百四十話 『集落防衛戦 八』
防衛線に、奇妙な静寂が満ちていた。
剣戟音も怒声も悲鳴もなく、魔の者が動き回る気配もない。
一切の戦闘行為が停止し、人々は開戦前のように、集落の外周に集まって草原に臨んでいる。
サビトガは少女とともに人垣に近づき、ブレイズとチャコールの間に体を割り込ませた。
皆と視線を重ねると、顔をゆがめて「正気か」とうめく。ブレイズが鼻を鳴らし、「まさか」と返した。
「あの男はとっくに狂い果ててるよ」
草原に、巨大骸骨と至近で睨み合う村長レイモンドがいた。彼は左手に鈴鳴らしの死体を抱き、その顔面に骨を装填した弩を突きつけている。
それはどう見ても人質の図だ。怪物相手に、死体を人質に取っている。
シュトロがブレイズの向こうから、低く「不思議だ」と声を上げた。
「あんなふざけたザマなのに、デカブツ骸骨が沈黙してるんだ。レイモンドを叩き潰そうとしねえ。人質作戦が成功しているわけもねえ。ありゃ、いったいどういう状況なんだ?」
「巨大骸骨自身、目の前で何をされてるか分からないんじゃないですか」
チャコールの言葉に、シュトロがわずかにボタンの視線をめぐらせる。負傷した仲間を手当てしたせいで血まみれになった手を、チャコールは自分の衣でぬぐった。
「人も動物も、それ以外の生物も、みんな自分の知能に見合った常識を持っています。現象に対し自分なりの因果律を当てはめ、理解しようとする。それでもって生存活動を展開し、戦おうとする」
「……レイモンドの行動があまりに突飛で、面食らってるってことかい?」
「少なくともあの怪物を前にして、同じことをした人間は過去にいなかったんでしょう。今まで何百と屠ってきた存在が、いきなり見たこともない奇行に走った。あなただって追い詰めた鹿がいきなり犬みたいに吠え出したら、様子を見るでしょう?」
「そりゃそうだがよ」
シュトロが返した直後、草原からレイモンドの声が上がってきた。水路の集音装置が、巨体と対峙する男のつぶやくような声を拾う。
『お前らは、なぜ死に際して祈るんだ。誰に対する祈りだ。何のための祈りだ。祈って、何を得ようって言うんだ』
『天国に行きたいか? 死後の安寧がほしいか? それとも自分達のクソッタレな生き方を、許して欲しいか』
『祈るヤツは死と遺体に意味を見出す。分かりきったことさ』
『こときれた仲間がどう扱われるか、気が気じゃない』
『そうだろ?』
底冷えのするような響きをはらんでゆくレイモンドの声に、防衛線の人々の表情がこわばった。直後。
集音装置が声以外の、ひどく耳ざわりな音を皆の耳に届けた。みりみり、ぶちぶちという、破壊音。サビトガは無意識にそばにいた少女の目を覆っていた。森でたくましい生き方をしてきた彼女にその必要がないと分かっていても、覆わずにはいられなかった。
『お前ら全員、地獄行きだ。欠片の尊厳も残してやらねえ』
鈴鳴らしの顔面を噛み破ったレイモンドが、真っ白に剥いた歯に魔性の皮膚を垂らした。悪魔の笑みを浮かべる彼に、停止していた巨大骸骨が腕を振りかぶる。
サビトガは、その瞬間の骸骨の顔に、なぜか強い表情の幻影を見た。ほとばしる咆哮が拳骨とともにレイモンドへと向かう。
鈴鳴らしを盾に、レイモンドが回避行動を取るのが見えた。その姿が土煙に覆い隠される。
支援攻撃の用意をする人々に、不意に頭上から声が降った。いつの間に帰って来ていたのか、ギドリットが塔の上から、最後に残った大壷を押しつつ怒鳴る。
「皆、防衛線から離れろ! あの骸骨を集落におびき寄せる! 誰か水と火を用意しろ! 塔の上に上げるんだ!」
水と火。指示を聞き返す間もなく、草原から巨大骸骨の移動音が届く。
土まみれのレイモンドを追う巨体が、白骨の口を全開にして、集落に迫っていた。




