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四十話 『日常』

 邪悪な性質を持つ神、あるいは悪魔や魔物を従者として従える存在を、人は魔王と呼ぶ。


 命尽きた屍の群を操るラヤケルスの姿は、古代コフィンの人々の目に、まごうことなき悪の魔王として映ったに違いない。


 だが彼らは生物を生きながらに操り人形に変え、隷属させる勇者ヒルノアの姿を目にしたとしても、同じように彼を魔王と呼んだだろうか。


 忌み嫌い迫害はしたかもしれない。


 だがきっとヒルノアは最後まで勇者のままで、魔王とは呼ばれなかっただろうと、ダストは思う。


 ことの発端が毒の雨にある以上、一連の悲劇の悪役はラヤケルス一人でなければならないのだ。


 毒の雨の魔術を国民の総意の下で使用しただとか、そのせいで多くの死傷者を出し、ラヤケルスが魔王への道を選んだだとかの事実は、決して歴史に残してはならない。


 魔王ラヤケルスが、ひたすら己一人の悪意と欲望で悲劇を展開し、コフィン国民はそれに巻き込まれた。そんな筋書きでなければならないのだ。同様に勇者ヒルノアも、コフィン国民や王家の都合で不死の巨人を生み出したのではない。ヒルノア自身の都合で、魔王を討ったのだ。


 ゆえに、ヒルノアの所業を人々が知ったとしても、不死の巨人の関連は隠滅されるか、さもなくば見栄えのいいように歪めて歴史に残されただろう。


 魔王はひたすら醜悪で、勇者は是が非でも清く正しくなければならない。


 全ては人々が、毒の雨の罪から逃れるため。



 だが、結局のところ……ラヤケルスもヒルノアも、他のコフィン人達も、同等に魔王と呼ばれるに十分な禁忌に手を染めたのだ。


 生命を冒涜し、操作しようとした。種を絶滅させ、世界を手にしようとした。


 古代コフィンの物語には、善玉などいない。


 善玉を必要とする罪人達と、その生贄になった二人の男がいるだけだ。



 そして今、生贄達が遺した悪の遺産が、コフィンを戦場に変えている。


 ヒルノアの遺産を彼の子孫達が、ラヤケルスの遺産をダストが手にし、対峙している。


 現代における勇者と魔王の戦いにも、やはり善玉などいない。

 互いに己の欲望と、意地のために、罪を犯し続けているのだ。






「……ああ……」


 朝。草のベッドから起き上がったアッシュが、目の前の床に小さな骨を見つけて声を上げた。


 天窓から落ちたのだろう、背骨からぽっきりと二つに折れた骨は、ヤモリの全身骨格だ。


 ダストの魔術の効果が、眠っている間に切れたのだろうか。

 そっと骨を手に取り、青い火の粉の消えた眼窩を覗き込む。


「ずっと動けるわけじゃないんだ……うん……お疲れ様」


 何となしにさみしい気分になり、ヤモリの骨をねぎらい、草の上に置く。


 昨夜は家に動くものが多かったおかげで、不思議といつもより安心して床につけた気がする。動物の白骨の群であろうと、多くの味方に囲まれているという実感が、不安を小さくしてくれたのだ。


 どうせなら、起きた後もいてくれればいいのに。


 昨晩異様なモノ呼ばわりしていたことも忘れ、ほう、とため息をつくアッシュ。


 次の瞬間、便所の扉が勢い良く音を立てて開かれ、尻を拭くための木の葉の束が宙を舞って壁に叩きつけられた。


 びくりと全身を跳ねさせるアッシュの前で、便所から音もなくミミズクの影が飛び出し、次いでダストがそれを追って現れる。


 床に落ちた木の葉の束を拾い上げ、「馬鹿者がッ!」と再びミミズクの影に投げつけた。


 ミミズクはひらりと木の葉をかわし、棚の上に避難する。


 流れ弾の木の葉がアッシュの顔面に命中し、ぶわっとさわやかな香草系の香りが広がった。木の葉は尻を拭くために厳選されたものなので、やわらかく優しい感触で顔を包み込む。


 しかしながら、しょせん便所に置いてあった尻拭き用具だ。


 ばさりと落ちる木の葉を見つめて、アッシュは顔を引きつらせる。


「……わあ、なんて香り高い目覚めでしょ。さわやかなお手洗いの臭いがいっぱい」


「礼はいらん。この不良ミミズクめ! すっかり油断していた!」


 さらっと流したダストが、棚の上のミミズクをぎろりと睨んだ。


 くるくる首を回転させるミミズクの影。その向こう、開きっぱなしにされた便所から、黄色く輝くものがひらひらと漂い出て来るのを見つけて、アッシュが首をかしげ、指さす。


「ねえ、何か出て来てるけど……」


「大変だ! 便所虫が逃げる! 者どもかかれ!!」


 ダストの号令と同時に、石窯の影や棚と棚のすきま、ダストのベッドの中から、犬や鹿、ネズミの影がいっせいに飛び出す。「あれ!?」とすっとんきょうな声を上げるアッシュの目の前で、真っ先に黄色い浮遊物に飛びかかった犬の一匹が、頭蓋骨の牙を剥いて浮遊物を口中に捕らえた。


 尻尾を振って寄って来る犬にダストが「でかした!」と笑みを向け、慎重に頭蓋骨から浮遊物を取り出す。


 アッシュは立ち上がり、彼らに歩み寄りながらダストの手元を覗き込んだ。


 黄色く輝く蝶のような、しかし大きなあごのある虫が、ダストにつままれてジタバタもがいている。


「あの、何これ。『便所虫』って?」


「我が家の便所を清掃してくれている益虫だ。便所穴の奥に飼ってるんだ。鳥類が天敵で、襲われるとパニックを起こして穴から逃げ出す」


 ダストが、じろりと棚の上のミミズクを睨んだ。「貴様は出入り禁止だ! 外で地虫でもつまんでろ!」と怒鳴られると、ミミズクは音もなくはばたき、草のカーテンを頭蓋骨で押し開いて素直に外に出て行く。


 大事そうに便所虫を運び、穴に帰すダストに、アッシュは周囲の犬と鹿の影を眺めながら問いかけた。


「この子達もごはん食べたりするの? 骨だけなのに?」


「俺が具体的な命令を出していない時は、生きていた頃の習性が行動に出るんだ。ラムライの花を欲しがったネズミの影を見ただろ。彼らの中身……性質は、ごくふつうのネズミや犬だよ。術者の俺に隷属して、なついてるだけだ。

 もちろん食い物を消化する能力はない。本能だけでエサを求めてる」


「私にもなついてるように見えるけど」


「それは、俺が彼らを動かす時に君に危害を加えないよう言い含めたからだ。敵味方の指定を呪文につけ加えてある。寝てる間に襲われたりはしなかったろ」


 便所の扉をしっかりと閉め、息をつくダスト。アッシュはその、編み上げる途中で放り出されたらしい髪を見下ろしながら、ぷっ、と笑った。


「ダストは、私と会う前もこんなふうに動物の骨を動かして暮らしてたの? 確かに一人でいるより、にぎやかで楽しいね」


「まさか。彼らを動かしたのは数年ぶりだよ。ほこりをかぶってた標本をわざわざ持ち出して来たんだぞ」


「標本?」


「俺がコフィンの王城を追放される時に持ち出した、自作の資料だ。コフィンは飢饉や天災のたびに生き物の種が減って、歴史上多くの生物が絶滅してしまった。だからその骨格標本を残して後世に伝えるんだよ。

 たとえば、この種の犬はもうコフィンには生き残っていない。飢饉で全滅してしまったからな」


 犬の頭蓋骨に手を乗せるダストに、アッシュは眉根を寄せる。この種の、と言われても、骨だけではどんな種かちっとも分からない。


「さっきのミミズクだってそうだ。コフィンにはもう生きたミミズクはいない。いるのはフクロウだけだ。

 とにかく貴重な標本なんだが、丸腰で王都に行くわけにも行かなかったからな。魔術の媒体になってもらったんだ」


「あっ! そうだ! 何か色々ゴタゴタして訊き忘れてたんだけど……」


 声を上げたアッシュが、直後に頭を抱えて「あー……」と悩み始めた。


 首を傾げるダストに、アッシュは髪をかきながらに言う。


「二つ質問があるんだけど、どっちから訊けばいいかしら」


「気になってる方から訊きなさい」


「うん。あのね、さっきヤモリが床に落ちてたんだけど」


 アッシュが草のベッドの上に置いた、ヤモリの骨を指さす。


「あれって、ダストの魔術の効力が切れたんだよね」


「ああ、たぶんな」


「でもこの、犬や鹿達は動いてるよね」


「俺の魔術の効力には個体差があるんだ。用が済めばすぐにただの屍に戻るやつもいれば、放っておくとずっと動き回ってるやつもいる」


「そう言えば最初に伝言を伝えたカエルは、すぐに崩れちゃったっけ。個体差ってなんで出るの?」


 ダストが黒い従僕達の間を通り、石窯の方へ歩き出す。すっかり冷えた鍋の水をコップに注ぎながら、小さく「分からん」と答えた。


「この屍を動かす魔術は、ラヤケルスの研究していた人を蘇生させる魔術の副産物、出来損ないなんだ。生き物の屍、あるいはその一部に生前と同じ動きをさせ、操るわけだが……たとえば石や棒切れに対して『浮け』とか『飛んで行け』と命じる魔術は、命じたこと以外の結果は起きない。石は浮き上がった後自然に地面に落ちるし、棒切れも狙ったところに飛んで行った後は、ただの動かない棒切れに戻る」


「物に『動け』って命じてるわけね」


「見えない力で石を持ち上げたり、投げたりしているようなものだ。石や棒切れに意志があるわけじゃない。ところがラヤケルスの魔術で動かした屍は、命じたこと以外の行動も取る。

 何故ならこの魔術は正確には屍に単に『動け』と命じているわけではなく、『生き物の形をなして甦り、命令に従え』と言っているからなんだ。死んでいる者に復活しろと呼びかけている」


 ダストが音を立てて水を飲み下し、さらにお代わりする。


 その足元を、犬がのそのそと通り過ぎて行った。


「呪文の文言は『形をまとえ』という漠然としたものだが、術者が求める効果を強く意識していれば、それで一応魔術の効果は得られる。つまりだ。俺が使っている魔術は、屍と影で仮の肉体をこねあげ、その肉体に屍の持ち主の魂を呼び戻そうという、不完全な死者蘇生の術なのだ」


「……つまり、この子達には魂が、意識があるってこと?」


「さあ、そこのところがはっきりしない。魔術を開発したラヤケルス自身も悩んでいたようだよ」


 いまいち要領を得ないダストが、二杯目の水を飲み下し、さらに水を注ぐ。


 少々飲みすぎではないかと思ったアッシュに、ダストが三杯目を差し出してきた。


 ああ、注いでくれたのかとコップを受け取ると、ダストは鍋を直接口に持っていき、残った水を飲み干す。


 ぽかんとするアッシュに、ダストは口元をぬぐいながら話を再開した。


「そもそも、屍に甦れと命じて動き出したからと言って、その中身が死者本人かどうかなど分からないじゃないか。ラヤケルスはこの魔術で人間の蘇生も試みたが、満足いく結果は出せなかった。

 動き出した屍は確かに生前と同じ性質を持ち、死者と同じように振る舞った。だがそれは、ひょっとしたらただの物体としての『骨』が、死者のマネをしているだけかもしれないんだ」


「な、なんだかややこしいね……」


「祭壇の『遺物』も同じだ。動き、話し、笑えと命じられて反応を返すのは、あくまで屍であって死者ではない。ラヤケルスは死者のマネをするむくろとたわむれたかったわけじゃない。失われた、故人そのものと再会したかったんだ」


 ダストが、鍋を置きながら「話が長くなったが」と人さし指を立てる。


「屍を操る魔術は、ラヤケルス自身にも効力の実体が分からない、未完成の魔術だということだ。この影をまとった白骨達が、甦った動物達自身の魂を持っているのか、それとも限りなく本人達に似せて作られた魂のない物体なのかは、分からんのだ。

 少なくとも用が済めば勝手に崩れてしまうようなケースがある時点で、完璧な蘇生とは言いがたいしな」


「結局寿命の差の理由は分からないってことかあ……」


 アッシュが、自分に頭蓋骨の眼窩を向けて、床でくつろいでいる鹿をしみじみと眺めた。「で」とダストが石窯のそばのパンの袋を開けながら、首を傾ける。


「二つ目の質問は何だ?」


「ああ、そうそう。昨日はほんとに色々ありすぎて訊くの忘れちゃってたんだけど……ダスト、どこ行ってたの? 私を城門前に残して、いきなり消えちゃってさ」


「スノーバの将軍に会いに行ってた」


 パンをかじりながら言うダストに、アッシュが飲みかけていた水を吐き出した。


 咳き込む彼女に視線もくれずに、ダストがパンを咀嚼そしゃくする。


「噂には聞いていたが、嫌なやつだな。ああいう輩は生理的に受け付けん」


「せ、生理的って……冗談でしょ!? 自殺行為だわ! スノーバのトップに直接会いに行ったなんて!」


「時間がないからな。急がねばコフィンが本当の意味で滅びてしまう。……アッシュ、起きて早々にこんな話をして悪いんだが」


 ダストが、横目をくれて、告げた。


「夜までには、この家を出てくれ。荷造りをするんだ。ここで、お別れだ」

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