百二十五話 『冒険者夫婦 前編』
ブレイズ・ボーンは一通り愛娘の絵を自慢すると、当初の目的であったコウモリの調理に取りかかった。
塔の出口に起こした焚き火には初めから大鍋がかかっていて、塩水と思われる液体がぐらぐらと煮えていた。ブレイズは塩水が完全に蒸発する頃合を見計らいながら、コウモリの頭を大包丁で落とし、毛皮を剥いて捌いてゆく。
骨っぽいコウモリの肉をちまちまと剥がし、内臓を抜き取ってカバの樹皮の上に積み上げる。頭や骨、羽など、使わない部分はそのまま焚き火に放り込んで焼き捨てた。空飛ぶ獣の残骸と糞が燃える悪臭は、煙突のような塔の出口から白い電気の空へと還ってゆく。
やがて鍋の水が蒸発し、塩をまぶした鉄板が火の上にでき上がると、コウモリの脂肪をどさっと投げ入れた。賑やかな音を立ててはじける動物の脂に、焚き火のそばに並んだ食料壷から諸々を見繕い、投入する。
干したハーブに、キノコ、ブナの実に、塩漬けのオリーブ。
鍋の上に多少の色彩が揃ったところで、コウモリの肉と内臓を中央に盛った。大包丁でかき混ぜ、時折蓋をして熱をこもらせつつ、仕上げに入る。
サビトガが一度だけ、ハーブ類よりも肉を先に焼いたほうが、と意見を具申したが、それでは血の味が具になじまないと却下された。豪快な野性味あふれる料理が、木の皿に盛られて皆に配られる。
渡された木のフォークで頂くと、凄まじく硬い肉が歯の上で肉汁をはじけさせた。丸々と太っていたから柔らかいかと思いきや、とんでもない。下手をすれば歯がまるごともっていかれそうな、筋の塊だ。
塩やハーブを使ったおかげで味は良いが、消化できるか不安になるような肉だった。さながら死ぬまで飛び続けて硬直した老鳥の肉だ。必然的に皆の口が食事でふさがり、人声が絶える。
ただ一人、ブレイズだけが屈強な顎と歯でコウモリをバリバリと噛み砕き、お代わりまでして早々に食事を終えた。そうして無口な面々に向かって、調理中も隙あらば展開していた娘の自慢話を始めるのだ。
この場に居ない愛娘を、やれ顔が良いだの頭が良いだの、心優しいだの気品があるだの、尽きることなく誉め続けるその愛情と語彙力には超人じみたものがあった。どれほど喋り続けても飽き足らず、そして決して誉め言葉が重複することがない。
子を愛する親の言は尊いが、しかしまだ十にも満たない幼子をよくも無限に讃えられるものだ。終いには手相が良いとかまつ毛の本数がとか言い始めるブレイズに、彼の妻であるチャコールすら正に置物のように無機質になり、ギドリットに至っては本物の植物と化したかのように身動きしなくなった。
皆が硬い肉に口を封じられ、ブレイズの演説をただ聞かされる聴衆とされていた。
この男、本当に自分を歓迎するために食事に呼んでくれたのだろうか。サビトガは会ったこともないアッシュ・ボーンの人物像が肥大化していくのを感じながら疑いを抱く。
脳内の幼子が白い羽を生やし、光輪を頭に載せたところで、塔の避難所に来客があった。金髪の太った男が、村長レイモンドが呼んでいるとブレイズとギドリットへ叫び声を飛ばしてくる。
とたんに物言わぬ植物であったギドリットが立ち上がり、ブレイズの腕を引いて場を後にする。嵐のような娘自慢が唐突に終わり、塔の中にサビトガと少女と、チャコールだけが残された。
サビトガはまだ半分ほど残っているコウモリの皿を置くと、無心で口を動かしている少女をはさみ、チャコールへ声を向ける。
「彼が何を大事にしているかは、よく分かったよ」
「気にしないでください。初対面の相手には必ずやるんです。娘自慢」
「……誰にでも?」
「ええ。レイモンドも、あのオーレンでさえ付き合わされました。下手に中断させると泣き乱すんですよ」
泣き乱す。その言葉にブレイズが去って行った方を振り返るサビトガ。大の男の涙声は聞こえなかったが、代わりにチャコールがくすりと笑う音が耳に届いた。
円盤の目をした夫人が、食べ残しの肉を鍋に戻す。残して良いのかと訊く前に、少女が目にもとまらぬ速さで自分の肉を鍋に放り込んだ。「火を入れなおしてお弁当にしてあげますよ」とチャコールが言うので、サビトガも二人にならって皿を空ける。
チャコールが麻紐を取り出し、自身の黒髪を馬の尾のように縛りながら、ゆっくりと言葉をつむぐ。
「夫はあの通りの親馬鹿で、自分と関わった人はみんな娘のことを知るべきだと思ってるんです。だから人の都合なんてお構いなしにべらべら喋って、ひんしゅくを買ったりもするんですが……」
「まあ、圧倒はされたかな……」
「同じ自慢は二度としないので、通過儀礼だと思って許してやってください」
サビトガは口の端に小さく笑みを浮かべてから、しかしすぐにそれを消し、チャコールに少々踏み込んだ問いを放った。
「あれほど娘を溺愛している人が、なぜ魔の島になど挑もうと思ったんだろう? こう言っては何だが……外の人々と二度と会えなくなる可能性も高いのに」
「それは、私達夫婦が冒険者だからですね」
「……冒険が好き?」
「というより、冒険以外にできることがないんです」
チャコールが、円盤の目をばちりとまたたかせた。
「クズなんですよ。私達。真っ当に生きることができないんです。だから冒険者なんて、やくざな商売をしてるんです」




