三十一話 『コフィン ディファイラー 前編』
スノーバの石の城の、最上階。
玉座の間の真上にある広大な空間には、スノーバから輸入された肥えた土が敷かれ、色とりどりの花や果実のなる樹が植えられている。
緑に埋め尽くされた庭園には壁がなく、天井を支える無数の太い柱の間から、コフィンの大地を高く見下ろすことができた。
大きな三つの噴水から上がる水しぶき。
それに手をかざしていたユーク将軍が、階段を上がって来た勇者マキトと兵士達、ルキナ達に、笑顔を向ける。
「私は植物が好きだ。人間よりも色彩と香りに富んでいて、それでいて無駄口を叩かず、余計なことを考えない。言論と思考の放棄は、究極の平和の体現と言えるだろう」
人も見習うべきだ。
そう静かに語るユークの肩に、噴水の中で水浴びをしていたマリエラが手をそえる。薄い、肌が透けて見えるような衣をまとったマリエラの大きな乳房が、これ見よがしに人々の前で揺れた。
ガロルがまるで汚いものを見るように目を細め、言う。
「王女は体調が優れない。用件は手短に頼む」
「それだよ、召使い。お前達の反応はまったく予想外だった」
ユークがマリエラを伴い、リンゴの木へと歩む。緑色の若い果実をむしり取ると、それをガロルの方へ放った。
パシッと音を立てて果実を受けるガロルが、そのままリンゴの実をそばの噴水に放り込む。
眉根を寄せるユークが、マリエラの腰を抱きながら肩をすくめた。
「やせがまんはやめろ、召使い。暑さと飢えにへばっているお前達にとって、みずみずしいリンゴの実などよだれが出るほどの馳走だろうが。……そう言えば、その口はどうした?」
「余計な世話だ。お前達のせいで、コフィンの大地は危機に瀕している……暴力的な日光、消滅した雨雲、このままでは国が干上がる」
「ああ、お前達がこれほどまでに太陽の光に弱いとは思わなかった。まったく、残念だ。反省している」
ユークの白々しい台詞に、ガロルとルキナが顔を見合わせた。
ユークはマリエラの髪をなでながら、リンゴの木の陰で腕を組んでいたサンテに声をかける。
サンテがゆっくりとした足取りでルキナ達に近づき、懐から羊皮紙を取り出して、広げて見せた。
ルキナ達から視線をわずかにそらして、サンテが低い声を出す。
「将軍は今後もコフィンに雨が降らなかった場合を考え、スノーバからの水の輸出を検討されている。一国を養うほどの、継続的な飲用水の供出だ。これはその、同意書だ」
「……馬鹿か。永遠に国から国へ水を運び続ける気か」
「もちろん土を掘って地下水脈を探したり、大量の蒸留水を生み出す施設を作る等の努力はしてもらう。スノーバはコフィンが水に関して自立するまで、援助をしてやるだけだ。自分の国は自分で再建しろ」
何という言い草だ。自分達でモルグを殺し、雨雲を消滅させておきながら不遜な物言いをするユークに、ルキナの顔が怒りで青ざめた。
だがそんなルキナの眼前に、サンテが広げた羊皮紙をさらに近づけてきて、ささやく。
「同意書をよく見ろ。水の輸出に際して、コフィン側に条件がつけられている……」
「…………飲用水の輸出は、王女ルキナの無条件降伏を条件とする!? 何だこれは!」
ルキナが怒声を上げると、ユークが自分の髪をいじりながら鼻を鳴らす。
「前に言わなかったか? ドレスを着て、自国民の前で体に焼印を押し付けろ。スノーバの奴隷の証として、ブタの印を特別に用意してやる」
「ふざけるな!! 結局水をエサに国を乗っ取ろうという腹だ! 誰がそんなことに同意するものか!!」
「今首を縦に振れば、焼印は一つで許してやる」
ユークがマリエラの胸を押しのけながら、すっ、と笑みを消した。
ルキナとガロルへ殺気のこもった目を向け、一度小さく舌打ちをする。
「だが、水が干上がり、コフィン人どもがバタバタ死に始めてから泣きついて来たなら、その青っ白い顔面に焼印を押し付けてやる。指と手首足首を潰し、首輪をつけて本物の家畜にしてやる。ただの脅しと思うな。今回の提案を蹴れば、必ずこの条件を呑むことになる」
凄まじい目で睨んでくるユークに、ルキナが顔を引きつらせて一歩後ずさった。
ガロルがそんな主君の前に立ち、無言で短剣の柄に腕をのせる。
ユークが殺意にゆがんだ目のまま、くっと喉を鳴らす。
「お前ごときに阻止はできない。そんな短剣で切れるのは、果物の皮ぐらいのものだ」
「ルキナ様に手を出したなら、百の短剣があんたを狙う。……用件がこれだけなら、我々は帰らせてもらう」
「サンテ! 同意書を王女にお渡ししろ!」
口を開きかけたガロルに、ユークが宝剣……回帰の剣を抜き放ち、突きつける。「何をする!」と怒鳴るルキナにはマキトが戦斧の刃を向け、言った。
「いったん持ち帰って署名して来いってことだよ。頭を冷やして、家臣達と相談しな。国が干上がるか、あんたが屈服するかだ」
「言っておくが、さっきのリンゴのように放り捨てたら召使いの方の首を飛ばすぞ。返事は三日以内だ。それ以上は待たん」
歯をきしませるルキナの手に、サンテが折りたたんだ同意書を握らせた。「今はこらえろ」とささやくサンテを、真っ青な瞳が悔しげに見る。
やがて、小さくうなずくルキナに、再びユークが薄笑みを浮かべて剣を収めた。
その時不意に、階段の方から人影が上がって来る。
銀色の鎧を鳴らして現れたのは、スノーバの兵士だった。
無言で、まっすぐに人々の方へ向かって来る兵士に、マキトが眉根を寄せて、マリエラを見る。
「……なんだい、マリエラ」
「何が?」
真っ赤な花束で体をぱたぱたと叩き、香りをつけていたマリエラが、視線もくれずに首を傾げる。
その間に兵士は人々の間をすりぬけ、ガロルを押しのけてユークの前に立った。
自分の顔を模した仮面をかぶった兵士に、ユークはけげんそうな顔をして、やはりマリエラを見る。
「マリエラ、ふざけるな。何か文句でもあるのか」
「だから何?」
「お前、闘技場の時から私と王女が近づくのを嫌がっていたな。妬いてるのか? くだらないことを……」
マリエラが顔を上げた瞬間、兵士がユークの前で、己の鉄仮面を留める皮ひもをほどいた。
土の上に落下する鉄仮面。目を丸くする人々の前で、素顔をさらした兵士がごろごろと喉を鳴らしながら、言葉を発した。
『運がよかった……』
どこかうつろな声が、黄ばんだ歯の間から、ユークの顔に吹きかかる。
あらわになった兵士の顔は生白く、髪も眉毛もまばらに抜け落ちていて、まるで餓死者のように痩せている。焦点の合わない両目とまぶたの間から這い出る、糸のように細長い、赤く輝くものに、ルキナとガロルが同時に「ああっ!」と声を上げた。
『お前達が勇者ヒルノアと縁のある人間だったおかげで……勇者ヒルノアが、古代コフィン人だったおかげで……この赤い蛇の正体に、気づけたのだからな……』
「な……に……?」
唖然とするユークの前で、突然兵士がげらげらと笑い出した。
笑うとその口から血の混じった唾がまき散らされ、小さな赤い蛇がぼたぼたと口中からこぼれ落ちる。
衣のそでで口を覆いながら飛びのくユークを、兵士が指さす。その足が、地面でのたうつ蛇達を踏み潰した。
『突き止めたぞ……赤い蛇の正体……スノーバ兵の正体! 神の正体を、暴いたぞッ!!』




