百二十六話 『冒険者夫婦 後編』
クズ。やくざ。
敬語で喋る物静かな夫人の口から飛び出した単語に、サビトガは多少不意を突かれて目を見開く。
チャコールは自分の髪をいじりながら、火を見つめ、言葉を続けた。
「危険を冒す者と書いて、冒険者。名誉や利益の獲得を動機にする人もいますが、本来は危険そのものを楽しむために個人レベルの探索と戦闘を繰り返す人々のことです。職業と言うよりは、狂人の種別に近い言葉ですね」
「……そこまで自虐的な物言いをしなくても、とは思うが」
「事実です。私も自分を危険に晒していると安らぎを感じます。正常な神経を持ち合わせていないんですよ」
サビトガは少女が口に残ったコウモリ肉をようやく呑み込む音を聞きながら、首を傾げる。「危険が好き?」と訊くと、チャコールも同じように首を傾けた。
「小さい頃から、安穏とした生活が嫌だったんです。平和は得がたいもののはずなのに、朝から晩まで土と家畜の毛にまみれ、本も読めない生活が嫌で仕方なかった。世界には綺麗なものや素晴らしいもの、知や勇や、義というものがあるのに、それに触れられずに田舎で年を取ることが怖かった。
実直な生活が、まるで生涯光を浴びずに生えては枯れる、日陰の白い植物のそれのようで……」
チャコールのどこか詩的な言い回しが、倒れた塔の内壁を響きめぐって、空に散った。
円盤の目が、再びばちりと大きくまたたく。
「気がつけば故郷も家族も捨てて、身一つで世界に踏み出していたんです。ちっぽけな小娘が、色んな世の中の『汚わい』にまみれて、餓え凍え、傷つき汚れながら世界を知って、小さな喜びに舞い上がり、突き進んだ結果が『冒険者』なんです。身の内に誇れるものなんて何一つない。ただ自分の欲求と快楽を満たしてきただけの人間です」
「冒険者を名乗る優れた異邦人は、みんな似たようなことを言う」
口を開いた少女が、チャコールに紫色の視線を送った。視線が円盤に受け止められると、少女の目元に一本のしわが走る。
「だが、自分を恥じていたり、後悔している冒険者ほど、化け物じみて優れているんだ。冒険者は選ばれた者が就く聖なる職業だ、などと得意げにぬかすヤツほど、弱くて使い物にならない。冒険者は本当に面倒臭い人種だ」
「産道の民の言う『優れ』と、私達異邦人の『優れ』は違うんですよ。自分の生き方に胸を張れない人間は、どんなに強くて賢くても駄目なんです。そういう意味では自分を選ばれた者だと言い切れる冒険者の方が、私より上等でしょう。……私は結局、毎日土と家畜の毛だけをかき回して生きている、知性のかけらもないヤギみたいな目をした家族と同類になるのが嫌だったんです。それを避けるために別のクズになった。それだけなんです」
「でも、そんな自分を選んだ旦那との間にできた娘を『クズ』扱いされるのは嫌なんだ。だから夫婦だけで魔の島に来た」
「……どういうことだ?」
遠慮がちに口をはさむサビトガを、少女とチャコールが同時に見た。チャコールが髪をいじり、低く喉を鳴らす。
「世界をさまよい、危険に身をさらしていることで、自分は田舎で土と毛にまみれている人々よりも知的で開拓的な人生を送っていると悦に入ってきた。そんな分際で同業の男と好き合い、子を産んだ。
でもね、サビトガさん。家族を作るということは、どこかに人生の根を下ろさねばならないということなんです。家も故郷もなく、子供を冒険に連れ歩くなんてことは許されません。土をいじり、家畜の毛を刈るような生活をしている人々の『安穏』の中……そこが子供にとって、一番安全な場所なんです」
「……」
「でも、自分が否定してきた生き方を、なぜ今更始めることができます? 私もブレイズも冒険しかできない人間になっているんです。正常な人間社会で生きるための常識も能力もない。そんな親がついていたら、娘の人生を駄目にしてしまう。だから……だから私達は娘をブレイズの母に預けて、魔の島に来たんです。私達がいなくても娘が一生食べるに困らないだけの、莫大な冒険の成果を得るために」
「それが不死の水というわけか?」
チャコールは自分の小指を噛み、おもむろに懐をあさった。ぶ厚い手記のようなものを取り出すと、サビトガに差し出してくる。
受け取り、中身をめくれば、ブレイズが見せびらかしていた幼子の肖像と同じ筆致の絵が並んでいた。
自作だったのか。目を細めるサビトガは、止め海の砂の道や、ブナの森や、ウェアベアの絵を指でなぞり、うなる。
「立派な冒険記だ。魔の島の内情が細かに描かれている。絵の外にある補足もあなたが?」
「ええ。でも文章はブレイズの方が上手いので、後で添削してもらいます。魔の島を一通り冒険して、手記を完成させたら……不死の水が手に入らなくても、島を出るつもりでいたんです。物理的に脱出できなくなった今となっては、笑い話にもなりませんけど」
「なるほど。前人未踏の魔境で作った冒険記自体が、価値ある成果か。複製して市場に流せば学者や金持ちが買ってくれるだろうな」
「秘宝や珍品はすぐにお金になりますけど、人生を保障してくれるものじゃないでしょう。国の都合で取り上げられることもあるし……まして不死の水なんて危険物、持ってるだけで命を狙われかねない。何より略奪や遺物あさりは、私達夫婦の趣味じゃありません」
手記を読み込むサビトガと少女に、チャコールが塔の先の空を見つめながら続ける。
「その点、本は良いです。何かを破壊することなく事実と知識を有価なものにし、流通させることができる。読む人がいる限り著者とその関係者に継続的な見返りがあり、お金も、それ以外のものも集めることができる」
「娘さんにとっては一生の財産か」
「……本を焼くのは野蛮人だけです。ならば故郷が平和である限り、私達の著書は娘の力になり続けるでしょう。危険な死地の冒険記こそ価値があるなら、その執筆はまさに私達がするにふさわしい仕事です。娘の人生を保障できたら……その時は私もブレイズも、娘のそばに帰ります」
サビトガは、手に触れる羊皮紙が人の人生を背負った重みを伝えてくるのを感じながら、ゆっくりとページを閉じ、チャコールへと返却した。
「貴重なものを見せて頂いた」と言うと、自然と浮かぶ笑みを向ける。
「ブレイズの子煩悩は凄絶だったが、あなたも大したものだ。娘さんは幸せ者だな」
「……正直、そうは思えないのですが……」
「あなた方は良い親だ。この集落に来て、初めて裏を感じない物言いをする人と出会えた気がする。娘さんに借りができたな」
チャコールはサビトガの顔を見つめると、少しばかり時間をかけてから、にへら、と崩れるような笑顔をこぼした。「そうですかあ?」とからみつくような声を上げてもだえる彼女を、少女が口の動きだけで『面倒臭い……』と評する。
集落内で、真っ正直な動機と感情を表明する人々と出会えたことは、事実好ましかった。ボーン夫妻とその住処である塔は、後から来るシュトロ達に少なくとも好意的に紹介できるだろう。
低く響き続けるチャコール夫人の声に、コウモリの肉が焼け残った最後の脂をはじけさせる音が、ばちりと混ざった。




