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三十九話 『魔王と皇女』

 東の空が白んできた頃、スノーバの都に動きがあった。


 全体の九割以上が冒険者で構成される入植者達の中から、特に腕利きとされる百名ばかりが、組合総長レオサンドラの招集を受け、城に集結していた。


 彼らはユーク将軍の、ちょっとした屋敷の敷地ほどもある自室に通され、一人一人改めてレオサンドラから将軍へ紹介された。


「ユーク将軍、この者は双剣使いのアルスと言って、栄えあるスノーバ冒険者組合の『五大剣聖』の一人なのだ」


「よろしくアルス、評判は聞いているぞ」


「こちらの美女は曲剣のサリダ、その名も高き『スノーバ聖剣士』の一柱だ」


「素晴らしい、会えて嬉しいぞサリダ」


「さらにこちらの三人組は、革命時に旧政府の悪党を十人も血祭りに上げた、泣く子も黙る『神聖三剣士』……」


 声高く冒険者達を讃えるレオサンドラを尻目に、サンテは眠気覚ましの辛口の酒を一口すすった。


 壁際に背を預けた彼女に、水浴びをしてきたマキトが腰布一枚の姿で寄って来て、同じようにレオサンドラを見て肩をすくめる。


「五大剣聖に、スノーバ聖剣士に、神聖三剣士? 似たような肩書きばかりで誰が誰より凄いのかちっとも分かりゃしない」


「正確に違いを理解しているのは、総長レオサンドラぐらいだ。多分ユークもよく分かっていない。誰もが英雄、誰もが主人公……ユークの演説を真に受けた冒険者組合は、ことあるごとに冒険者達に大仰な称号をつけたがった。その結果が剣聖や聖剣士の大安売りだ」


「火山で迷子になった子供を連れ帰っただけで『大剣士』の称号をもらったやつを知ってるよ。僕の勇者の称号の価値がだんだん下がっていくみたいで、正直気分悪いね」


 サンテの飲んでいる酒のグラスを、マキトが横からつまみ上げ、飲み干す。


 彼の体に走る噛み傷を見ながら、サンテは腕を組んで訊いた。


「お前の体、傷を負っても赤い蛇が修復するわけだが……食いちぎられた血肉を蛇がくわえて体内に戻しても、すぐに傷がふさがるわけじゃないんだろう?」


「血はすぐに止まるよ。細い糸みたいな蛇が、裂けた肉を自分の体で縫合するんだ。とても自然の生物の行動とは思えないよね」


 サンテが、その光景を想像して顔をしかめた。マキトの体内にびっしりと詰まり、肉と骨をつなぎ止める赤い蛇……


 マキトはそんなサンテの様子にはお構いなしに、グラスを手元で遊ばせながら笑う。


「マリエラが言うには、赤い蛇は本来宿主の体を乗っ取るだけで、傷を修復したり外敵を攻撃したりはしないものらしい。だから兵士達の蛇は宿主の体が一定以上破壊されればそのまま死んでしまうし、傷を修復することもない。

 ただ、神の体の一番奥の方にいる限られた蛇だけが、こういう特殊な行動を取るそうだよ」


「……勇者ヒルノアが直接魔術で操った、古代から生きている蛇か?」


「あるいはそれに近い世代の蛇かな。赤い蛇は他の生物の体内でしか生きられない代わりに、一匹で卵を産んで増え続けることができるらしい。だから神の体内にいる蛇は、古い種と新しい種が混じっているんだってさ。

 その中でも特に古い時代から生きている連中が、変異して凶暴化したり、破損した宿主の体を修復する習性を備えたりした、と」


 マキトが、魔王の僕に食いちぎられた腹をなで、にやりと笑う。


「神を操る赤い蛇を、人間に宿らせて応用しようと考えるあたり、マリエラは救いようもなくイカれてるよ。倒した敵を生ける屍にして兵士として操る、あるいは味方に蛇を寄生させ、意識は乗っ取らず、肉体の修復能力だけを発揮させて強化する。死ぬ者と生きる者を選別する、神様気取りの凶行さ」


「そんな人体実験に、何故名乗りを上げたんだ」


「何故って、ユークが約束したからさ。赤い蛇を身に宿らせればスノーバの新しい神話で、聖人として扱ってやる。勇者の名もくれてやる。誰にも負けない、不死身の英雄になれるって」


 マキトが、不意にサンテの顔のわきの壁に手をついた。


 眉間にしわを寄せるサンテに顔を近づけ、笑みを消す。


「僕は特別さ。僕の勇者の肩書きは、響きだけ大仰な他の異名とはわけが違う。ユークやマリエラのそれに並ぶ価値のある、真のほまれある名なんだ」


「おい、近づきすぎだ」


「ユークはあんたを疑ってるよ」


 ぴくりと目元を震わせ、サンテはマキトから目を離した。


 ユークの方を見ると、彼はレオサンドラの紹介する冒険者達に挨拶をしながら、顔をほんのわずかに、こちらへ傾けている。


 ……様子を、探っているのか?


 ユークの意識が確かに自分に向けられているのを感じ、目をとがらせるサンテ。その耳に口を近づけたマキトが、「正直な話――」と、声を潜めた。


「スノーバを好き勝手に作り替えたユークに、復讐しようとか――考えて、ないよね?」


「張り倒されたいのか」


「あんたが僕らと足並みを揃えてきたことは十分に分かってるよ。革命後のあんたの言動は、真に仲間として信頼するに値するものだった。……でもさ……関係ないんだよね、そんなことは」


 マキトが、壁についた方とは逆の手を持ち上げ、握ったグラスをサンテの広い額に押し付けた。


 黙っているサンテに、マキトは彼女の耳に息を吹きかけながら続ける。


「僕らに追い詰められて行く、コフィンの王女の顔がさあ……不死の巨人を解放する手伝いを迫られた時の、あんたの顔に、よぉく似てるんだよね……ユークも、結局それが一番気になってるんだよ」


「言いがかりだ! 私はもう……」


「魔王が襲って来た時、あんたはどこにいたんだっけ」


 サンテが目を見開き、マキトの肩を押しながら答える。


「城の一階で兵士達と階段を固めていた。ユーク自身の指示だぞ」


「僕らが狩人を殺しに、森に行った時は?」


「同じだ! 城の警備を……」


「フクロウの騎士は、なんで僕らの動きを知っていたんだろう」


 マキトが、一段低い声を出し、サンテの耳をかじった。


 サンテがこらえきれずに膝でマキトの股間を蹴りつけると、マキトは「おっ」とわずかに驚いた声を上げて、一歩退く。


 グラスを手に笑うマキトの後方から、ユークがまっすぐにサンテを見ていた。


 平静を装おうとするサンテに、マキトが肩をすくめて、言う。


「小さなことから、疑いはどんどん濃くなっていく。あんたがやたら一人にされるのは、ユークがあんたを警戒すべきかどうか、悩んでいたからさ。僕も昨日まではユークの考えすぎと思っていたけれど……」


「けれど、何だ。実際に魔王と対峙して余裕がなくなったか? 得体の知れない魔術を使う敵に、神と兵団を無力化された屈辱を、私をおとしめることでいやそうとでも?」


「証拠はないよ。あんたが裏切っているって確証はない。でも……やっぱりあんたは、皇女だし」


 サンテが、形相が変わるほどに、鋭く目をつり上げた。


「……誰もが平等に、出自にかかわらず活躍できる世界が、またそれが許される時代が、我々の理想だったはずだ」


「そうだね。でもやっぱり、あんたは皇帝の娘だから」


 相手の額に押し付けていたグラスを、舌を伸ばして舐めるマキト。


 サンテは口を引き結び、ふん! と鼻息を残してその場を去った。部屋の扉を開け、退室するまでの間、マキトとユークの視線がまっすぐに背中に向けられているのを感じながら。



 ――限界が近い。ユーク達が自分の裏切りを確信するのは、時間の問題だ。


 なるべく怒りを感じさせるような足取りで廊下を歩き、扉も閉めずに放置する。


 角を曲がり、肉断ちの剣で床をこすりながら、階段を上る。


 廊下のわきに並んだガラス製の扉を開け、バルコニーに出た。

 人がいないのを確認して、深く息をつく。


 ……何か、行動を起こさねばならない。いずれ粛清しゅくせいされるさだめだとしても、このまま何の贖罪しょくざいもせずに果てるわけにはいかない。


 右手の親指を噛みながら、サンテは光に追い払われつつある夜空を眺める。


 ルキナ達は、ヒルノアの碑文を解読してくれただろうか。今のサンテにとって、全ての望みがあの古代文字の群の中にある。


 きっと、いや、必ず、勇者ヒルノアは碑文の中に、神がもたらす災厄に対抗するための何かを遺してくれたはずなのだ。


 神を隷属させた者が、その力を悪用することを予想しないほど、かの者は愚かではない。そう思いたい。


 神を隷属させる魔術の技法と共に、三つの武器をも遺した理由があるはずなのだ。


「……ヒルノアは、魔術の効果を打ち消す回帰の剣を作り出した……ならば回帰の剣を、魔術で生み出された神に突き刺せば、神を殺せるのではないのか……?」


『それではダメだ』


 突然頭上から聞こえた声に、サンテは反射的に両手で口を押さえ、喉をのけぞらせて視線を上げた。


 バルコニーの上方、城の外壁のわずかなでっぱりに、黒い鳥の影がとまっている。


 白い頭蓋骨を頭部に浮かべた、ミミズクの影。それがくるくると頭を回転させながら、サンテに言った。


『ヒルノアはあくまで赤い蛇を魔術で操り、巨人の体に誘導し、寄生させたにすぎない。回帰の剣を突き刺しても、赤い蛇が巨人から出て行くわけではない。回帰の剣が無効化するのはあくまで《赤い蛇を自在に操る》という魔術の効果だ。

 つまり神の支配権を白紙に戻すだけで、神を殺せるわけじゃない。ヒルノアの死後も神があの状態で活動していたのがその証拠だ』


「ま……魔王、か……?」


『旧スノーバ帝国の皇女、サンテだな。束ねた黒髪、鷹の刺繍ししゅうの手袋、異常に長い剣……将軍の前でお前に疑いが向くようなことを言ったのは、わざとだ。お前が嘘をついていない保証はなかったからな』


 見極める必要があった。

 そう告げるミミズクの影に、サンテがガラスの扉を見やりながら早口で言う。


「ユーク達は完全に私を疑っている。このままではじきに頭を押さえられる……魔王よ、教えてくれ。お前はコフィンの味方なのか?」


『少なくともお前が将軍達に害をなそうと言うのなら、手を貸してやらんこともない』


「ルキナ達に、勇者ヒルノアの碑文の写しを渡してある。神を何とかできるとしたら、あの中にカギがあるはずだ。ただ解読に時間がかかっているらしい……」


『俺なら古代コフィンの文字が読める。その碑文の写しとやら、一つしかないのか?』


 目を丸くするサンテが、再びミミズクの影を見上げた。


 くるくると回る頭蓋骨に、とまどいながら答える。


「あの碑文が、最後の希望になるかもしれないことは分かっていた。予備の写しが、ここにある……」


 サンテが赤い外套の胸元を開け、裏地に空いた隙間に手を差し入れた。


 ひもで束ねられた羊皮紙の束を掲げると、ミミズクの影が音もなくはばたき、サンテの肩に降りてくる。


 羊皮紙をくちばしにくわえた怪異が、くちばしを閉じたまま、至近からサンテに声を放つ。


『お前が、やはりコフィン人をたばかり何らかの罠を張っているのなら、最後の戦いで俺が直接その首をへし折ってやる。だが真実を語り、言葉どおり自分の罪を清算したいと思っているのなら……今すぐこの城を出て、遠くへ逃げろ。スノーバ軍の幹部のお前なら、国境も越えられるかもしれん』


「……何だと?」


『碑文の写しがお前の切り札だと言うのなら、もはやお前にできることなどない。古代魔術の知識、技法を利用する術にかけては、おそらくお前より俺の方がはるかに上だ。将軍に睨まれかけている立場ではろくなかく乱工作もできまい。

 生き延び、一人で世界をさまよえ。苦しみの先に、ささやかな出会いや、心の救いもあるかもしれん』


 サンテは回り続けるミミズクの頭蓋骨を見つめ、すぐに首を横に振った。

 頭蓋骨の奥に揺れる青い火の粉が、一瞬勢いを増し、きらめく。


『哀れな女だ』


「私の行く先は地獄だ。それ以外の結末は、許されない」


『許す許さないを誰が決めるんだ? 神か?』


 サンテが、小さく笑って、「私だよ」と答える。


 ミミズクの形をした怪異は一度高い声で鳴き、一気に空に飛び上がった。『君に幸あれ』……そんな笑えない冗談を残して、魔王の使い魔は朝焼けの空へ消えて行った。


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