百三十八話 『集落防衛戦 六』
白骨牛が痛苦と怒りの声を上げ、地面に胸骨から崩れる。むき出しの骨の突起で土をえぐり、ずるりずるりと戦車ごと引かれる。
いくら肉を失った牛と残骸同然の車とはいえ、人ひとりの力で振り回せる重量ではないはずだ。人食い骸骨と人間を同時に吹き飛ばす白骨牛が、オーレンの牽引に抵抗してようやっと身を起こし、五分の勝負を挑む。
均衡する鎖、軋む柱。両者とも重心を深く取り、一歩もゆずらない。
オーレンは今、確実に彼の筋力を超えた力を発揮している。その秘密は鎖を得物にしていることと、複数に分散させた支点にあった。
鎖やロープを介して物を引く時、中間に支点や折り返し地点をはさむことで牽引力が強化される。地面に突き立った柱と瓦礫が白骨牛の重量をある程度散らし、オーレンの力をより効率的に作用させている。
鎖と支点の摩擦部分には、わざわざ蔦や苔の多く生えている場所が選ばれている。原始的だが、つまりは滑車の原理だ。こうした牽引では人の力は三倍にも四倍にもなる。
だが、それは鎖を反対側から引いている白骨牛にしても同じことだ。力の方向が正しく定まれば、倍化された怪物の力がオーレンを吹き飛ばすだろう。
巧妙に引き方と姿勢を変え、綱引きを継続するオーレン。彼を支援するために何人かが動くが、その足を人食い骸骨の増援がいやらしく阻む。
防衛戦全体の、恐らくは最大の苦境だ。一人一人がぎりぎりの戦いを課せられている。一つの勝敗が全てを崩壊させかねない。
オーレンは綱引きの敗北時に命取りになることを承知の上で、鎖を拳で巻き取り、自分の腕に固定した。深く腰を落として引くと、白骨牛と戦車がずるりと動く。
白骨牛の足が、がくがくと震えていた。極薄の擬似筋肉が骨の表面に立ち上がり、絹のように電光を透かす。
「潰れろ……ッ!」
血管まみれの顔をゆがめたオーレンが、渾身の力を鎖に込めた。瞬間。
それまで必死に地に踏ん張っていた白骨牛が、突如鎖の牽引方向に自ら身を差し出し、走り出した。がくりと体勢を崩すオーレン。たわむ鎖。
一瞬の自由を、白骨牛は信じがたい疾さと勢いで活用する。再び鎖を引くでもオーレンに向かうでもなく、なんと鎖の支点である柱と瓦礫を回り込み始めた。
緊張していた鎖の経路が、次々とほどかれ、支点を失ってゆく。驚がくするオーレンが鎖を引いても、すでに白骨牛の疾さについていけない。鎖のたわみは、すでに鎖自身が地につくほどに深刻化していた。
牽引の支点を意図的にほどくなど、並の牛馬の知能ではない。残り一つの柱を回り込もうとしたところで、白骨牛がふと立ち止まり、オーレンを見た。
「…………」
白骨牛が、何らかの思考を感じさせるような沈黙をまとう。たわみ切った鎖と、残り一つの支点。自分の力に対抗する手段がすでにオーレンにはないことを、悟ったかのようだった。
ぐつぐつぐつと、白骨牛の喉が鳴る。オーレンはそれを嘲笑だと確信した。顔中を引きつらせる彼に、白骨牛が一直線に突進してくる。
「クソがあ!!」
叫ぶオーレンがたぐる鎖は、しかし直後の緊張の果てに彼の体を地面に引き倒す。支点をいくつも失った牽引構造は、もはやオーレンの力を倍化しなかった。抵抗するオーレンを引きずり、猛牛の軌道に誘う。
蹄と車輪が頭の上に迫る。鎖を引き続け、敵の速度を多少なりとも落とそうとしながら、オーレンは最後まで八つ当たりじみた絶叫を吐き散らした。
「誰か僕の馬を持って来いッ! 役立たずの、バカ野郎どもがぁああッ!!」
土煙がオーレンにかぶさる。死の蹄が、彼の髪を押し潰す。
――砕け折れる音。圧せられた物体が、瞬間的に形を崩し、機能を失う音。
オーレンは、蹄にひっぺがされた髪と頭皮の一部が宙を舞うのを感じながら、目の前をまるで時が逆流したかのように、背後に向かって動く白骨牛を眺めた。
緩慢に、ゆっくりと――地面に接触した胸骨をきしませ、もがきながら、前肢を引かれる、怪物。
緊張した鎖に持ち上げられ、じわじわと横転する戦車に、オーレンは目を剥きながら唇を噛み、己のわきにいる連中に、うなるような声を吐いた。
「馬を持って来いって言ったんだ。誰が手を貸せなんて言ったよ」
「あの馬はもう俺のだ。甘ったれるんじゃない」
土煙の中、鎖を取り上げたサビトガとシュトロが、痛むひじに目をゆがめながらオーレンのわきを固めていた。砕けた前肢を引きずられ、背後の柱の支点へと後退する白骨牛が、高い奇声の咆哮を上げる。
サビトガは鎖を引きながら、「だが、よく持ちこたえた!」と続ける。背後の防衛線では、ようやく数が減り始めた人食い骸骨を、異邦人達が二人がかり三人がかりで排除していた。
シュトロが後頭部が地面につくほどに体勢を下げ、オーレンに片手を差し出す。いらつきを隠しもしないオーレンは、しかしシュトロの手をつかみ、再び靴底を地につけて復帰した。
正真正銘の三人力が、白骨牛と戦車に襲いかかる。もがき跳ねる魔の者が、しかしやがて柱にその身を固められ、身動きを封じられた。
戦車と白骨牛の骨格が、めりめり音を立てながら潰れ合い、より深く癒着の様相を呈する。
白骨の暗い眼窩が、自分を苛む三人にさらなる応援が向かうのを見つめながら、びしりとひびの線を走らせた。




