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二十九話 『青い地獄』

 コフィンに、おそらく数百年か千年ぶりに青空が戻った。


 全ての暗雲は天空竜モルグの死と共に消滅し、痩せ細った大地にさんさんと陽の光が降り注いだ。


 スノーバの侵攻がなければ、実現し得なかっただろう世界観の変質。


 スノーバの入植者達は自分達の行為の正しさを再確認し、その日の内にコフィンの地に、スノーバからの輸入作物の種をまき始めた。


 ふだん武器しか手にしない人々もこの日ばかりは農具を持って土を掘り返し、麦や芋や、豆やぶどうの種を地に埋めて回る。


 貧弱な大地は、おそらく種のほとんどを育めずに腐らせるだろう。だが天から降り注ぐ陽光はいずれ土が肥えるための環境を作り、まいた種のいくつかをきっと実らせる。


 スノーバの人々はそう信じ、自分達が救済した国の土をいじる充実感に酔いしれた。


 入植者達は自分達のなした正義に満足し、ユーク将軍はそんな建前の上で、コフィンがより価値ある植民地に近づいた事実にほくそ笑んでいた。



 だが、そんな筋書き・・・は、しょせんコフィンという国の世界観を外国人としてしか知らぬ、侵略者のためのものだ。


 守護神を失ったコフィン人達の慟哭どうこく、絶望……それは国全体を覆いつくし、人々の心を打ち砕いた。


 降り注ぐ太陽、真っ青な、空虚な空。英雄達の遺品と共に打ち捨てられた……切断された、モルグの首。


 輝かしい世界は、コフィン人にとっては地獄の景観そのものだった。


 そしてさらに、モルグ亡き世界はコフィン人達に、もっと直接的な、存続の危機をもたらしていたのだ。




「――暑い……!」


 鎧を脱ぎ払ったルキナが、先日サンテを招き入れた噴水のある広間の真ん中で、頭上を見上げる。


 天窓の向こうには突き抜けるような青い空があり、相変わらず雲ひとつ浮かんでいない。


 スノーバ人達はこの天候を爽快なものとして捉えているようだが、生まれてからずっと灰色の空の下で暮らしてきたコフィン人にとって、陽の光をそのまま通す青空は、命に関わる環境の変化を招いていた。


 強い日差しは耐性のないコフィン人の肌を焼き、地面を熱して気温を上げる。

 暖を取る火が必要だった日々から一転、鎧どころか上着を着ているのもつらいほどの陽気となった。


 たまらず日陰に逃れるルキナのもとに、草で編んだ帽子をかぶったナギが駆けて来る。


「ルキナ様、王都の民がこの暑さで次々と倒れています。水と日陰を求めて城門前に集まっている者達がいますが……」


「さっさと入れてやれ! 地下の水樽を開放しろ! ガロル、ガロルはいるか!」


 ナギが戻って行くのと入れ違いに、ガロルがどすどすと走って来る。律儀に鎧を着ている彼に、ルキナが額の汗をぬぐいながら顔をしかめた。


「そんなもの脱げ! お前も倒れるぞ!」


「平気です。ルキナ様、何の御用で」


「モルグが死んでから天候がおかしい。どの方角の空を見ても雲ひとつない。この青い空……まさかずっと続くのだろうか?」


 ガロルは鎧の隙間から取り出した麻布でルキナの腕や首筋をふきながら、眉根を寄せて答える。


「分かりません。モルグはコフィンの雨をつかさどる竜神。それが滅びた今、再び雨が自然に降るのかどうかは誰にも保証できません」


「この暑さが永遠に続き、雨も降らないのだとしたら、コフィンは人も大地も干からびる。生き物のめない死の大地になってしまうぞ……」


「兵を総動員して水を集めています。小川の水や、草木の水分を煮沸しゃふつ消毒して樽につめています。しかしそれも一時しのぎに過ぎません。自然に残った水分を全てを消費しつくした後どうすれば良いのか……」


「ガロル団長!」


 広間に声が響き、戦士が一人駆け込んで来る。「どうした」と問うガロルに、戦士が床に膝をついて首を振る。


「議場に監禁していた元老院の議員達が、この暑さで疲弊ひへいした見張りの戦士達の隙をついて……」


「脱走したのか!?」


「いえ、それが……これを」


 戦士が手に握っていた布切れをガロルに差し出す。


 それは端々が焼け焦げた白い布で、わずかに黒い線で描かれた、竜の絵の断片が残っている。


 コフィンの、国旗だ。顔を見合わせるガロルとルキナの前で、戦士が吐き捨てるように言う。


「議員達は議場の屋上に登り、掲げられていたコフィンの国旗を民衆の前で燃やしたそうです。『コフィンはもう終わりだ。スノーバの旗を掲げ、スノーバの民として生きるべし』と叫び、一人残らず身を投げたと」


「ぜ、全員が自殺したのか……!?」


「元老院を見捨てた民衆の目を覚ますため死を捧げると。コフィン王家に従い続ければ、いずれ全ての民が自分達と同じ道を歩むことになると。そう叫んで死んだそうです」


「くそっ! どこまでも足を引っ張りおって!!」


 歯を剥くガロルの隣で、ルキナがさっ、と青ざめた。


 膝をついた戦士の肩をつかみ、緊張した声で問う。


「議員達はつまり、民衆に王家を倒せと言ったのか?」


「直接そう言ったわけではありませんが、コフィンを捨てスノーバに下れと叫んだのですから、反乱をあおったと捉えた者もいたかも……」


「二人とも城門前に来いッ!!」


 ルキナが言葉と同時に走り出した。


 あわててついて来る二人とともに廊下を駆け、途中にいた兵士や騎士達にも同行するよう叫ぶ。


 最終的に十人ほどを引き連れたルキナが大扉を開けて王城の外に出た時、城門付近では雑多な武器を持った二十人ほどの民が、門番とナギに襲いかかっていた。


 はがいじめにされたナギに棒切れを振り下ろそうとする老人に、ルキナが腰の短剣を即座に抜いて投擲とうてきした。宙を舞う白刃が老人の腕に突き刺さり、悲鳴が上がる。


 己に向けられる民衆の視線に、ルキナが「愚か者どもめ!!」と怒声を放つ。


「コフィン人が団結して敵に立ち向かわねばならぬ時に、貴様らは何をやっているのだ! 国を売った元老院の言葉にたやすく耳を貸しおって!!」


「お、王女……!」


「この首を手土産にスノーバの将軍に取り入りたいか!? コフィンに残っている他の国民に後足で砂をかけ、他国に出て行きたいか!? ならば貴様らはもうコフィン王国民ではない! 先王ルガッサの愛した民ではないわ!!」


 この言葉に、民衆の多くはがくぜんとした表情で口をつぐみ、何人かは武器を取り落とした。


 だが一人の錆びた短剣を握った男がルキナの前に進み出て、「笑わせるな」と自国の王女を睨む。


「コフィン人が団結して敵に立ち向かうだ? とっくにスノーバに組み伏せられてるくせに今更何を言ってやがるんだ」


「貴様」


「食い物もねえ、守護神も死んだ、水もこの暑さで干上がるって言うじゃねえか。もうこの国はおしまいなんだよ……お前だって、いつまでも王女様面してんじゃねえ!!」


 その首もらった! そう叫んで短剣を振りかぶる男の前に、ガロルと数人の騎士、戦士達が躍り出る。


 ルキナの顔に、無数の刃につらぬかれた男の返り血が飛んだ。


 ぐっ、と喉を鳴らすルキナの前で、ガロルが既に半ば千切れかけた男の首から短剣を引き抜き、改めて一撃する。


 はね飛ばされ、ゴロゴロと転がって来る首に、武器を持った民衆が悲鳴を上げて逃げ出した。

 ガロルの魂を打ち消すような大声が、民衆の背に容赦なく放たれる。


「誇りと尊厳を捨てたいなら黙って国を去れ! 王家を敵国に売り渡す輩は、元同胞だろうと俺が皆殺しにしてやる!!」


 ルキナは、遠ざかって行く民の足音を聞きながら、べっとりと顔についた血を手でぬぐう。


 次いでナギと門番に目をやり、「無事か」と訊いた。門番達が頭を下げ、ナギが小さく「はい」と答える。


「ルキナ様……」


「なんという時代だ」


 つぶやくルキナが、はねられた男の首に歩み寄り、それを拾い上げる。

 自分を見つめる家臣達に背を向けたまま、ルキナは深く息をついて言った。


「だが、諦めん。死ぬまで……最後の一人が、死に絶えるまで……諦めるものか」


 ルキナの歯が、ぎりりと大きく音を立て、人々の耳を震わせた。





 甘い匂いが、ふわりと広がった。

 外から帰って来たダストが、かごいっぱいのラムライの花を揺らしながら、家の中に足を踏み入れる。


 石窯のそばにかごを置くと、床に膝を抱いて座っていたアッシュの肩に手を置く。


 鉄兜は、床に無造作に投げ捨てられている。泣きはらした目をこするアッシュに、ダストは低く言った。


「昼食は、何がいい? パンでもエビでも、お菓子でも、なんでも作ってやるよ。なんなら干し肉を出してきてもいい」


「……」


「何か食べないと、もたないぞ」


「ダスト」


 ゆっくりと顔を向けてくるアッシュに、ダストは目を細める。


 アッシュは唇を震わせ「今までありがとう」と、小さく礼を述べた。


「ごはん、美味しかったです。草のベッドも、寝心地が良かった。色んな話も聞かせてくれて……でも、私、決めたの」


「……何を?」


「モルグに会いに行く。死体でもいい、顔を見たいの」


 この家から、出て行く。


 そう続けるアッシュに、ダストは数秒目を閉じた。何度か呼吸を繰り返して、それから、アッシュの耳元に口を寄せる。


「モルグの首は切断されて、コフィンの王城の前にさらされているそうだ。コフィンの王都は、スノーバの都のすぐそばにある。スノーバ人に捕まったら、君はタダじゃすまない」


「分かってる」


「君を追って来た冒険者達の死体は片付けた。だが、彼らの行方が途絶えたことが、君の罪として数えられる可能性もある」


「分かってるよ」


「君はどんなひどい目にわされるだろう」


「それでも行きたいの」


 行かなきゃ。


 そう静かに言うアッシュに、ダストはゆっくりと目を開ける。


 ふっ、と笑うと、かごからラムライの緑色の花を一輪いちりん取り、アッシュの黒い髪に差し込んだ。


 長靴を鳴らし、草のカーテンに歩むと、ざっ、とそれを開け放す。外に広がる青空を見つめながら、ダストが背後のアッシュに声を飛ばした。


「俺も行こう」


「えっ?」


「見ろよ、この絶望的な景観を。慣れ親しんだ王都が今どうなっているのか……俺も見に行きたいんだ」


 でも、と声を上げるアッシュに、ダストはちらりと横目を向けた。

 その口元が、笑みに歪んでいる。わずかに歯を見せて、低い声で繰り返した。


「俺も行く。君と一緒に、地獄に飛び込む。決めたんだよ、アッシュ。もう、決めたことなんだ」

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