三十八話 『王家の箱』
日中は太陽熱で高まる気温も、日付が変わる頃になるとぐんと下がる。
篝火を焚いてコフィンの王城の門を警備していた二人の兵士が、不意に背後からかけられた声に同時に振り向いた。
「これはナギ殿。どうかしましたか?」
「薪を拾って来ます。通してください」
「薪って……御冗談を。こんな暗い中を出歩くのは危険ですよ。いつも明け方に行かれるのに」
背後に兜をかぶった騎士を連れたナギが、フードの奥から兵士達へ笑みを向けた。
「今は日中に出歩く方が危険でしょう。草原で倒れてしまえば、そのまま干からびてしまいます。涼しい夜の内に済ませた方が賢明ですわ」
「……それもそうですな。騎士殿もお疲れ様です」
「なに、人手不足だからな。女一人を草原に出すわけにもいかん」
「では、松明をお貸しします。お気をつけて」
兵士の一人が、篝火のそばに並べた松明用の棒切れに屈み込み、手を伸ばす。
その頭に、不意に影がかぶさった。「ん?」と顔を上げた兵士が、次の瞬間目を見開いて立ち上がり、一礼する。
「これはルキナ様! ガロル団長! 何か御用でしょうか!」
城内から音もなく現れた二人へ声を張り上げる兵士。
その後方でもう一人の兵士も一礼し、続いて騎士と、ナギが頭を下げた。
ルキナが、目の前の兵士の肩を叩き、ナギ達の方へとガロルと共に近づく。
そっと顔を上げるナギに、ルキナは静かに声を向けた。
「城内に入ってすぐの部屋にいたんだ」
「そうでしたか」
「薪を拾いに行くんだな」
「ええ」
「私も手伝おう」
ナギが、小さく口元に笑みを浮かべた。
ひきつるようなその動きに、ルキナがそっと指先でナギの唇に触れ、なでる。
ガロルがナギの隣にいる騎士に視線を飛ばし、無言でうなずいた。騎士もゆっくりと、うなずきを返す。
四人は城門を出て、松明を手に夜の王都を歩いた。
空には白い火のような星々がきらめき、滅びの予感に震える人々の頭上を通り過ぎて行く。
一行は無人の通りを進み、明かりのない教会や、スノーバ軍にカカシのようにはりつけにされた腐乱死体のそばを通り過ぎて……
やがて唇をかんで地面を睨んでいたナギに、隣を歩くルキナが、ふう、と息をついて言った。
「ダストは、何と言っているんだ」
ナギと騎士が、同時に拳を握り締めた。
黙っている彼女らに、最後尾を歩くガロルが努めて出しているのだろう、柔らかい声で言う。
「観念しろ。大方の予想はついているし、お前達がそろって外出していればなおのこと、言い逃れはきかん」
「お前達……」
「ケウレネス殿であろう、そなた」
ガロルの言葉に、騎士ががっくりとうなだれ、少し間をあけてから兜を脱いだ。
騎士は、以前会議で調教師ダカンとともに、ドゥーを使った越境計画を提案した若者だった。
ガロルが「やはりな」と、小さく笑みを浮かべて目を閉じた。
「歩き方で分かる。ケウレネス・アラゴン……かつてのコフィン王家の重鎮にして、ダストの父親でもあったケウレネス・ハヴィエの、第二の息子……つまり、ダストの異母弟だ」
「そうです。父が故郷と家族を捨て、王都に出て来た後に作った息子です」
「ダストに情がある人間が二人、真夜中にこっそりと外出する。城内の情報を漏らしていたのは、お前達だな」
「……お許しください、ルキナ様」
ナギが、松明を道に取り落とした。自分の身を抱いて青ざめる彼女の、震える肩をなで、ルキナが小さく首を振って言う。
「前にダストの話をした時……しきりに不機嫌そうに振る舞っていたのは、自分にはダストへの情など残っていないと、私に示すためだったのか?」
「お許しを……」
「ナギ、私が、怒っているように見えるか」
ルキナはナギのこめかみに額をあて、「怒ってなど」とつぶやく。
その様子に騎士、ケウレネスが、ぎゅっと目を細めて起立し、ルキナに向かって声を上げた。
「ナギを、兄ダストと連絡をとるようそそのかしたのはこの私です。ルキナ様、全ての責任は私にあるのです」
「聞こう。何故そのようなことを思い立った? そして、どうやってダストと連絡を取った?」
「今のコフィンを守るためには、兄の知恵者としての能力が必要だと考えたからです。けっして魔王としての魔術、戦力を求めたわけではありません。進まぬ会議、山積し続ける問題、これらを解消するための知恵を貸してほしかった。
しかし……たとえば会議の場で兄の復帰を提言しても、必ず出席者の何割かは断固として反対するでしょう。兄の犯した罪は、国王に直接追放されたという過去は、それほどに重いものなのです」
ケウレネスは静まり返った王都の闇を睨み、さらに言葉をつなげる。
「しかしながら、スノーバの侵攻という国難は、コフィンの総力をもって立ち向かわねばならぬ前代未聞の災厄。体裁や因縁にこだわっている場合ではありません。
私は、たとえルキナ様に斬り捨てられることになろうと、兄をこの国家存続を賭けた戦いに参加させるべきだと考えました。そこで何とか兄と連絡を取ろうと、ナギに相談を持ちかけたのです」
「……何故ナギに?」
「ナギが兄と深い仲だったことは周知の事実でしたから。ご存知でしょうが兄は追放された時、すでに故郷を飢饉で失っていました。家族にも旧知の友にも先立たれた兄にとって、おそらくナギこそがこの世で最も親しい……その、友人だったかと」
ルキナが、顔を背けるナギを見つめ、「そうか」とため息混じりにつぶやく。
「ダストは確かに孤独だった。国を襲った大飢饉を、その被害を最小限に食い止めたものの、彼は立場上自分の村を見捨てざるを得なかった。国を救うためには、どのような形であれ特定の集落を私情で優遇するわけにはいかない。彼は国の知恵者として正しく振る舞い、故郷を失った」
「そんな兄が、たった一人で草原の果てで静かに暮らしているとは、私には信じられませんでした。しょせん間接的なつながりしかない私の家族はともかく、友人のナギとは、ひょっとしたらこっそり会っているかもしれない。
ナギの方も別の男性と結婚したとは言え、兄を完全に忘れられるとは思えない。だから単刀直入に訊いたんです。兄の居場所を知らないか、と」
それまで黙っていたナギが、顔を上げてルキナとガロルを見た。
首を振りながら「違うんです」と眉根を寄せる。
「別にダストの所に行きたいとか、そんなことを考えていたわけじゃないんです。夫を、心から愛していました。彼との息子も、かけがえのない私の家族です。それは二人が殺された後も変わりません……私とダストは、結局一緒になれなかった。それが事実なんです」
「だが、彼と連絡は取り合っていた?」
「いいえ、追放されてから、ずっと接触していませんでした。でも……連絡の手段は、あったんです」
「何故だ? 父上に王都を永久追放されたダストと、何故連絡がつく? 彼は追放以降、人里自体に姿を見せていないんだぞ」
ルキナの問いに、ナギが迷うように視線を泳がせる。
虚空を見つめながら、やがて「ルガッサ王が……」と、唇を震わせた。
「ルキナ様のお父上が……ダストを追放する時、餞別だと言って……私達に、連絡手段を用意してくださったんです……」
「父上が!?」
「私が、あんまり泣くものだから……それに、ダストの身代わりに亡くなったケウレネス・ハヴィエ様のことに、心を痛めてらしたから……ルガッサ王は、せめて文通ぐらいは許すと。草原の一角にあるラムライの花畑を下さったんです」
ラムライ。王家が管理する、菓子を作る時に使う花の名に、ルキナが首を傾げる。
ナギは自分の衣のすそをいじり、少し間を空けてから、説明を続けた。
「ダストが、飢饉の最中に見つけて王家に献上した花畑です。災害のごたごたが収まるまで国の畑への移植は見合わされていたんですが……『お前が見つけた花畑なのだから、お前が使えばいい』と、ルガッサ王は花畑の位置を記した地図を私達に下さいました。外見は、何の変哲もない草むらを、私達専用の『手紙の受け渡し場所』にしていいと」
「どういうことだ?」
「草むらの中に、王が貴族に送る、重要書類を入れるための鉄の箱を入れてくださったんです。小さな箱にコフィンの国旗のマークが入っているのですが……この箱のふたに、王が御自身の手で、箱を開けるべき人の名を刻み付けるのです。
ルキナ様も御存知かと思いますが、この箱を指定された人物以外が開けることはコフィンの法で厳しく禁じられています。ルガッサ王は草むらの箱に、私とダストの名を入れて下さいました」
「なるほど……貴族達でさえ無闇に触りたがらない、『王家の箱』か。万が一偶然箱を見つける者がいても、王家の箱と分かれば拾いはしない。民の間でも有名な『危険物』だからな」
「ルガッサ王は、私とダストが完全に引き裂かれないように、内密に骨を折ってくださったのです」
父上らしいな、と、ルキナは小さく笑った。
その笑みを見つめながら、ナギは「でも」とうつむく。
「私とダストは、結局ルガッサ王が御存命の内は一度も王家の箱を使いませんでした。たまに箱を見に行くと、お互いにふたを開けた痕跡はあるのですが……手紙に何を書いて残せばいいのか、分からなかったのです。
その内に箱を確認するのも何だか辛くなって、半年に一度程度の頻度になってしまいました」
「……無理もないな。手紙はやり取りできても、直接会うことはできないのだから。国王に追放された罪人と王城の侍女が会っているのを万一誰かに見られれば、あらぬ嫌疑をかけられかねん。ダストもそれが分かっていたから手紙を書かなかったのだろう」
腕を組むガロルの言葉に、横からケウレネスが「だから」と声を上げた。
「ナギは使いもしない兄との連絡手段を、ずっと一人で抱え続けていたのです。そこに私が現れ、国のために兄の力が必要だと言った。ナギはそれに応えて、王家の箱に兄への手紙を入れてくれたのです。
内容は私が兄の知恵と意見を求めている旨と、現在のコフィンのおかれている状況の詳細、そして、他にも得られた情報を逐一新たに書いては残しました」
「その情報とは、ケウレネス殿が知った情報か?」
「……私と、ナギが得た情報です。兄は返事をしませんでしたが、最初の手紙は箱に入れた翌日になくなっていました。以降の手紙も、遅くても二、三日以内には箱の中から消えました」
兄は箱を確認し続けていたのです。
そう、うめくように言うケウレネスに、ルキナが無言で視線を地に落とす。
ナギが、地に膝をつき、自分の胸に両手を当てて頭を垂れた。ルキナに向かって、しぼり出すような声で謝罪する。
「どうか、どうかお許しを。王家の箱のことはルガッサ王が私とダストに与えてくださった最大の慈悲。本来は誰にも、ルキナ様にも話すなと言われていたのです。魔王とまで呼ばれたダストにこれほどの便宜を図ったと知れれば、王や王家の威を疑う家臣も出て来るかもしれません。だから……」
「ルキナ様、重ねて申し上げますが、機密を外部に漏らした責任は全て私にあります。覚悟はできています。どうか御存分に処罰を」
ナギと同じく、松明を地においてひざまずくケウレネスに、ルキナがじろりと視線をやる。
兄のダストとはちっとも似ていない男だ。美丈夫と言うには、少々顔つきに幼さが残りすぎている。
そんな彼の鎧の肩に靴底を乗せたルキナが、「えいっ!」と気合とともにケウレネスを蹴り倒した。どすりと尻餅をつくケウレネスと、ナギが、ぽかんとしてルキナを見る。
「……王城の会議内容や機密を部外者にもらすとは、不届き千万。よって足蹴にしてやったぞ。ありがたく思え!」
「……ルキナ様?」
「私を甘く見るなよ、ケウレネス、ナギ。我が隙をついて戦士団を勝手に動かし、歴史ある元老院を武力制圧したガロルを許した実績が、私にはあるのだ」
腰に手を当てて鼻を鳴らすルキナの隣で、ガロルが口の縫い目をかきながら咳払いをする。
目を丸くするケウレネス達が、顔を見合わせ、同時に「しかし」と口を開いた。
「ガロル団長の時と違い、私達の行為はけっして家臣達には受け入れられません。魔王に助力を乞う時点で、王家の臣の恥さらしと言う者もいるはず。まして国家機密を教えたとなれば……」
「だから秘密にする。他の家臣達には黙っておく。バレたなら、私の指示だったということにする」
「ルキナ様! それではあまりにも!」
「黙れ! 今がどれほどの非常事態か分からんのか!? 魔王だろうが悪魔だろうが味方になる者は全て取り込まねば国が滅びるわ!」
大きな声を出すルキナに、ガロルが流石に「誰か起きて来ますよ」と周囲の建物を見る。
がくぜんとするケウレネスとナギを、ルキナは交互に見下ろし、それからふっと、小さく笑った。
「お前達やガロルを責めている場合ではない。みなが、国のためを考えて罪を犯したことは分かっている……そんなことをさせてしまった、私のふがいなさが一番悪いのだ」
「な、なにを仰られます! そのような……」
「ガロルにも約束したが、今一度誓おう。私は必ず、王に足る人間に成長する。お前達が全てを任せ、全てを話せるような主君になる。いずれ、厳しさや恐ろしさもまとおう……だから……許されるのは、一度きりと思え」
次はないぞ。
そう、笑いながら眉間にしわを寄せるルキナに、ナギは声を殺して泣き出し、ケウレネスはしばし地面を見つめてから、平伏した。
ルキナが息をつき、ガロルを見て「どうだろう」と首を傾ける。
「上出来か?」
「まだまだ寛大に過ぎますが、かなりお父上に近い振る舞いをなさったかと。後はもう少し笑顔を抑えられればさらに良くなります。
ルキナ様の仕草は優しすぎて、はたから見れば初めから許す気だったのが見え見えでした」
「やれやれ……王への道は険しいな」
肩をすくめるルキナが、いつまでもひざまずいているナギ達に「立て」と手の平を振る。
ケウレネスに手を貸されながら共に立ち上がるナギへ、ルキナは一度周囲に目を走らせてから、「それで」と声を放る。
「ダストからの返事は、未だないままか? 彼にはどこまで情報を渡してある?」
「……スノーバがルキナ様に押し付けた同意書の内容を書いた手紙を、これから箱に入れるところでした。水の輸入を希望するなら三日以内に服従に同意すること、さもなくば次回服従を誓う時、ルキナ様の身の安全は保障しない……スノーバがそう迫っていることを教え、一刻も早く返事をするよう催促しようかと」
「ダストはすでに将軍達に宣戦布告している。このまま一人で立ち向かうようなまねをしなければ良いのだが……」
「彼は、ルガッサ王に負い目と恩義を感じています。もちろん王女のルキナ様にも。ならば魔王として、一人で戦うつもりなら……きっと、どんな手を使ってもスノーバを倒そうとします」
どんな、邪悪な手段を使ってでも。
そう断言するナギに、ルキナは目を細めて顔を上げ、彼方の黒い空を見やった。




