百五十話 『果実泥棒』
二つ目の看板を見つけたのは、それから三十分ほど後のことだった。
蔦まみれの建物の入り口に、何らかの果実の絵の看板がかかっている。
食料品店だろうか。サビトガと少女が入り口をくぐると、だだっ広い室内にたくさんの鉢植えが並んでいた。壷やバケツに詰められた土から、さまざまな種類の草木が芽吹き、実を作っている。
店主らしき小男が、部屋の奥で奇妙な紐をつかんでいるのが見えた。ハッと気がついたサビトガが、少女の肩を引いて後退する。二人のすぐ頭上に、紐のつながった丸太が浮いている。小男が紐を引けば落下して、客の頭を叩き潰すのだろう。
酷い店だ。顔をしかめるサビトガに、小男が紐から手を離して「まあまあまあまあ」ともみ手ながらに寄って来る。
「お気を悪くなしゃりませんように。見てのとおり、ここは甘い果実の巣でしてね。略奪を警戒するのは仕方のにゃあことでして」
えらくなまった話し方だ。小男は垂れ目で、わし鼻、髪はチリチリとちぢれていて、全身まっ黄色の服を着ている。靴も黄色く、とがっていて、歩くたびにパカパカと変な音がした。少女がわし鼻を指し「『果実泥棒』」とほとんど罵倒のような二つ名を口にした。
「トンバという国から来た、植物の専門家だ。プラントハンターとか呼ばれているらしい。植物学を極めつくしていて、常に良質の土を持ち歩き、旅先で果実や種子を採取したり栽培したりして知見を深める」
「あのう、一応クービックという名前があるので、そっちの名前で呼んでもらったほうが」
果実泥棒が顔を引きつらせる。そういえばこの顔は、人食い骸骨の群と戦っていた時に見た覚えがあった。自分の体より大きな鋏をジャキジャキ鳴らし、ヨホホイとかキャホホイとか、奇声を上げながら骸骨の手足を削り飛ばしていた危ない男だ。
その大鋏は、さっきまで果実泥棒が背にしていた奥の壁にかけてある。得物を手放して来たことが、彼なりの誠意の示し方なのかもしれなかった。
果実泥棒は自分の商品を案内し始め、鉢に植わったさまざまなベリーや、ぶどう、檸檬の実をもぎ、サビトガと少女に渡してくる。試食すると味が濃く、舌が痺れるほどだったが、いかんせん実が小さい。果実泥棒はちぢれ髪を掻きながら、困ったように笑う。
「なにせ環境が悪くてね。電気の光と、まずい水。塩水が噴き出る大地じゃ地植えもできにぇ。あたしが持ち込んだ土の栄養で、やっと結実してる状態でね」
「そっちの鉢に生えてるのは、ハーブ類か? ブレイズの家でご馳走になった料理に入っていた」
「ええ! ハーブはね、元気ですよお! おすすめは山椒なんですが、ボーン夫妻の口には合わないみたいでね! 肉料理には最適にゃんですが」
少女がオリーブの木や、マタタビの木を覗き込み、ふと、巨大な鉢におびただしく結実する木苺に目を留めた。見覚えのある色と形。「村長専用でね」と、果実泥棒が声を潜めて言った。
「あの人は大の木苺好きで、あたしに自分用の実を作らせるんですよ。その鉢はもう何度も年を越してるはずなんですが、全然枯れる気配がない。気持ち悪ぅいですよ。レイモンドの生命力が伝染したみたいでね」
「アイツは、なんで木苺が好きなんだろう」
「さあー……人の好みに理由なんて、ないんじゃないですかね。あたしは背が高くて、金づかいの荒い女人が好きですけど、理由は説明できましぇん」
少女が白い目を向けると、果実泥棒は舌を出し、自分の頭を小突く。一通り鉢植えを見たサビトガが火打石を取り出し、果実泥棒に訊いた。
「イチゴの実と、山椒の実が欲しい。火打石ひとつで何個買える?」
「イチゴ二十個と、山椒三十個ですね。ええい! ついでにイチジク一個もつけちゃろう! あたしイイヒト!」
果実泥棒の言葉に、サビトガは火打石を差し出しながら、改めて室内の植物群を見た。
地底世界の異常さにはもはや慣れてしまっていたが、本来これらの植物の結実時期は、同じではない。旬の違う果実やハーブが、同時期に実っている。
外から持ち込まれた植物さえ、形をゆがめられるのか。
麻の袋に売り物を詰める果実泥棒の鼻歌を聞きながら、サビトガは、何とはなしに唇を噛んでいた。




