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四話 『竜面の娘』

 女が目を覚ますのを、青年はまたがった木椅子の背もたれに両手を預け、あごをのせた姿勢で見守った。


 長いまつげがぴくぴくと震え、まぶたがゆっくりと、小さく開いては閉じを繰り返す。


 日焼けした小麦色の膝下や腕や喉よりも、薄い色の顔を見て、青年はこれはなんという色だろう、と考える。


 日焼け部分よりは白いが、完全な白と言うには色が濃い。自身がろうそくの様に真っ白な青年は、女の肌を狐の毛皮の薄いところの色とすべきか、熟した麦のの色とすべきか、決めあぐねていた。


 不意に石窯いしがまにくべたまきが、ぱちぱちっ、と音を立てる。


 女のまぶたがぐっ、と完全に開き、ごろりと顔が青年の方を向いた。


 髪の色は間違いなく黒だ。ゆるく波打つ髪の筋を眺めながらうなずく青年に、女はややあって、喉をふくらませながら口を両手でふさいだ。


 悲鳴をみ込んだのだと理解すると、青年は女を草のベッドに残して立ち上がる。


 石窯へ歩み寄るとそばに落ちていた厚い皮の手袋をはめ、火の中の鉄鍋を取り出した。


 ぐつぐつと煮える湯を手に女を見ると、女がねるように身を起こして壁際にうずくまった。


「やめて! ひどいことしないで!」


「ひどいことをするつもりなら、意識がない内にやってるよ」


 青年は軽く流して鍋を手にテーブルへと歩く。すでに出しておいた金属のコップに濃い緑色の湯を注ぐと、それを手に、鍋をテーブルに放置して女へと近づく。


 女は壁際に無数に並ぶ戸棚の一つにすがりつきながら、あごを引き、とび色の目で青年をおそるおそる見る。


「……何ではだかなの」


「上半身だけだ。雨に濡れたから着る物がない」


「男だったのね」


「どうだろう。胸のない女性かも」


「どっちなの?」


「そう問われれば男だと答えよう。……どうぞ」


 コップを差し出すと女はますますあごを引き、立ち上る湯気ゆげから顔をそむける。


 毒だと思っているのだろう。無理もない。どろどろと緑色ににごっていて、しかも甘い臭いがするのだから。


 青年は薄い唇をコップにつけ、一口飲んで見せた。


 ごくりと喉が鳴ると、女が上目づかいに様子をうかがう。


 彼女に一度肩をすくめて、押しつけるようにコップを渡すと、青年は皮手袋を放り捨ててその場にあぐらをかいた。白い左手の甲に走る刃物傷に、女が一瞬目を向ける。


 じっと自分を見つめ続ける青年の視線に、女はやがて、ゆっくりと湯を口にふくんだ。

 とたんに女の目が見開かれ、一瞬の間の後、ふうふうと息を吹きかけながら二口目、三口目を飲み下す。


 青年は上下する小麦色の喉を眺めながら、ほんのわずかに笑みを浮かべて言った。


「薬湯だ。おいしいだろう。コートリという花の甘い蜜をたっぷり入れてある。本来は内臓をただれさせる猛毒だが、沸騰ふっとうさせればほとんど害はない」


 女がごふっ、とコップの奥で音を立て、むせた。


 コップを床に置き、あごをぬぐう女が、その時になって始めて自分が見知らぬ真っ白な布服を着ていると気づいたらしく、胸の辺りの生地をつまみながら顔を上げた。


「これ……あなたの?」


「うん。ふだんは一張羅いっちょうらの外套しか着ないんだが……家の中をひっくり返して、ようやく一枚着替えを見つけた。寝巻きに使おうとして、具合が悪かったやつだ」


「自分の着る物がないのに……ごめんなさい」


「別に。俺は服が濡れたらいつもこのかっこうだ。誰が訪ねてくるわけでもないし。……世話をしたことを恩に思う必要はないぞ。好きでやったことだ」


「でも、見ず知らずの人にこんな……」


「そう、見ず知らずの君を着替えさせるのは楽しかったよ」


 笑みを消して真顔で言う青年に、女はぽかんとした後、やがてみるみる頬の下から赤くなっていく。


 楽しかった、と言っておきながら、青年はさもつまらなそうに髪をいじり、言葉を続ける。


「濡れた服を脱がせて、体を拭いて、尻の傷を手当てした。布服を着せてベッドに寝かせ、起きるのを待っていた。ところで、内股にヒルがついていた。雨の草原を走る時はもっと肌を防御した方がいい」


「あああ! ひどいっ! そんなところまで!」


「濡れたまま、傷をほうったまま、ヒルをつけたまま寝かせておけば病気になる。たとえ死すとも夫以外に肌はさらさないという主義なら、そうふだに書いて首に下げておくべきだ。亭主はいる? 恋人は?」


 女は青年の言葉に、赤くなった顔でうーうー言いながら「いません……」と口をとがらせた。


 青年はそんな彼女の様子に、ふっと再び笑みを浮かべて立ち上がる。


 木椅子をテーブルのそばに引きずって行く青年。女はまだ顔が火照ほてっていたが、だいぶ緊張が解けてきたらしく、室内を観察する余裕ができたようだ。


 周囲に視線をめぐらせて「家……よね?」とつぶやき、立ち上がりながら、椅子に腰かける青年に声を放る。


「ここ、どこかの町の中なの?」


「未だ草原の真ん中だ。古代樹……大昔に倒れた大樹の中をくりぬいて住居にしている。風の通りにくい場所にあったので、原形をとどめていた。かなり補強はしてあるが」


「あれは何? 天井の明かり取りの窓みたいなの。黒い線が走ってるけど」


「昆虫の透明な羽を薬液につけて固めたものだ。雨をはじくが、老朽化ろうきゅうかするので一年に一度張り替える」


「……じゃあ……あなたは、誰?」


 テーブルの端に載っていた本を開いた青年が、ちらりと女を見た。


 女は胸のふくらみを左手で持ち上げるようにして、心臓をかばっているように見える。


 青年は少し考えて、本のページに目を落としながら言った。


「先に君の素性を聞こう。はだかを見せ合った仲だ、今更恥ずかしくもなかろう」


「別に見せたわけじゃありません! 早く忘れて!」


「まずは名前から」


 ほおづえをついて片目を閉じる青年に、女はぐっと喉を詰まらせてから、ぶすっと目を床に落として答える。


「アッシュ。アッシュ・ボーン。東の、バースって国から来たの」


「聞いたことのない国だ。遠いのか?」


「海の向こう。船で三ヶ月で大陸に着いて、そこから歩いて三ヶ月……深い谷をいくつも越えた先の、山あいの国よ」


「計半年の行程か。数日の船旅で命を落とす連中もいるというのに、何故そこまでして未来のないこの国に来た?」


 女、アッシュは布服のすそをいじりながら、うつむいた。頭を動かすと、髪の筋が螺旋らせんの形を描いてゆらゆらと揺れる。


 ぽつりと、声が床に落ちた。


「夢だったから」


「……夢? コフィンに来ることがか?」


「この国の竜を見るのが、夢だったの」


 青年が顔を上げ、アッシュを見た。眉根を寄せて視線を返す彼女に、「まあお座りよ」とテーブルの端を指さす。


 アッシュはゆるく首を振って、虫の羽で作った天窓の方へ行った。

 客人を想定していない住居には、椅子は一つしかない。


「この国には、たくさん冒険者がいるでしょ。私を追いかけた三人組みたいな」


「ああ、スノーバの入植者だ。兵士でもないくせに自分の国を出て、侵略中の国に引っ越そうという連中は、まあ大半が冒険者だろうよ。自分の国に居場所のない者、定職を持たない者、暴力を好む、略奪者」


「……冒険者が嫌いなのね」


「コフィンの人間はみなそうだ。冒険それ自体を楽しみ、未知の場所、未知の国を求めてどこまでもやって来る。そして自分が冒険を楽しむためによその国の獣と戦い、狩り尽くし、秘境を暴き、文化と宝物を持ち去る。獣と秘境がなくなれば、次は何かと理由をつけて人間に標的を定め、略奪をする。冒険者は我々にとって、敵と同義だ」


「私も冒険者なんだ」


 横目を向けて言うアッシュに、青年は悪びれもせずに「だから?」とく。


 アッシュは降り注ぐ光に手を遊ばせながら、空を見上げて続ける。


「両親も冒険者だったの。でも、ちかって言う。二人は略奪者でもなければ、戦いを好む人でもなかった。ただ自分の知らない景色、知らない世界を見て知識を収集していたかっただけの、ふつうの人達よ。旅をしては別世界のことを文字や絵で記録して、本にして売っていた。ただそれだけが生きがいの人達」


「……知識の探求者というわけか」


「そんな二人は、冒険から帰るたびにおばあちゃんと留守番をしてた私に、旅先の色んなことを話してくれたの。その内容があとで本になって、国中の人に読まれる。私は、誰よりも早く両親の話を聞けることが、一番の誇りだったの」


 話を聞きながら、青年は本をぱたりと閉じた。


 アッシュがそんな青年に目を向けぬまま、光の中で息をつく。


「そんな両親が最後に出した本が、はるか西の大陸の空を舞う、竜の物語。灰色の空に覆われた草原の国に飛ぶ竜は、雲を裂き、風を呼び、稲妻をまとって雨を降らせる。その国の人々は竜をあがめ、神として信仰の対象にしているって」


「なるほど。確かにコフィンの話らしいな」


「両親はそのことを書いたせいで処刑された」


 青年の眉が、ぴくりと動いた。アッシュが両手を下ろし、虚空こくうを見つめる。


「私の国は、ただ一人の神様をあがめる国なの。特に今の政府は宗教色が強くて、国教以外の他の宗教の神様は、全部偽者の悪魔だって言ってる。両親は竜の神様の本を出したせいで、異端者扱いされて殺されちゃった。ただ、この国の人が竜を信じてるって、事実を書いただけなのに。全部嘘だって言われて、本も全部、焼かれちゃった……」


「どこの国も同じだな。コフィンも今、スノーバの神に侵略されている。結局、自分の崇拝対象以外を認められぬ国が、世界に死を振りまく」


「でも私は両親の話を信じる。だって二人は……ああっ!!」


 突然声を上げたアッシュが、顔をぱたぱたと叩いて青年を振り返った。きょとんとする青年に走り寄り、「兜は!?」と問う。


「ない! 兜がないよ! 外しちゃったの!?」


「今気づいたのか……? 薬湯を飲んだじゃないか。着替えの時にもちろん脱がせたさ」


「返して! あれすごく大事なものなの! 両親が西の竜の顔を鍛冶師に彫らせた形見……」


 後ろ手に戸棚を開けた青年が、その兜をアッシュの顔に押しつけた。あぐ、と妙な声を上げたアッシュが、それでもほっとした顔をしていそいそと兜をかぶる。


 青年はその、勇ましい竜面を眺めながら、あきれ果てた声を向ける。


「喉の日焼け跡を見るに、その兜はしょっちゅうかぶってなきゃならん物らしい。外すのは食事と寝る時だけか?」


「だって、誰かに盗まれたら困るし……竜と会った時、すぐに答え合わせができるもの。その竜が確かに両親の見た竜だって」


「つまり、君は両親の名誉のために自ら国を出て、海を渡り、コフィンにやって来たわけだ。そして天空竜モルグの姿を目に焼き付けようとしていると」


 こっくりとうなずくアッシュに、青年は腕を組んでため息をついた。


 勇気と行動力はたいしたものだが、そのあげくが腹を空かせて銅貨を拾い、同じ冒険者に追いかけ回されたのではしょうがない。


 兜をいとしげになでながら「モルグって言うのかあ、竜の名前」とのんきに言うアッシュに、青年は声をやや低くして言う。


「モルグが姿を見せるのは雨が降る瞬間、雷鳴がとどろく時だけだ。それもどこででも見られるわけじゃない。それに、時期が悪いのはじゅうぶん分かっているはずだ」


「……でも」


「この国は、侵略されている最中なんだ」


 滅びる寸前なんだぞ。

 そう続ける青年に、アッシュは視線をテーブルの木目に落とす。


「……どうせ、もう国には帰れないもの。おばあちゃんは旅に出る前に死んじゃったし、待ってる親戚もいない。国境にはスノーバの兵士がいるし、他の場所に行くこともできない。せめて竜の顔だけは見ておきたいって思って……」


「夢の代償だいしょうがよその国のいさかいに巻き込まれての死とはな。君はそれで本望ほんもうなのか。だとしたらとんだお笑いぐさだ」


「そんな!」


「この国の人間は、自分の国で生きることもできない」


 青年の言葉に、アッシュは言葉を失い、またうつむいてしまう。


「あらゆる尊厳が危機にさらされている。スノーバ軍の暴虐に、冒険者達の暴力に、またやつらが招いた食糧難に誰もが苦しみ、あえいでいる。

 飢えたコフィン人が持てる財産をスノーバの都の商人に差し出しても、ひどく買い叩かれて何の足しにもならない。金貨十枚がパンひとかけ、最高級の鎧やドレスが芋一つに変わるだけだ。女房や娘を干し肉と交換する者までいる。

 君が言ったとおり、コフィンの通貨の価値は地に落とされた。明日を生き延びようと全財産を投げ打つコフィン人が得るものは、すずめの涙ほどの食糧と、より深い絶望。手にした異国の作物を植えても、コフィンの痩せた大地はただ、腐らせるだけだ。どうしようもない」


「……」


「せめて、一年早く来るべきだった。コフィンがまだ、コフィン人だけのものであった頃に」


 青年は頭をかきながら、立ち上がる。


 石窯の前に放り出してあった外套を拾い上げると、まだ生乾なまがわきのそでに腕を通す。


「スノーバは、この国をじわじわと滅ぼす。おれの家もいつかやつらに見つかるだろう。安全な場所などない……自ら地獄に飛び込んで来たんだ、ある日突然運命がついえても、うらみ言は聞かないぞ」


「……どういう意味?」


「スノーバの冒険者に追われたんだ、君のことは手配されている可能性がある。王都や村には帰れまい。ここに置いてやるから、毎日空を見上げて暮らせ。運がよければモルグを見られるかもしれない」


 兜越しにでも、アッシュがぽかんとしているのが分かる。

 彼女は「いいの?」と、ずいぶん間を空けてから訊き返した。


「え、でも……あの、すごくうれしいんだけど……」


「なんだ。不満でもあるのか、ずうずうしい」


「あ、いえ、ごめんなさい! その……何ていうか、こんなに良い人だとは思わなくて……」


 外套のボタンを留めながら、青年が鋭くアッシュを睨む。びくりと肩をはねさせる彼女に、青年は薄く口を開いた。


「あの石の祭壇には、二度と近づくな。大草原の片隅の、王都や村を結ぶ道からも外れ、草に隠れたあの場所に偶然たどりつく者など今までいなかった……まして穴に血を落とす者など……その尻の傷は、どうやってついたんだ?」


「投げつけられたナイフがかすったの。……あの場所……って言うか、あの、骨の手のこと、訊いちゃだめ……」


 だよね。と。アッシュは青年の剃刀かみそりのような視線から顔をそらした。


 青年は三人の冒険者を殺すためにつけた左手の傷をなでながら、ゆるりと、目を閉じる。


「あの三人は俺達に人殺しの道具を向け、殺意を放った。だから死んだ。仕方のないことだ」


「あなたは魔術師なの? あの骨の手を動かした時、呪文じゅもんみたいな言葉をつぶやいてた。呪文を唱えると炎や稲妻が手から飛び出して、鉄が金に変わって、虚空から見たこともない怪物が生まれるんでしょ? 魔術師ってそんな物凄い人々なんだって、昔読んだ本に書いてあったわ」


「……確かに、遠い異国には手の平から炎を生み出したり、体内から稲妻を放つ魔術師の伝説があるとは聞く。だが少なくともこの大陸で、そんなまねのできる人間はいない。

 無から有を生める者は、真に人ならざる者だけだ。俺はすでにこの世に存在するものを、儀式と祈りで変質させ、動かしているに過ぎない」


 アッシュはその言葉を理解できなかったらしく、首をかしげて「え?」とだけ言った。


 青年は首を振り、アッシュと対面する。


「俺は君の期待しているような人間じゃない。俺が使うのは魔術かもしれんが、魔術師と人から呼ばれたことはない。俺は、ただの罪人だ」


「罪人」


 オウム返しにつぶやくアッシュに、青年は灰色の瞳を震わせ、うなずく。


「名を、ダスト((ちり))と言う」

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