三十四話 『時間切れ』
「ダストが生きていた。あの、馬鹿者め……ギロチンにかけられてなお、魔術を捨てていなかったとは」
スノーバの都を出て、コフィンの王都へと続く丘を登りながら、ルキナは笑みをこらえきれずにうつむいた。
来た時は病人のように疲弊していた主君の声がはずむのを、ガロルは硬い表情で聞いている。
顔を両手で覆い、良かった、良かったと繰り返すルキナに、ガロルは言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「ルキナ様、ダストは、いったい今までどこにいたのでしょうか」
「分からんが、おそらく草原のどこかに身を潜めていたのだろう。あいつならどこででも生きていける。何しろ、我が国一番の知恵者だからな」
「……ルキナ様。ダストは、コフィンを救うつもりでしょうか」
「将軍に挑戦状を叩きつけたのだ。彼も戦うつもりだろう。まったく大したやつだ、たった一人で敵軍の将の首を狙おうと言うのだから……」
「喜んでる場合ではないかもしれませんよ」
ルキナが、顔から手を離し、ガロルを見る。ガロルは主君の真っ青な瞳をまっすぐに見返しながら「将軍の疑問も、もっともです」と声をつなげる。
「ダストは、今の今まで姿をくらませていました。今日初めて我々やスノーバの前に現れた彼が……あまりにも、多くのことを知りすぎていると思いませんか」
「……」
「勇者ヒルノア、神、スノーバ軍の関連に始まり、守護神モルグをスノーバが落としたことも知っていました。勇者マキトの言うように、強奪した兵士を密偵代わりに潜ませて情報を集めていたのかもしれませんが……しかし、それでもふに落ちません」
「何が言いたい?」
「コフィン側の誰かが、ダストと通じているのでは?」
ルキナが足を止めた。
空と同じ色の目を丸く見開く彼女に、ガロルは逆に、目をうすく細める。
「それも、私やルキナ様に近い人間……王城の会議に出席したり、あるいは会話を盗み聞きできるような立場にある人間。更に言えば、先日のサンテの告白を聞いていた人間がその情報をダストに流したと考えれば、全てに筋が通ります」
「お前は何を言っているんだ? ダストは何年も前にコフィンを追放されてから、誰にも姿を見せていないんだぞ。連絡を取ることなど……」
「私は、ナギだと思います」
ルキナの眉間に、ぎゅっとしわが寄った。
ガロルが地面に片ひざをつき、ルキナに頭を垂れて言う。
「彼女はダストと恋仲にあったと聞いています。並々ならぬ情があるとも」
「恋仲ではない。ナギ達はあくまで友人だった」
「ダストの処刑が決まった日、また追放が決まった日、ナギはルガッサ王にダストの赦免を涙ながらに訴えたとも」
「ガロル」
「下種な勘ぐりだと自覚しております。しかし、はっきりさせる必要があることも事実かと。今日のダストの口上……思い返すほどに、コフィンの内部から情報を伝えられているように思えてなりません。罪人、魔王の汚名をかぶった彼に情報を渡そうとする者がいるなら、最も可能性があるのがナギかと」
ルキナが、手振りで『立て』と命じながら先を歩き出す。立ち上がり、追って来るガロルに、ルキナは首を振りながら言う。
「ナギに限ったことではない。事実、私やお前もダストの知恵を欲しがっていたではないか。スノーバとやり合うのに、ダストという男の必要性を感じていた者は多い」
「スノーバに占領された後で、ダストの行方を探しても中々見つかるものではありません。それよりは元々彼に好意を抱いていた者が、追放後も連絡を取り合っていたと考える方が」
「私はナギを処罰などしないぞ!!」
鋭くガロルを睨むルキナ。
そのわずかに赤らんだほほを見ながら、ガロルは「御意」と目を伏せる。
「仮にナギがコフィンの機密をダストに漏らしていたとしたなら、彼女は罪に問われてしかるべきと存じます。しかし、ルキナ様は私の独断専行もお許しになりました。ならばナギの罪もお許しになるだろうと思いますし、それで良いと思います。あなたはそういう主君です」
「……」
「ですが、処罰するしないは別として、事実を確認する義務があなたにはあります。今後のダストの動きに対応するためにも、あるいは彼と協力するためにも、事実調査の許可を。私の思いすごし、勘違いならばナギに額を地につけて謝罪いたします」
「……ええい、分かった。分かったからその何かを我慢しているような目をやめろ!」
ガロルが視線を上げると、ルキナは草を踏みながら深く息をついた。
分かっている。ガロルが正しい。自分は考えが甘く、人を疑うことに慣れていない。元老院に裏切られてなお、性根が青いのだ。
仲間を信じるために、事実から目をそむけがちになる。それは、とんでもない間違いだ。
ルキナは歩きながら背後のガロルに、最後に小さく訊いた。
「正直な話……ナギが本当にダストと通じている可能性は、どのくらいだと思う?」
「私が彼女を一番怪しいと思うだけで、確信があるわけではありません。ただ、仮に彼女がダストに情報を渡していたとしても……おそらく、良かれと思ってのことだと思います。おおかたダストに、スノーバとの交渉で苦しむあなたの力になってくれれば良いとでも思ったのでしょう」
「だろうな、ナギは善良な女だ」
「浅はか極まりないとは思いますがね」
わずかに冷ややかな色を目に浮かべるガロルに、ルキナは前を向きながら、小さく口をとがらせた。
真っ青な空に浮かぶ太陽も、夕方には地平線の向こうに没し、コフィンの大地から去って行く。
やがて黒々とした夜空が現れ、天上に浮かぶ宝石のような星々が輝き始めると、スノーバの都は昼間とは違う賑わいを見せる。
闘技場の歓声や路上の出し物はなりを潜め、代わりに詩人の歌や音楽家達の演奏、色ガラスを使った照明遊びが、町を闇から浮かび上がらせる。
その様子を王城の最上階、庭園の真ん中に置かれた椅子に腰かけて見下ろしながら、ユーク将軍は深く息をついた。
庭園には無数のかがり火が焚かれ、ばちばちと木の弾ける音を立てている。
地に向けた回帰の剣に両手をつく彼に、背後からマリエラが寄って来る。色とりどりの宝石をちりばめたネックレスを揺らし、無言でユークの首に両腕をからめると、己が恋人を背中から抱きしめる。
ユークが、右手を剣から上げ、マリエラの高く盛った髪に指を差し入れた。
甘い声を出すマリエラを、しかし直後、ユークの鋭い眼が睨め上げる。
「今日は機嫌が悪い。さかるならマキトにでも相手してもらえ」
「……冗談でしょ。私はあなたのものよ」
わずかにひるんだ表情を浮かべるマリエラの腕をすり抜け、ユークが立ち上がる。
夜景を睨んで歩いて行く彼を、マリエラは小走りに追う。「マキトは」と、その形の良い唇が続けた。
「醒めてるのよ。全然燃えないの。あいつ、自分が一番好きだから女の子といても『女の子はべらせてるボクかっこいー』って考えてるクチよ。気持ち悪いわ」
「私も自分が一番大事だ。人のために生きるなど、馬鹿のすることだ」
「私はあなたが一番大事。あなたがある日突然現れて、勇者ヒルノアの血筋について話し出した時は胸が震えたわ。なんて素敵な、素晴らしい宿命なんだろうって。勇者の血を引く子孫同士が集まって、世界を手にするなんて私……」
庭園の端から夜空を睨むユークの視線に、マリエラははっとしたように口をつぐんだ。
ユークの目はまっすぐに、昼間魔王が現れた、闘技場の屋根の上に向けられている。
マリエラがぎゅっと拳を握り、「何よ」とユークを見る。
「頭の中は男のことでいっぱい!? 昼間の国旗野郎のこと考えてるから私の相手をしたくないってワケ!? ユーク、あなたふぬけたんじゃないの!」
「うるさい」
「私がいなかったらここまで偉くなれなかったくせに! 私が子供の頃からわけも知らされずにカビの生えた魔術の勉強をして、見えもしない使えもしない魔力だか何だかの鍛錬に明け暮れてたから、神を隷属させることができたのよ! それを」
「私がお前に勇者の遺産のことを教えてやらなかったら、お前は使い道もない魔力を抱えて年を取り、貧民のまま人生を終えていた。お前の母親や、祖母、先祖達のようにな」
ユークが振り向き、マリエラのネックレスをむんずとつかんだ。
ぶちぶちと引きちぎると、それを手近な噴水に投げ込む。
顔を引きつらせるマリエラに意地の悪い笑みを向けると、ユークは彼女の白い首に手をそえた。
「私が憎いか? ならば今すぐ兵士や神を使って、私を始末すればいい。そうすればお前はスノーバの女王だ。好き勝手にこの世をかき回して面白おかしく暮らせるぞ」
「勘違いしないで、私は権力なんか欲しくないのよ。権力の座にはあなたが座れば良い。私はあなたを夫にして、その愛を独り占めにしたいのよ」
「私の妻になりたいなら、お前も相応の振る舞いを心がけることだ。私はうるさい下品な女は嫌いだ」
「『お前』なんて呼ぶな! いつもみたいに『君』って呼べ!!」
唇を、顔形を醜く歪めて叫ぶマリエラ。
ユークがため息をつくと同時に、階下に続く階段から、マキトが一人で上がって来る。
「取り込み中悪いんだけどさ。レオサンドラさんが下に来てるよ。冒険者組合の仲間を連れて、酒持って」
「私はマリエラと楽しんでる。適当にご馳走して騒いで帰ってもらえ」
「ちょっと待ってよ! 私と楽しんでる!? 楽しんでるように見えるの!? 私が!!」
つかみかかってくるマリエラを、ユークが逆に剣を握ったまま抱きしめた。とたんに表情がゆるむマリエラを見て、マキトが心底呆れたというふうに肩をすくめる。
「馬鹿女は扱いが簡単でいいね。頭なでられて喜ぶ犬かよ」
「殺されたいのマキト。あんたの体の赤い蛇も私が掌握してるってこと忘れないでよね」
「お前達も、私も、元は取るに足らんクズ同然の人間だった。勇者ヒルノアの伝説のため、いつか甦る不死の巨人に対処するため、先祖代々役に立たない知識や技術をつないできた、勇者の末裔」
ユークがマリエラの腰に手を回し、噴水のへりに彼女と共に腰かける。
近づいて来るマキトにも目を向け、若き将軍は言葉を続けた。
「物心ついた頃から、剣や勉学の毎日だった。幼い脳味噌にヒルノアの逸話や己の宿命を叩き込まれ、巨人が甦る時に備えて一刻も早く大成することを強要された。貧しい日々の中、大人も音を上げるような厳しい鍛錬を課せられた。
だが……その努力が、我々の人生を幸福にすることはなかった」
「巨人がいつ復活するかなんて、分からないからね。事実僕らの親や、そのまた親達は優れた能力を磨き上げながら、それを使うことなく人生を終えた。ただ自分が伝説の勇者の末裔であるって、誇りだけを抱いてね」
「みじめな人生を美化するために誇りにしがみつき、ヒルノアをまるで聖人君子のようにあがめ、清く正しく、人のために身を捧げて生きる。それが我々の家系の歴史だ。
……愚かで、馬鹿馬鹿しい限りだ。我々の祖先には、我々のように『宿命に立ち向かう』という発想がなかった。だから宿命に、殺されたのだ」
いつしかうなずきながら話を聞いていたマリエラのほほを、ユークが軽くなでる。
その鎖骨に指を這わせながら、ユークの目がぎらぎらとした光を放ち始める。
「勇者の遺産の一部に、物語の断片、巨人を隷属させる魔術を使うための、鍛錬法。そんなものをひたすら子に伝えて何になる? 使わぬ技術に、利用しない物語に価値などない。だから我々はそれぞれの家に伝わる資源を結集し、力を得た。一族を皆殺しにし、悲劇の連鎖を断ったのだ」
「英断だったと思うよ。君の呼びかけに応じたおかげで、僕もマリエラも今、すごく幸せさ」
肩に担いだ戦斧を揺らして笑うマキトに、ユークがにやりと笑みを返す。
「その割にはお前は、未だに三人の中でただ一人『勇者』の名に固執しているじゃないか。名乗りたいと言うから肩書きをくれてやったが、そんなに気分のいいものか?」
「別に固執しているわけじゃない。二人が将軍と神喚び師に納まったのに、僕だけろくな肩書きが残ってなかったからもらっただけだよ。人に舐められなきゃ何でも良かったんだ」
「……そう、勇者の名など、本来その程度のものだ。血筋を犠牲にしてまで守るものではない。勇者の物語も同様だ。顔も知らん古代人の物語など、今を生きる我々の都合の良いように書き換えればいい」
勇者の子孫は結集し、立ち向かうべき災厄であった巨人を従え、世界を血の海に沈めた。
それがユーク達の物語であり、真実だ。
「我々には、時代を謳歌する権利がある。押し付けられた伝統ではなく、自らが信じる正義と理念のために力を使う権利が。そのためにはささいな犠牲や、取るに足らん連中のさえずりなど問題ではない。
全てを踏み潰して土台を整えれば、その上には生きるべき人々の正常な歴史ができる。マリエラ」
「なに?」
「私が目指すのは世界の王や、民衆の支配者ではない。このユークが目指すのは、世の悪しき国々や王制を滅ぼし、世界の浄化を行う、救世主なのだ。私は人類を支配するのではなく、解放する者だ。君は、その愛を最も近くで受ける女となるのだ」
ユークが立ち上がり、再び夜景に臨みながら両手を広げる。「我が同胞達よ」と、背後の二人に低い声を向けた。
「救世主の妻に、友にふさわしい存在となれ。人を生かし、人未満の者どもを根絶する正義の執行者となれ。そして……今日、私の前に現れた愚か者を、魔王を裁く刃となれ」
「必ず殺すわ。任せて、ユーク」
マリエラが立ち上がり、自分の恋人に向かって手を伸ばした。
その白い指が、切なげに宙を掻く。
「次に魔王が現れたら、私の魔術で必ず討伐してみせる。あなたの前で全身の皮を剥ぎ、塩の中に生きながら埋めてやるわ。そしてあなたはあのみすぼらしいコフィンの王女を家畜にして、この国を制圧するの。それから大陸中を、海の向こうの国を滅ぼして、全ての大地の名をスノーバにするのよ」
「世界が一つになる時代が来る。国境のない、戦争の存在しない世界が。勇者ヒルノアの伝説なんか目じゃない、真の偉業が達成されるわけだ」
マリエラとマキトの言葉を交互に聞き、ユークが深くうなずいた。
「そうだ。我々は伝説となる。勇者ヒルノアの逸話のお飾りではない、ヒルノア以上の存在となるのだ。他者のためではなく、自分自身のために名を残す。世界に名を刻み込む。
そのためには……我々の物語に、一切の汚点を残すな。全ての敵を葬り、抹殺しろ。……魔王など、しょせん英雄のために用意された、悪役でしかない」
ユークが、背を返し、マリエラ達に向き直った。「コフィン征伐の思い出が、一つ増えただけだ」……そう笑った、ユークに。
「人生最後の思い出にしてやろう」
かがり火で浮き上がった庭園の、頭上の闇から、声が降ってきた。
三人が見上げるより早く、リンゴやぶどうの木の上から、無数の影が風を切って地面に向かって落ちてくる。
とっさにその場から飛びのくユーク達のいた場所に、スノーバ軍の剣や、槍の刃が次々と突き刺さった。「馬鹿なッ!」と叫ぶユークの前で、実に五人ものスノーバ兵が、武器を地に刺したまま鉄仮面を持ち上げて敵を見る。
「近い内に会いに来る……そう言っておいたのに」
リンゴの枝の上に、こもった闇の中に腰かけた魔王が、布に描かれた狼の目の中から三人を見た。
「兵を遠ざけただけで、いつもどおりの生活を送るとは……少々、平和ボケが過ぎるんじゃないか……? ええ? 善玉諸君」




