らの墓穴を掘るために傷めたかった。
やがて足が泥でなく土の地面を踏みしめると、ダストはそのまま歩き続けて、景色の良い場所を探した。時折腐った死肉を踏みつけながら、ダストは灰色の空を眺め、進む。
十分も歩いたところで草原の果てに、青白い山々が見えた。
その頂には、細かい雪が舞っている。
腐った草や泥以外の、空に近い世界を見ることができるその場所を、ダストは埋葬場所に選んだ。
外套の中から鉄の短剣を取り出すと、足元の土を掘り始める。
すでに辺りは暗くなっていて、風も強まっていた。
灯りを用意すべきだったが、行動に移す気になれなかった。穴を掘るにも、村に引き返すにも、視界が利かねば困難極まりないというのに、今はひたすら土を掘っていたかった。
闇に呑まれてしまいたかった。
願わくばそのまま消えてしまいたいとさえ思った。
胸に満ちる感情が、罪悪感なのか、絶望感なのか、はっきりしない。
自分は一体これまでの人生で何をしていたのだろう、何を願っていたのだろう。
愛すべき人々の苦しみを冷静に眺め、そのまま死なせてしまった自分という人間が、ダストには今更ながら、どうしようもなくおぞましい存在に思えて仕方がなかった。
ひたすら土をえぐり、穴を掘る。全ての村人を埋めるために。この世にひとつしかない、故郷を構成していた人々を葬るために。
この世で最も愛していたはずの、母を葬るために。
――――もし……もしもダストが、それをなしていたならば。
墓穴を完成させ、村から一つずつ棺を運んでは埋め、全ての屍を眠らせることができていたならば。
ダストは己の過去に苦しみながらも、きっと死ぬまでコフィンの英雄という肩書きを、十字架を背負って生きただろう。
土を掘る刃が、突然地中に空いた深い穴に突き抜け、そのまま体ごと真っ逆さまに落ちなければ……
砂山に背中を打ちつけ、穴の底で異様な、巨大な怪異と出会わなければ。
ダストは、ただの罪深い愚かな人間として、生きられたはずだったのだ。




