表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
304/306

百五十一話 『人食い』

 腹が減った。果実泥棒の店で中途半端に胃に物を入れたせいで、腹の虫が暴れていた。


 ブレイズ達の塔に戻ろうかとも思ったが、歩いていると肉を焼く匂いが漂ってきた。草むらに隠れていた石畳に、下り階段が口を開けている。石段に、他の看板と同じ筆致の図柄が掘り込まれていた。


 図柄は、十字架。サビトガと少女は顔を見合わせる。


 慎重に石段を降りると、側溝つきの通路に出た。突き当たりに扉がある。サビトガは石段に刻まれていたのと同じ図柄の看板を見つめながら、扉をノックした。「はーい」と声がして、扉の鍵が音を立てて外れる。


 開いた扉の向こうに立つ人物を見て、サビトガは喉を詰まらせた。銀髪を肩まで垂らした女が、ひどく薄い衣一枚だけをまとい、ほほ笑んでいる。胸元と太ももをさらけ出した女を、サビトガの背後から顔を覗かせた少女が「『人食い』」と、とんでもない名で呼んだ。


「人食いのアギナンテ。クロイツという国から来た、尼僧だ。ハングリンが言っていた聖職者だよ。こんな格好だが、昔はすごく偉い尼さんだったらしい」


「大司教様の御寵愛を受けていましたのよ。あなたに信心はあって?」


 両目を前髪の内に埋めた人食いが、くつくつと笑いながら身を退いた。室内に招き入れられると、そこはいかにも快適な居室だった。石床にウェアベアの毛皮が敷かれていて、ふかふかした繊維が取り付けられた長椅子があり、暖炉が燃えており、大きな鍋が火にかかっている。壁際には鏡や化粧台まであり、チャコール・ボーンの描いた人食いの肖像が三つも並んでいた。


 サビトガは背後で鍵の閉まる音を聞きながら、人食いに低い声を飛ばした。


「防衛戦であなたを見なかった。どこにいたんだ?」


「裏手ですよ。ちゃんと戦ってました」


 振り向くと人食いが、己の砂色の肌を指で撫で、桃色の唇から舌先を覗かせた。


 部屋の奥に、まったく同じ形の剣が二本、異様な存在感を放ち飾られている。双剣使い。サビトガは人食いの豊かな肉体に眠る、ばねのような筋肉の気配を感じ取った。


 他の店主とは違う雰囲気をまとう人食いに言葉を返しかねていると、暖炉の鍋を覗いていた少女が「大丈夫だ」と声を上げた。


「人食いという二つ名だが、それほど凶暴な女じゃない。他の動物の肉と人肉を、区別しないだけだ。この鍋に入ってるのもたぶん、コウモリの肉だ」


「残念、リスの肉ですの。おいしいお酒はいかが?」


 人食いが暖炉のそばの酒樽に杯を入れ、サビトガに手渡してくる。赤みを帯びた酒を滴らせる杯は、頭蓋を外された猿の髑髏だった。


 少女に視線をやると、人食いがくつくつ笑う。「子供の許可が要るんですか?」と、鈴のような声がほんのり嘲りの色を含んだ。


「面白い組み合わせだこと。屈強な殿方が、ちっぽけな産道の女の子に、いちいちおうかがいを立てるだなんて」


「飲まないほうがいい。毒は盛らないと思うが、ふつうに汚い」


 杯が。

 淡々と言った少女に、人食いが一瞬笑みを消した。前髪の奥で何かの光がきらめいたが、しかしすぐに唇をつり上げる。


 サビトガは髑髏をなるべく丁寧な仕草で返却しながら、いつの間にか引っ込んだ腹の虫を感じながら訊いた。


「表に看板が出ていたが、あなたは何を売るんだ? 免罪の符を配っていると聞いたが……」


「あら、どなたから?」


「ハングリン・オールドだ」


 視界が利いているのかどうか判然としない人食いが、己が両目をふさいでいる前髪をいじりながら、はん、と気のない声を出した。サビトガに手振りで長椅子を勧めながら、自身は少女の背後に立とうとする。眉根を寄せて一歩逃げる少女に、人食いは鍋に突っ込まれていた長細い鉄の匙を取り、笑う。


「ハングリン・オールド。渋くて素敵なおじ様だと思っていたのに、魔の者が襲ってきた時、わたくしを盾になさったのよ。がっかりしました。皆の前で大泣きして、出入り禁止の身にしてやりましたけど」


「……あなたの免罪の符を、もらってきてくれと言われたんだが……」


「ハングリンにそんな物は必要ありません。罪悪感を覚える男だと思いますか?」


 サビトガは長椅子に腰を下ろしながら、確かにと首をひねった。そもそも彼は、免罪の符を欲しがった直後に姿を消している。あの依頼は言葉通りの意図ではないということだ。


 鉄の匙で少女にリスを食わせようとしては逃げられる人食いが、真っ白なサンダルで床をコツコツ鳴らしながら言葉を継ぐ。


「わたくしは免罪の符に限らず、人に赦しや安息を授けております。信心があろうとなかろうと、わたくしといれば、苦しみから逃れられますよ。ほんの一時ではありますが」


「赦しと安息……」


「今日は泊まっていかれてはいかがでしょう」


 人食いが匙を鍋に放り投げ、壁際に進む。化粧台を押すと、背後から小さな扉が現れた。扉を開ければ、その向こうにぎょっとするほど広い空間がある。


 石の天井の隙間から赤光が降り注ぐ、大広間。壁際には無数の部屋があり、入り口には錆びた鉄格子がはまっていた。


 監獄。顔を見合わせるサビトガと少女に、人食いはどこから取り出したのか、鍵束を指先でくるくる回しながら笑う。


「施錠なんてしませんから、御心配なく。ですが宿泊する際は、わたくしのルールに従ってもらいます。一人一部屋。離れた場所に入ってください」


「悪さをしますと言ってるようなものだ」


 少女がうんざりした顔で言うと、人食いは回していた鍵束を、ぎゅっと握る。銀の前髪から一瞬、底冷えのするほど綺麗な金色の瞳が覗いた。


「『それほど凶暴な女じゃない』のでしょう? それにわたくしの店を利用すれば、ハングリンの意図も分かるのでは? 免罪の符は一泊した方にしかお渡ししていません」


 サビトガ達はたがいの表情を確かめ、思案したが、結局は人食いの言葉に従った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 久々の更新ありがとうございます。この作品が好きなので続きが読めて嬉しいです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ