百四十九話 『鍛冶師』
少女が目を剥き、レイモンドに詰め寄って「嘘だ!」と叫んだ。レイモンドは再び頭をがりがり掻きながら「嘘じゃねえ」と答える。
「産道の民同士で集まって、俺達異邦人を置き去りにしたんだ。今どこにいるのかも、分からねえ」
「産道の民が優れた異邦人を裏切るわけがない! ワレワレにとって一族の使命は……!」
「本音と建前ってやつだよ。お嬢ちゃん。追い詰められた大人は、割と簡単に建前を捨てるもんさ」
レイモンドが髪に指をからませたまま、少女を見下ろす。その目にはけっして良くない感情の色が、油のように浮いていた。
「アドラ・サイモンが産道の村を滅ぼしたって情報を、お嬢ちゃんの前に来たやつが持ち込んだ。産道の親は全滅、今現在使命に出かけている子供らが戻らなければ、一族は途絶えるってな」
「……だから使命を完遂して、最低でも男の子と女の子が、一組以上生還すれば……」
「産道の民の男は、もう一人しか生き残ってねえんだよ」
絶句する少女に、レイモンドがうすら笑いを浮かべる。指を髪から離しながら、首をごきりと鳴らした。
「生存している産道の民のほとんどが女で、男は一人きり、しかもお嬢ちゃんとそんなに変わらねえ年齢だ。ちっぽけで、弱々しくて、あげく負傷して右手を失くしていた。どう考えても、自力で使命を完遂することはできねえ。ほっとけば確実に死ぬ。そうなれば産道の民は終わりだ」
「……」
「最後の男を守るために、女達は全員で、使命を捨てることにしたってよ。異邦人を見捨て、一塊になって、産道の村に戻る方法を探しに旅立った。だからこの集落に、お嬢ちゃん以外の産道の民がいねえのさ」
サビトガが震え出す少女の肩に両手を置き、「もういい」と言った。「それ以上言わないでくれ」とレイモンドを見ると、彼はあっさりと背を返し、行ってしまう。
少女が何ごとかをつぶやき、次の瞬間、サビトガの足に抱きついてきた。立てられる爪を、サビトガは無言で受ける。
「……信じない。信じたくない。レイモンドは嘘つきだ。意地悪なデマカセ男だ。そうだろう、サビトガ」
「ああ」
「使命はただのしきたりじゃない。ワレワレは実際に生命を捧げてきた。ワレワレ全員の尊厳に直結している。それを覆すなんて、許されない。絶対に許されない」
だって。少女が震えながら、ぞっとするほど悲痛な声でうめいた。
「ワレワレは殺したじゃないか。使命のために、山ほどの異邦人を殺したじゃないか。使命を捨てるということは……その気になれば捨てられる程度のもののために、殺戮を行ったと……認めることになる……」
そんなの、魔の者じゃないか。
魔の者より酷いじゃないか。
少女の声が、サビトガの耳の奥で、長く渦を巻いた。
◆
古代の石畳の上を歩く。少女の手を引き、そのうつろな表情を時折振り返りながら、サビトガは懐の銀貨を指でなぞる。
レッジには悪いが、今日はもう、少女のそばを離れるわけにはいかなかった。
集落は広く、店の看板を探すのは一苦労だった。塔や廃屋を覗いて回り、食事中の男達に不思議な顔をされたり、入浴中の女に絶叫とナイフを飛ばされ、大声で謝罪するはめになった。
少女の物憂げな顔が、だんだんと呆れ顔に変わっていく。樹木の洞を覗き、誰かのへそくり的な銅貨の詰まった袋を見つけてしまい、途方にくれるサビトガを、少女はうんざりとひじでつついた。
「やめてくれ。そういうのはレッジの役回りだ。わざとやってるのか」
「仕方ないだろう、レイモンドの言ったとおりにしてるだけだ。よく知らん塔や住居を覗いて回ってる。誰がやってもこうなる」
銅貨の袋を洞に戻すサビトガが、ふと鼻をひくつかせた。一瞬、鉄の焼ける臭いがした。少女のひじが再度足をつつき、「こっちだ」と小さな手がサビトガを誘う。
石造りの廃墟を三つ通り過ぎた先に、ごく小さな鍛冶小屋があった。比較的新しいレンガで建てられた小屋の前に日避けの布が張り出され、鍛冶道具や武器防具がところせましと並んでいる。小屋の外壁に飾られた剣の絵の看板の横で、禿げ頭の男が戦斧の刃を磨いていた。
レイモンドの言っていた鍛冶師か。仕事の邪魔をしては悪いと踵を返そうとしたサビトガに、しかし鍛冶師自身が「いらっしゃい」と声を投げてきた。
「何か欲しいの。食器、水筒、燭台くらいならすぐ渡せるよ。武器防具は需要と供給が追いついてなくてね」
「この銀貨を、物々交換用の品と替えてほしいんだが……」
レイモンドの銀貨を見せるサビトガに、鍛冶師が戦斧を置いて小屋の中に入って行く。
すぐに出てきた鍛冶師が、平べったい金属の板を五つサビトガに差し出した。「火打石だ」と説明すると、鍛冶師は交換した銀貨をズボンのポケットに突っ込む。表情の乏しい男だ。歩き方に隙がなく、常に他人の暴力に備えているのが分かる。
鍛冶師は少女に一瞥をくれながら、ふと「あんたの槍さあ」と、声だけをサビトガに向ける。
「刃は完全にダメになってるよ。穂先の方。仕込み剣は無事だけど、髑髏の装飾から上は全部取り替えなきゃならんね」
「時間がかかりそうかい」
「別の槍の刃と替えればすぐだが、たぶん振るった感じが変わる。一から打ってやるよ。そうだな、少なくとも十日は待ってもらうことになる」
仕方ないだろう。元の形に修復してもらえるだけでも、ありがたい話だ。
鍛冶師は周囲の破損武器から折れた剣を取り上げ、金具を外し始めた。それはよく見ればレッジの剣だった。鍛冶師の口が「それと」と動く。
「槍袋はどうする?」
「槍袋……」
「槍の刃をむき出しで持ち歩くのも、悪い判断じゃない。木や岩の陰からいきなり敵が現れた時、覆いを取り外していたら手遅れになる場合もあるしな。だが、そこまで考えていたわけじゃないだろう」
鍛冶師の目が、何かを見透かすような光を帯びた。サビトガは少女の手がいつの間にか離れていたことに気づきながら、うなずく。
「島に入る前に槍袋を調達する機会は、いくらでもあった。ただ……刃が傷んだり、事故で自分を刺すことを、わざわざ避けたいとも思っていなかった」
「よくある事だよ。島に向かう槍使いにはな。で、どうする。今は心境が変わってるだろ。その子を事故で刺してもいいとは、思うまい」
少女を親指で示す鍛冶師に、サビトガは「作ってくれ。槍袋も」と答える。うなずく鍛冶師が、レッジの剣を直すため、鍛冶道具を振るい始めた。
島に立ち入る前、一人だった頃の捨て身じみた態度の名残を、この鍛冶師は一目で看破してくれた。
良い鍛冶師だ。サビトガは禿げ頭の後頭部にへばりつく火傷の跡を見とめながら、少女とともに鍛冶小屋を後にした。




