百三十話 『脅威の人 後編』
レイモンドの作る道をたどりながら、マッシュルーム男が低くウシガエルのようにうなる。
ウーン、ウーンとひとしきり鳴いてから、突然に隣のオーレンを指さし大声で怒鳴った。
「つまりさ! レイモンドさんは筋を通さないやつが嫌いなんだ! みっともなくて男らしくないやつを軽蔑してるんだ!」
「……!」
「お前みたいな馬鹿が馬鹿なことするのを見逃してきたのも、探索者それぞれの自由を縛るまいと御自分の筋を通してこられたからなんだ! 言ってみりゃお情けだ! それをお前――」
疾風のようなオーレンの拳が、今度こそマッシュルーム男の鼻面を直撃した。ぐぇっ! と吹っ飛ぶ肥満体に、オーレンが「調子に乗るな! 腰巾着が!!」と罵声を浴びせる。
巨木に背を受け止められたマッシュルーム男が、それでもダメージにへこたれず「いてえ! 油断した! 結構喰らった!」と騒ぎながら曲がった鼻を自力で直した。
優れた異邦人同士が軽やかに暴力をやり取りし、赤い光に満たされた森の静寂をかき乱す。
マッシュルーム男が鼻血を袖で拭きながら、二打目を狙っているオーレンに再び指先を向けた。
「お前、あのサビトガに復讐しようって考えてるだろ。決闘で受けた傷をいつか返そうって企んでるだろ」
「それが何だってんだよ! 当たり前だろうが!」
「当たり前じゃねえよ。だからお前は馬鹿だってんだ。決闘のやり直しなんか、許されるわけないだろ」
オーレンは、いつしか足を止めて自分を見つめていたレイモンドに気がついた。わずかに表情をこわばらせるオーレンに、マッシュルーム男が嘲笑を向ける。
「男が一度決闘を受け入れて、その結果に不満を垂れるなんて馬鹿の極みだ。男らしくないし筋も通ってない。決闘に負けた時点で、お前はすべてを失ったんだよ。サビトガに何もかもを奪われてしかるべき立場になったんだ。
だってサビトガは、お前を殺せたのにあえて殺さなかったんだから。そうだろ?」
「……」
「格付けはとっくに済んでいる。サビトガが上で、お前は下だ。それに異を唱えることは、勝者を宣言したレイモンドさんの顔に泥を塗るってことだぜ」
唇を噛むオーレンに、マッシュルーム男が巨木に背を深く預け、さらに偉そうに表情をゆがめて言った。
「『右腕』を気取ってたくせに、そんなことも分からないかね。レイモンドさんがいつも言ってるだろ。『男はハートが熱くなきゃ駄目だ』って。決闘に負けただけならまだしも、ハートまで冷え切って腐ってるって分かったら、いくらレイモンドさんでも……」
「ハートは熱いさ」
オーレンが、マッシュルーム男ではなくレイモンドを振り返って言った。赤光に目元を沈ませる村長に、ごくりと唾を呑み込んでから、それでもはっきりと続ける。
「あんたの気に入る『熱さ』じゃないだけだ」
一瞬、三者が完全に沈黙し、呼吸音すら掻き消えた。
じりじりと高まる緊張に、オーレンとマッシュルーム男が額を汗で濡らす。赤い世界に影法師のように立つレイモンドの鉈から、木苺の血液じみた汁がぽたりと滴った。
ぴくりと鉈先が震える。オーレンが構えかけた瞬間、レイモンドが目にも留まらぬ動きで鉈を投擲した。
対応できずに目を見開くオーレンの髪先をかすめ、鉈はマッシュルーム男に向かう。驚がくするマッシュルーム男が「なんで!?」と叫ぶと同時、鉈が彼の腹のわずか一寸先に、水っぽい音を立てて突き刺さった。
三人が事態の理解を共有するのに、一瞬とかからなかった。マッシュルーム男が背を預けていた巨木の陰から、さわさわと音を立てる何かが這い出している。
自分の肩口を半分近く切断した鉈をそのままに、ひどく長身の、うすら白い女性じみたシルエットをした『何か』は、両目を丸く剥くマッシュルーム男に巨大な口だけがついた顔面を寄せた。
「りんりん。らんらん」
涼やかな硬質の音が、巨大な口から直接『声』として放たれる。さわさわと音を立てる長髪は楽器の弦に似た質感で、口が放つ声に共鳴して震えていた。
絶叫するマッシュルーム男がメイスで異形の頭を叩き割るのと、彼の首がへし折られるのは同時だった。抱き合う恋人達のようにもろとも地に転がる彼らの上を、ひざの痛みを忘れて飛び出したオーレンの蹴りが通り過ぎる。
鉄の補強具が巨木の幹をえぐると、樹上の何かが奇声を上げて落ちてきた。ごく小型の猿が地面を跳ね、マッシュルーム男を抱いたまま祈りの姿勢に変わる異形のそばを逃走する。
すべてが一瞬だった。唖然とするオーレンに、レイモンドが大股で近づいて来る。
彼は異形に刺さった鉈を抜き取ると、神に祈ろうとするその手首を切断した。真っ白な皮膚と骨肉、血液が飛び散り、さらにちぎれかけの肩口が完全に断ち割られる。
マッシュルーム男を異形の拘束から救い出すと、地面に寝かせてその脈を調べた。「死んでるだろ」とオーレンがつぶやくように言うと、レイモンドがすぐにうなずいた。
「運が悪い。『鈴鳴らし』の寝ている木に背を預けるなんざ、この森じゃあ隕石が頭に当たるくらいの確率だ。だが、タダでは死ななかった。立派な戦死だ」
「……」
「こいつ、なんて名だっけ?」
マッシュルーム男を見つめるレイモンドの台詞に、オーレンが顔を引きつらせた。「スレイだよ! 『盾割りのスレイ』だ!」と怒鳴ると、レイモンドがしぶい顔をして首を振る。
「スレイ……俺の手下……愛すべき『マッシュルームデブ』……」
「……!」
「駄目だな。しっくりこねえ。こいつは単に『デブ野郎』だ」
再び怒鳴ろうとしたオーレンが、しかし『デブ野郎』の上着を引きちぎるレイモンドに言葉を呑み込んだ。
あらわになった胸部に、鉈があてがわれる。「確かめてやらにゃあ」と、レイモンドが声だけをオーレンに向けた。
「こいつは俺の考えをよく理解してた。だからこいつのハートが熱いかどうか、責任もって確認してやらなきゃならねえ。血流が途絶えて、冷えた死体になっちまう前にな」
「レ……レイモンド……っ!」
「洒落や酔狂じゃねえし、言葉遊びでもねえ。覚えとけ、オーレン。こいつが俺の『信仰』なんだ」
精神は人体の中にある。
低く断言したレイモンドが、さっきまで動いていた仲間の体に、鉈を振り下ろした。




