百二十九話 『脅威の人 中編』
新たな面子を迎えた異邦人の集落は、かつて何万回とそうしてきたように、地底世界の赤い夜へとそのシルエットを沈める。
新人達を歓迎する者、密やかに警戒する者、興味なく放置する者。住人達の雑多な思惑をはらみ、血だまりのような電光の中にもろとも眠りにつく。
数人ばかりの物見役を残し、活動を停止する集落――。
その南、巨木の森の中に、人のものとも思えぬ暗い声が響いた。
「ハングリンくーん……どこにいるんだーい……?」
トゲだらけの木苺を、ぶ厚い鉈がざっくりと株ごと切り飛ばす。
破裂した腫瘍が血液をまき散らすように、毒々しい果汁が飛散し、裂けんばかりの笑みにゆがんだレイモンドの顔を汚した。
「出て来いよ……迎えに来てやったぜ……? はっきり『てめえは追放だ』って沙汰下したのに……性懲りもなく、森に入って来やがって……」
道しるべの黄色い接ぎ木の枝を、レイモンドが無造作にむしり取る。「しょうがねえなぁあ~」と笑う彼のこめかみには、太い血管がミミズのように浮き出ていた。
鉈を振るい、木枝を切り開いて突き進むレイモンドの後ろから、オーレンとマッシュルーム頭の男がついて来る。未だ痛むらしいひざをかばうような歩き方をするオーレンを、マッシュルーム男が手にしたメイス(戦棍)で指し、けたたましくあざ笑った。
「ざまあないな! めちゃくちゃカッコ悪ぃ! あれだけ大口叩いて負けて、恥ずかしくないの!」
「……うるさい! 黙ってろデブ野郎!!」
「なぁ~にが『僕と仲の良い人が~』だ。誰にも助けてもらえねえでやんの。馬賊が地上戦してどうすんだよ。バカだねえ。アホだねえ。うけけっ」
「てめぇッ!!」
拳打を繰り出そうとするオーレンのひざを、マッシュルーム男が容赦なく太い足で蹴りつけた。悶絶するオーレンからじたばたと飛び退きながら、マッシュルーム男が愉快にはやし立てる。
「馬も足も使えないお前なんか怖くないもんね! ざまあ見ろ! ざまあ見ろ! 役立たずの死に損ない! 今日から俺がレイモンドさんの右腕だ! ヤッター!」
「おいデブ野郎。ちょっとうるさいぞ。ハングリン君がビビって引っ込んじまったらどうすんだ」
レイモンドが笑顔のまま振り返ると、マッシュルーム男がぴたっと騒ぐのをやめて起立した。「すんません」と別人のように神妙な声を出す彼に、レイモンドが「だいたいな」と、ひげを指でいじりながら続ける。
「オーレンがぶっ壊れたからって、なんでお前が俺の腹心になれるんだ。そんなこと誰が決めたんだ」
「ええっ……? だってレイモンドさん、もう我々二人しか手下残ってないじゃないですか。村長の立場関係なくあんたに心酔してるの、我々だけですよ」
「俺は元々、一人でやってけるんだよ。自分のそれ以外に『右腕』なんか必要ねえし、欲しいと思ったこともねえ」
マッシュルーム男とオーレンが愕然とするのを見て、「なんてツラしてんだよ」とレイモンドが笑みを消す。
樹上から何かが枝葉を揺する、がさがさという音が響いた。
「俺はな、先代の村長みてえに、五十人も六十人も子分作って『組織』を気取る趣味はねえんだ。ウン千年前の遺跡を占拠して勢力づらしてりゃあ、生還者ゼロの地獄に落ち込んだ不安を忘れられるかもしれねえが、中途半端な安全と地位は探索者の本分を殺す。
地底世界の浅層で足踏みすることを『生存のための戦い』と勘違いし、深みに挑む勇気を失わせる。それを他の生存者にも強いることになる。分かるか?」
「……我々、そもそも先代がどんな人か知らないんですけど。だいぶ前にレイモンドさんが殺したんでしょ」
「屈強を絵に描いたような男だった。筋肉の塊で、馬鹿でかい剣を振り回す、征服心の権化さ。だが集落の存在と、村長という生き方に気づいてから堕落した」
レイモンドが地面にかがみ込み、ハングリンの臭いを追跡するように鼻を鳴らす。彼の喉が、わずかに愉快げに震えた。
「集落ってのは、元々特別な場所でも何でもなかったんだ。平原に建つ木造の砦と同じで、過去に魔の島に挑んだ人間がそれぞれの資源を使って設置した、間に合わせの拠点、休憩所だ。それを各地に残し維持することで、自分や他の探索者が魔の者とより有利に戦えるようにしよう。そういう暗黙の協力意識のもとに成り立っていた施設なんだ。
それを先代は、自分に忠誠を誓う者だけが住み込める安全地帯にしちまったわけだ。武装した子分をしこたま抱えて、訪れる新参者を試し、威圧し、てめえでこさえた集落の旗を見せつけてそれに服従を誓えと言った。
バカらしいと思うやつは唾を吐いて森に帰る。先代の子分になったら探索活動すら自由にできず集落に留まらなきゃならねえからだ」
「はあ。つまり、探索者を集落の防人にしちまうってわけですか。それじゃ魔の者との戦いも不死の水の捜索も停滞しますな」
「現実逃避さ。本来の目的を忘れて、森の中の共同体で小さな王国を気取ろうとした。優れた異邦人にあるまじき行為だ。だからやつらは産道の民にも見捨てられたし、魔王の導きも失った」
レイモンドが土から顔を離し、立ち上がりながら茂みの奥を指さした。「向こうだな」とつぶやきながら歩き出す彼に、マッシュルーム男とオーレンがあわてて追いすがる。
「俺は村長になりたくてなったわけじゃねえ」と、レイモンドが鉈を振るい、太い木枝を切り飛ばした。
「自分から未来を捨て、戦いから逃げたくせに、その自覚すらなく王様を気取ってるやつが哀れだったから殺してやった。死にかけのブタを介錯してやるようなもんさ。ただ親ブタを失くした子ブタどもが、明日からどうすりゃいいか分からねえって泣きついてきたから、最低限集落をあるべき形に戻してやった。
そしたらいつの間にやら、今の立場が出来上がっちまってたってだけなのさ」




