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四十一話 『約束』

 アッシュが、咳き込むことすら忘れて固まった。


 喉を押さえたまま、丸く見開いた目を向けてくる彼女に、ダストはパンを飲み込みながら背を向ける。


「今なら比較的容易に国境を越えられる。スノーバの将軍は自分の周囲を固めるのに力を注ぐはずだし……国境警備の兵士も、完全に神喚び師から切り離されている。一度越境してしまえば、しつこくは追って来られないはずだ」


「待って。分からない。何を言ってるの?」


 コップを床に置き、背を伸ばすアッシュが、ダストの背中に声を投げる。


「国境を越えることなんかできないよ。近づいただけでスノーバ兵に捕まっちゃう」


「数日前に、ドゥーで国境を越えようとした者がいるらしい。コフィンの伝統的な騎乗動物だ……外に、俺のドゥーの影がいる。そいつに乗って行けばいい」


「待って」


「犬や鹿の影と一緒に越境を敢行かんこうすれば、目くらましにもなるだろう。スノーバ兵には弓を持った者がいない。同士討ちを避けるためだろうが、とにかくドゥーの機動力なら振りきれる」


「待ってってば!」


 アッシュがダストの肩をつかみ、大声を上げた。背を向けたままの相手に、アッシュは深呼吸をしてから、問いかける。


「昨日、スノーバの将軍に会って、何をしたの? どうして、無事に帰って来れたの?」


「……」


「……コフィンが本当の意味で滅びるって、どういうこと? ねえ、ダスト」


「俺が他のコフィン人達に何と呼ばれていると思う」


 ダストが首をひねり、白い髪の間からアッシュを見た。


「魔王だ。棺の魔王ラヤケルスに続く、歴史上二人目の魔王と呼ばれている」


 口を薄く開けて絶句するアッシュの手を振り払い、ダストは天窓から降り注ぐ、太い光の柱に手をさらした。


 空を焼く太陽に振り上げた拳を重ねると、それを睨みながら声を張り上げる。


「魔の者の王、魔術使いの王! 最も強力で邪悪な禁忌に手を染めた、最悪の冒涜者、それが魔王だ! 古代の魔王ラヤケルスの秘術を研究し、それを身に付けた俺を人々は恐れ、嫌悪し、その死を心から願った! 俺はコフィンの生ける災厄だ。君はそんな男と出会い、暮らしていたんだ!」


「ちょ……ちょっと……」


「コフィンを滅ぼす者は、この俺との対決も避けられぬ。国を支配するなら、国に潜む災厄をも屈服させねばならない。だから俺は昨日、スノーバの将軍に宣戦布告をして来た。

 ヤツのプライドをずたずたに引き裂き、神喚び師に危害を加え、連中の憎悪が俺に向かうよう大暴れをして来てやった」


 自分は魔王だ。その自白がダストという男のものでなければ、アッシュも冗談だと思ったに違いない。


 だが、アッシュは彼と出会った初日に見てしまっている。

 石の祭壇の中から、ダストの呼びかけに応えて現れた骨の手の群。

 三人の冒険者を一方的に殺戮さつりくした、魔王ラヤケルスの遺物を。


 あんなものを、この世のものとも思えぬ巨大な怪異を意のままに操るダストを目にしたなら、コフィン人達が彼を魔王と、恐れるべき天敵と認識するのも無理はなかった。


 ダストが振り返り、アッシュを見た。


「スノーバはモルグを殺し、この地から雨を奪った。そして水の輸出を条件にコフィン王女ルキナに服従を迫っている。人が生きていくために必要な水の供給権をスノーバに握られれば、コフィンは今度こそ終わりだ。将来水の自給に成功しても、それまでに国として不可欠なものを全てスノーバに奪い取られるだろう。

 コフィンはスノーバの、永遠の属国となる。そんなことは、俺の命がある限り断じて許さない」


「命がある限りって……」


「俺は、コフィン王家の知恵者としてつちかった全ての知力と、魔王として身につけた全ての魔術を駆使してスノーバを叩く。これは君が俺の前に現れる以前から決まっていたことだ……この家が敵に発見され、追われる身になったなら、スノーバの将軍達と最後の戦いをするつもりだった。

 そのための準備も進めてきた。だから……ここから先は、君には関係のないことなんだ」


 君は、違う未来に進めばいい。


 そう続けたダストの前で、アッシュはぺたんと床に座り込んだ。


 床に目を落とし押し黙る彼女に、ダストは深く息をついて、言う。


「国境を越える手段があることを黙っていて、悪かった。ただ、言い訳をさせてもらえば人間を運べるほどの、さらに国境の壁を越えられるほどの能力を持つ騎乗動物の骨は一つしか持ってなかったし……これは俺が、将軍に会うためにどうしても必要だった。すぐに君にやるわけにはいかなかったんだ」


「……」


「持っている動物の骨は、全部君の供につける。コフィンから離れて、どこか遠くの国へ逃げ延びてくれ。

 幸いコフィンの金貨が一袋家にある……使う機会などなかったが、腐っても金だ。よその国の通貨と交換すれば、生活の足しになる」


 ダストはそう言って火の消えた石窯に近づき、内側の石材を一つ、ごとりと取り外した。


 石材の隙間から真っ黒になった金属の小箱を取り出し、それをアッシュに差し出す。顔を背けるアッシュに、小箱のふたを開けてみせると、中から確かに袋入りの金貨が顔を出した。


「……金目のものはないって、言ってたくせに……」


「すまない。嘘だった」


「……勝てるの?」


 スノーバに。



 上目づかいに訊いてくるアッシュの手に小箱を持たせながら、ダストは表情を消して、少し間を開けてから答えた。


「一人の人間の行動が国の行く末を決めるなど、馬鹿馬鹿しい限りだ。だが……少なくとも、スノーバの頂点にいる馬鹿ども数人ぐらいは、片付けてやるさ」


「一緒に逃げようよ」


 声を震わせるアッシュ。だがダストは、即座に首を横に振る。


「ダメだ。一人で行くんだ。俺は残って戦う」


「無理だよ……いくら何でも勝ち目がないよ。絶対、死んじゃうよ」


「俺はもうほとんど死んでる」


 ダストが、自分の手の平に巻いていた布をおもむろにほどいた。


 アッシュに差し出される手にはナイフでつけた傷口がそのまま残っていて、かさぶたがほとんどできておらず、赤黒いどろりとした体液が一筋、指を伝って床に落ちた。


「昨日、立て続けに呪文を唱えすぎたらしい。ここ二年は魔術の使用は自重していたんだが……たぶん、戦えるのはあと一、二回が限度だ。それ以上は俺の体がもたない」


「……どういうことなの?」


「前に話したろ。あまりに絶大な効果を生む魔術の使用は、必ず何らかの代償が術者に求められる。

 俺は、ラヤケルスの秘術を使いすぎたんだ……だから髪も真っ白になってしまったし、皮膚の色も抜けてしまった。人体の生命エネルギーが、抜け落ちてるんだ。死を冒涜した代償に、生命力を失う。妥当だとうな報いではあるがな」


 ダストの言葉に、アッシュはただただ目の前の相手の顔をぼうぜんと見つめた。髪が白いのは、元からだと思っていた。ろうそくのような色の肌は病的な印象だが、綺麗でうらやましいとさえ思っていた。


 まさかそれらが、魔術の代償だったなんて。


「君に髪を編んでもらった時、髪を伸ばしてるのは、切ったらそのまま抜けてしまいそうだから、と答えたろう。俺の体は、人体が当然に行っている生命活動をいくつも停止しているんだ。傷もふさがりにくければ、あかもほとんど出ないし、爪が伸びることもない。体毛は少し伸びるが、抜けたら生えてこない。

 だから髪に刃を当てるのが嫌だったんだ」


「冗談でしょ……」


「俺がラヤケルスの魔術を使い始めたのはもう何年も前だが、以降俺の体に『代謝』だとか『成長』だとかの変化が目に見えて起こることは、ほぼなくなった。まるで、老いずに腐っていく、生ける屍だ。

 アッシュ。俺はすでに、生きて動いていること自体がおかしい状態なんだ」


 アッシュが、緩慢かんまんな動きで床から立ち上がる。自分を見つめるダストに、無言で金貨の小箱を突っ返した。


 ダストもまた黙って、小箱を押し返す。

 アッシュは歯を食いしばり、両手で小箱を拒絶し続けた。



 ……「関係ないもん」と、彼女の口が言う。



「生ける屍って、言葉として矛盾してるよね。生きてたら屍じゃないよね。ねえ、ダスト。そこまで屍に近い体になっちゃったんだったら、いっそ動けるとこまで動こうよ。ひょっとしたら骨だけになっても生きていられるかもよ。それって逆に凄くない?」


「……なんだと」


 ダストが、わずかに目の奥に怒りに近い色を宿した。だがアッシュは、それ以上に強い、まごうことなき怒りを顔中ににじませて、小箱を押し返す。


「こんなのいらないから、一緒に逃げようよ。でなきゃ、私もダストと一緒に戦わせてよ。ねえ、いいでしょ」


「アッシュ、分からないことを……」


「私に生きろって言ったくせに!」


 アッシュが両手を小箱から離して、ダストの胸を突き飛ばした。


 わずかによろめくダストの足元に、小箱と金貨が散らばる。


 静まり返る家の中で、アッシュの乱れた呼吸音だけが、苦しげに響いた。


 彼女は胸に手を当て、ややあって、深く息を吸う。


 自分を静かに見つめるダストに、ぽつりぽつりと、言葉を吐いた。


「さっきから……ダスト、なんだか……言い訳してるみたいなんだよね……大仰な言い方で自分は魔王だって言ったり……だからスノーバと戦うんだ、って……まるで気持ちが伝わってこないって言うか……」


「嘘だと言うのか」


「嘘じゃないだろうけど……でも、自分が魔術の使いすぎで死人みたいな体になったからって、ほんとに死んでも問題ないなんて……絶対おかしいと思うし」


 アッシュが、ダストを見る。


「なんだか、スノーバと戦う本当の理由を知られたくないみたい。……本当はさ……自分の祖国の、コフィンのために戦いたいんでしょ? 昔の友達や、王城の知り合いのために国を守りたいんじゃないの? そのために、命を捨てるつもりだから……私を逃がそうとしてくれてるんじゃないの……?」


 ダストはアッシュの台詞の途中からきびすを返し、数歩逃げるようにその場を離れ、背を向けたまま頭をかいていた。


 がりがりと大事な髪をかきむしる彼が、低く小声で「馬鹿な」とつぶやく。


「俺にそんな資格はないんだ。国のため、王家のため、仲間のため……そんな英雄じみたことを言う資格はない。俺はいつも……いつも、自分だけの都合で……」


「あっ、思い出した」


 不意に素っ頓狂な声を上げるアッシュに、ダストが丸く剥いた目を向ける。


 彼女はダストに無防備に近づき、「ほら、あれあれ」と人さし指でくるくる宙をかきまわす。


「前に約束したでしょ。ほら、ダストの過去、ダストの望みの話」


「……?」


「ほらあ、ラムライの花を摘みに行った時、確かに約束したじゃない。私がモルグの姿を見ることができたら、ダストの過去と、ダストの夢の話をするって。覚えてない?」


 あっ、と、そこまで聞いてダストもようやく思い出したらしい。

 アッシュは人さし指をとんとダストの肩に置き、その顔を下から覗き込むようにめ上げた。


「私、ちゃんとモルグの姿を見たよ。首だけだけど、確かにこの目で。だから今度はダストが約束を果たす番よね」


「約束って……」


「全部教えてよ。ダストがなんで魔王になったのか、なんでギロチンにかけられたのか、なんで王都を追放されたのか。それで、今、なんでスノーバと戦おうとしてるのか。正直な本音を聞かせてよ。その上で私、ダストの言うことに従うかどうか決めるわ」


「馬鹿、残ったら助からないと言ってるんだ。国境を最も安全に越えられるのは今夜いっぱいまでだぞ。明日になれば状況はより厳しくなる」


「ダストが私の立場だったら、死ぬかもしれない私を置いて一人で逃げられるの?」


 顔を引きつらせるダストに、アッシュが顔を寄せて、懇願こんがんするように言った。


「お願い。事情も分からないまま一人だけ逃げるなんてできないよ。もし……もし私がいない方がダストのためになるって分かったら、言うことを聞くから」


 しばらく押し黙っていたダストが、やがて再び髪をかきむしり、歩き出した。


 不安げな視線を向けるアッシュに、ダストは返した手の平を振って、言う。


「ついて来い。俺達が最初に会った、石の祭壇に行こう。そこに答えがある」

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