三十二話 『コフィン ディファイラー 後編』
スノーバの都を、ダストが歩く。
装飾過多な鎧、衣、武器……自己主張の塊のような人々の中では、もはや布切れをかぶっている必要もなかった。
抜き身の剣で腕試しをする剣士達や、胸や尻を丸出しにしている娼婦達のわきを通り抜け、物陰で用を足している酔っ払いの背後を歩き過ぎ……人の流れに混じって、手ごろな場所を探す。
ふと、空気を揺るがすような大歓声が聞こえた。目を向ければ都の西に、巨大な円形の建物が見える。
あれがいい。あの高さは、理想的だ。
小さくつぶやいたダストは人の流れに乗って、西へと向かう。
歩きながら、今度は町のそこかしこに掲げられたスノーバの国旗を目で物色し始めた。
真っ赤な布に灰色の狼の顔が描かれた国旗は、製造方法が統一されていないらしく、大きさも色合いもまちまちだ。
とにかく赤い背景に正面を向いた狼の顔が描いてあれば良いようで、背景と絵の面積の比率もばらばらだ。
ダストは自分が使うのに都合の良い旗を探し、最終的に酒場の裏手の、飾ってあるのか捨ててあるのか判断のつかない、古びた国旗に狙いをつけた。
すっと人の流れから抜け出ると、そでに隠した黒いナイフで旗と旗立て台をつなぐ紐を切断する。そのまま路地を抜けて再び人の流れに合流し、切り取った国旗の状態を確認した。
虫や得体の知れない汚れはついていない。布地は裂け目もなく、手で引っ張ってもびくともしない。
ただ、染料の色は製造後の年月を感じさせる程度に暗く変色していて、赤黒い動脈血のような色の背景に、ほぼ白に近い灰色の獣が、亡霊のように浮かんでいる。
これがいい。この色合いは、理想的だ。
小さくつぶやいたダストが国旗を手ではたき、そのまま人ごみの中に没して行った。
「ユーク、離れろ!」
マキトが戦斧を振り上げ、仮面を外した兵士に攻撃を仕掛けた。
背後から風を切って振り回された刃が、兵士の鼻から上を斬り飛ばす。
どろりとあふれる黒々とした血液。兵士の飛ばされた頭半分がマリエラの胸にぶつかり、花束の中に落ちた。
顔を引きつらせるマリエラが視線をやると、兵士はまだ立っている。鼻から上がなくなった首が、ごぼごぼと血と、赤い蛇を吐き出しながら笑った。
『この兵士は、我がメッセンジャーだ。スノーバ軍の諸君、改めてごあいさつを』
初めまして。そう濁った声を出した兵士の断面から、突然ひときわ太い蛇が飛び出した。
かつてルキナ達が目にした、勇者マキトの傷口から現れた蛇とほぼ同程度の太さの蛇。その血液でぬめった頭部にぱくりとひとすじの線が引かれ、そこから細かい歯の並ぶ口が開く。
ルキナをかばい、彼女の前に立ったガロルが「どういうことだ…!?」と声を上げた。
「赤い蛇は神の力の片鱗だと……祝福だと聞いたぞ! 勇者マキトだけでなく、兵士達一人一人の体にも宿っていたのか!?」
『これがスノーバの神話の正体だ。おぞましく、欺瞞に満ちている。それでいて、簡単にスノーバ人の手から離れる』
兵士の口と、蛇の口から同時に言葉が出る。
人間以外の生き物から放たれる人語に、ルキナがおののいて肩を抱いた。
逆に、いくぶん落ち着きを取り戻した様子のユーク将軍を、再び兵士が指さした。
『貴様が神話と呼ぶものは、この世で最も優れた魔術の所業に過ぎん。兵士達の身に宿る赤い蛇……その正体は、とあるエビに寄生する、寄生虫だ』
「……エビだ……?」
『ちっぽけな、下等な生き物だ。だがそれ故に宿主を選ぶこともせず、エビから他の生物へ簡単に乗り移る。もちろん人間にもだ』
ユークが、ちらりとルキナ達を見た。兵士の話をコフィン人に聞かれていることを、明らかに気にしている。兵士の体を破壊して声を止めるべきか、悩んでいるようだった。
だが、それをすれば兵士を介して語りかけている者の正体を追えなくなる。
ユークは回帰の剣の刃で自分の髪をいじり、じろりと兵士を睨んだ。
今すぐには殺さぬことに決めたらしい。
兵士が喋るたびに吐き出す小さな蛇は、地面でのたくるうちに次々と動かなくなり、勝手に蒸発していく。
『寄生虫は宿主の脳や神経にもぐり込み、肉体の主導権を奪う。宿主を好き勝手に操り、やがてその精神すら侵す。宿主は操られている自覚すらなくなり、やがて栄養失調や寿命で肉体が死んでも、その死にすら気づかず操られ続ける。
……この最悪の寄生虫を魔術で操り隷属させることこそが、スノーバの神話の根源であり、スノーバ軍の強さの秘密なのだ』
ルキナが、はっとして口元を手で覆った。
このような恐ろしい寄生虫がコフィンに存在していたとは知らなかった。
だが、寄生虫を魔術で操るという話に、つい先日聞いた魔術管理官の老婆の言葉を思い出した。
――神が、仮に昆虫程度の知能しか持っておらず、かつ限りなく物体に近い存在ならば、操る術もあるかもしれない――
寄生虫……宿主……生ける、屍……
青ざめるルキナの目の前で、血にまみれた兵士が、その体に宿る蛇が、低く笑った。
『決して言葉を話さず、まるで意志がないかのように機械的な挙動しか示さない兵士達……寄生虫を埋め込まれ、無理やり命令に従わされていたからこそ、そのような軍団になった。
彼らを動かしていたのは寄生虫を操る者、即ちスノーバ軍の魔術師だ。そいつの意志がすなわち兵士達の意志だった』
「そういうことか……! 狩人が将軍を射った時、兵士達全員が一度に将軍を振り返ったのは……兵士達を操っていた神喚び師が将軍を気にしたからだ!」
ガロルが、胸を腐った血で染めたマリエラを見る。
マリエラは口をゆがめ、まっすぐに己の支配から離れた兵士を睨んでいた。
兵士の口が、さらに言葉を吐き出す。
『だが一体だけならばともかく、千体を超える兵士達全員に細かい命令を下すことなど不可能だ。だから部隊ごとに分けて大まかな役割を担わせた。
城を警備する部隊、国境に近づく者を追い払う部隊、あるいは特定の人物……スノーバ軍の幹部に付き従い、その身を守る部隊。軍団としての戦闘や移動の際には、神喚び師がそのつど新しい魔術的指令を部隊に送り、命令を書きかえる」
がしゃ、と、兵士が鎧を鳴らして肩をすくめた。
「つまり、兵士達に細かい作業をさせたり予想外の敵や災害に対処させるためには、その場に神喚び師本人がいなければならないのだ。魔術の文言は、ある程度具体的な内容でなければならないからな。
さもなくば術者が自分の求める魔術の効果を、しっかりと頭の中に描いているか、だ』
兵士が、裂けんばかりに口角を吊り上げる。
『古代人は、寄生虫の本来の宿主であるエビの食べ方を知っていたのだろう。排出された寄生虫が他の生物に宿るとどうなるかを、知識として知っていた。だから勇者ヒルノアはその習性を利用して、神……不死の巨人を作ったのだ。
その技法を利用して兵士の支配につなげたのは、貴様らスノーバ人の発想だろうがな』
「神を作った……寄生虫で……?」
つぶやくルキナの耳に、兵士のごぼごぼと血を吐く音の混じった声がすべり込む。
『かつてコフィンには巨大なモノがあふれていた。人を見下ろす獣が存在し、さらにその獣を見下ろす、巨人が存在した。……魔王ラヤケルスの証言だ』
サンテを除いたスノーバ人達の表情に、瞬時に驚がくの色が走った。
彼らは魔王ラヤケルスが、コフィンの人間だったことを知らなかった。
その名が今出されたことで、兵士が勇者ヒルノアと古代コフィンを当然のようにつなげて語る理由を、理解したはずだ。
『古代コフィン人は毒の雨で巨大なモノを九分九厘絶滅させた。九分九厘だ……残りの一厘を、ヒルノアは見つけた。死にかけた巨人に、寄生虫を宿らせて従僕とした。それが不死の巨人だ。人類の天敵を生ける屍に変え、操り、魔王を殺したのだ』
「……魔術は、有を不当に操る術……古代に存在した巨人を掌握した寄生虫を、さらに魔術で操った……」
既に、失われた『有』だったわけか。
うめくガロルの視線の先で、兵士が不意に地に膝をついた。あふれる血液と赤い蛇が、次第に少なくなってきている。
地に向けられた口が、どろどろと言葉を吐く。
『神の本体は、神喚び師が隷属させている本来の対象は、巨人の身に宿る寄生虫、赤い蛇だったと言うわけだ。やつらの寿命がどれほどかは分からん。だが古代最強の魔術師の術をかけられ、強大な巨人の肉体を操り続けた寄生虫は、気の遠くなるような年月の中でゆがんだ進化を遂げたのかも知れん。
その身と寄生能力は肥大し、宿主の体の中で増え続け……そして、守護神モルグを落とすほどに凶悪化した』
「天候を操る竜とやらも、変異した古代の巨大生物なのかも知れんな」
それまで黙って話を聞いていたユークが、不意に口を開き、兵士に回帰の剣の刃先を向けた。「で?」と、その口が不快もあらわにゆがむ。
「我が軍の秘密を暴き、我々も知らない事実をさらし、スノーバの兵士の口を介して私にものを言う貴様は何者だ? どこの馬の骨だ? ええ?」
『頭の悪い男だ。魔術で操られる兵士をさらに操ることができる者など、魔術を使う人間に決まっているだろう』
強く舌打ちをするユークとは対照的に、兵士と赤い蛇は低く笑った。
『神喚び師が明確に意識を向けていない、半ば自動的につき従っている末端の兵士は、新たにかけられた別の術者の魔術の方に優先して従う。
つまり俺が魔術の内容を更新したのだ。支配権を強奪した。更に言えば寄生虫に向けた呪文に兵士が反応したおかげで、先ほどの俺の仮説が正しかったことも証明されたわけだ。呼びかける対象をある程度特定していなければ、魔術は成功しないからな』
「貴様一体……!」
『寄生された兵士達は、旧スノーバ帝国の正規兵達、そして貴様ら革命政府に反抗した敗戦国民と言ったところか。倒した国の人間を吸収して軍団を強化してきた。……だが、数千人の兵士達に、忠誠心などない』
ただの、操り人形だ。
兵士の暗い笑い声に、ユークがさっと顔色を変えた。その視線が、マキトと共にやってきた別の兵士達に向けられる。
『ようやく理解したか、小僧。今まで魔術を使う敵と出会ったことはなかっただろう。お前の自慢の神喚び師が半端に統べる軍団は、いつでも俺に盗まれうるということだ。
だが安心しろ、俺は自分の魔術に責任を持つ。兵士の群を具体的な命令も与えずにうろつかせるマネはしない……数人……多くても十人程度の兵士を隷属させ、貴様の身辺に潜ませるだけだ』
「……!」
『自分の顔をした兵士に怯えるがいい。今までさんざん他人にけしかけてきた悪意が自分にはね返って来る恐怖におののくがいい。それが魔を野望に使った者の代償だ』
「お前は誰だ!! 姿を現せッ!!」
ユークが兵士に向かって叫ぶと同時に、血と蛇を失い過ぎた兵士の体が、地面に突っ伏した。
鬼のような形相のユークの前で、兵士の指が、最後に土をなで、西の方角を指す。
『魔術は悪の秘術……理を、命を、 ディファイル 禁忌……』
赤い輝きをなくし、蒸発し始める赤い蛇。ユークが、マリエラが、マキトが、兵士の指さした方へ走り出す。
柱と柱にはさまれた空間の端に立つと、スノーバの都の風景の中に、異様な点があった。
巨大な城と、唯一ほぼ同じ高さにある建物。多くの冒険者達がひしめき、地鳴りのような歓声がうずまく、円形闘技場。
その屋根の上に、倒された旗立て台のわきに、黒い外套をまとった人影が立っていた。
赤黒い布に灰白色の狼の顔の描かれた、スノーバの国旗を顔面に巻いた、男。
男は、狼の目の部分に空けられた二つの穴から、暗い視線をスノーバの将軍達にそそいだ。
『俺はコフィンの魔王』
魔王が、ゆっくりと将軍を指さす。
「貴様の時代を、終わらせに来た」




