百四十一話 『集落防衛戦 九』
最も巨大な敵を無人の防衛線に引き入れる。無謀にも思えたが、サビトガの周囲の異邦人達はギドリットの指示通りに動き出した。
チャコールに手を取られ、少女、レッジ、シュトロとともに防衛線を離れると、集落内に居たはずのオーレンが消えていた。戦車をからめ潰した鎖はほどかれ、持ち去られている。彼は戦意を保持したまま、何らかの作業をするために場を離れた。そう判断し、サビトガ達は防衛線の塔が倒壊しても巻き込まれない位置まで下がる。
巨大骸骨の咆哮が、雷鳴のように空気を震わせる。建物の隙間から覗く巨体は、すでに水路のすぐ向こうまで到達していた。
ギドリットの上がった塔には、彼の要請に応え水樽や松明を用意した異邦人達が数名ばかり集っている。最も危険な場所に自ら向かう人々は、みな顔を紅潮させ、息を詰めていた。
恐れを噛み潰し、すべきことをするために、呼吸を最低限に抑え脳を意図的に弛緩させている。余計なことを考えぬよう、生存本能を飼い慣らしているのだ。
それができる彼らは確かに優れた異邦人だったが、息を詰めず大声で指示を飛ばし続けるギドリットは、さらに上手の猛者と言えた。塔が巨大骸骨に打ち崩されれば、彼らはまず助からない。万一瀕死で生き残る者がいたならば、救助するのは地上に残ったサビトガ達の役目だった。
巨体が水路を潰す音が響く。古い石と白骨の川が砕けて混ざり合い、石くれ、骨片が空に向かって跳ね上がる。
レイモンドが防衛線に上がるのが見えた。瞬間、ギドリットが塔の上から気合をほとばしらせ、大壷を落とす。
塔と塔の間に手を差し込み、かき分けようとしていた巨大骸骨が、頭蓋に直撃する大壷に動きを止めた。砕け散る壷の破片に、虹色の飛沫がきらめく。
土砂ではなく、液体をたたえていた大壷。飛散する粒がまとう臭いに、シュトロがカカシの顔の口元を覆った。
「油の臭い……!」
「えっ! それって!!」
レッジが叫ぼうとした瞬間、塔から数本の松明が投げ落とされる。
生ける骸骨に油をかぶせ、火をつける。それは平原の砦でサビトガ達がしたのと同じ行動だった。
その結果、どうなったか――。
思考をめぐらせるサビトガ達の視線の先で、しかし落下する松明の群は、無造作に払われた巨大骸骨の右手にはじき飛ばされた。
虹色の油に濡れた眼窩が、塔の上のギドリット達を見る。人々の心臓が締め付けられ、冷たい血を吐く中、渦中の塔の根もとから鎖の音が響いた。
ネズミのように身を潜めていたオーレンが、長い鎖を不意打ち的に投擲する。先端についた馬具が、巨大骸骨の歯に引っかかった。
戦車と綱引きをした時のような、支点の分散工作はされていない。にもかかわらずオーレンは鎖を握り、真正面から巨大骸骨を引く。
「チャコールッ!!」
塔の中途で水樽を運んでいたブレイズが、とっさに飛び降りてオーレンの腰を捕まえながら叫んだ。巨大骸骨が視線をさまよわせる中、チャコールが黄鉄鉱の剣を握り、咆哮とともに投げつける。
ぐるぐると回転しながら飛ぶ剣先は、緊張したオーレンの鎖の輪に突き刺さり、火花を散らした。骸骨から伝ってくる油に濡れた鎖が、火花を受けて一度大きく燃え上がったが、敵本体への導火線の役割を果たすには今一歩勢いが足りない。炎は鎖をさかのぼらず、重力に負けてそのまま地面へと滴る。
巨体が、人々の一連の機転に憤り、拳を空に向け振り上げた。
その拳が果たしてギドリット達の塔に向かうのか、オーレンとブレイズに向かうのか、あるいは全く違う場所に叩きつけられるのかは、知れない。
知る必要もないと、サビトガは判断した。
チャコールのわきから、死神の槍がカン高い声を上げて飛ぶ。この場で唯一人々の側に立つ髑髏が、異形の大骸に死を宣告した。
鎖に埋まった黄鉄鉱を、穂先が長く削る。稲光のような火花が噴き上がり、それは巨大骸骨の耳元にまで飛んだ。
くすぶっていた鎖が灼熱の線と化し、導かれた炎が白骨の口中で炸裂する。虹色の油がすべて燃え上がり、巨体を火に包む。
悲鳴。まるで人のそれのような悲鳴を吐き出す巨大骸骨が、たまらず白い電気の空を仰いだ。
その解放された口に、ギドリット達が投げ落とす水樽が、吸い込まれてゆく。




