百十七話 『火虫』
異邦人の集落。サビトガはそれを森の木々を切り出して造った家や、布張りのテントの集合と考えていたが、実態はかなり違っていた。
集落を構成する建物の大半は古い石材で組まれた塔や壁で、多くが破損したり、半壊状態にある。講堂じみた広場や、どこにもつながっていない大橋が散在し、蔓植物やコケのより所になっていた。
魔の者との戦いのために造られた砦の風情とも違う。
大昔に栄えた、何らかの文明の遺跡。それを土台にした探索基地だった。
サビトガと少女は集落周りをめぐる枯れた水路を渡り、蔓をザイル代わりに建物群に侵入する。手近な塔の窓から中に入り込むと、靴が絨毯のようなものを踏んだ。白い花の咲いたふかふかの何かが、石床の上を埋め尽くしている。
瓦礫を利用した机や椅子が並ぶ空間は、疑いようもなく誰かに住居として使用されている。家主は留守のようだが、要らぬ誤解を受ける前に出るべきだった。
開きっぱなしの扉をくぐると、目の前に途切れ途切れの石畳が伸びていた。朽ちて割れた石は靴を受け止めるには不安定で、下手に踏むと足をくじきかねない。
かつて街だったのだろう遺跡をさまよう石の道。その上にはいまや一つの人影もない。ただ風に揺れる雑草にくすぐられ、ちっぽけなトカゲに抱かれる古石を前に、サビトガは少女へ問いを放った。
「集落には何人いるという話だった?」
「十八人、とハングリンは言っていた」
「……広い遺跡だが、それにしても人声がなさ過ぎる。見張り番も立っていないとは」
言いながらサビトガは歩を進め、集落の建物を見て回った。
住居に適した塔の中からはしばしば家具や日用品が覗き、崩壊した高壁の陰などにも布や木板が張りめぐらされ、人の寝起きしていた形跡がある。
だがどこを覗き込んでも住人の姿はなく、打ち捨てられた獣の巣のように静まり返っていた。
集落の中央広場にたどり着くと屋根のない講堂が口を開けていて、何も支えぬ苔むした柱がいくつもむなしく立ち尽くしている。
サビトガは一度声を張り、「誰か!」と呼びかけてみる。柱にとまっていたコウモリが数匹騒がしく逃げ出しただけで、人の返事はなかった。
「もぬけの殻か? だが何かの都合で基地を放棄したにしては、物が残りすぎている」
「敵と戦って全滅したわけでもなさそうだ。死体も血痕も見当たらない」
少女が講堂の壇上に上がり、石の演説台に尻をのせた。足をぶらぶらと振ると、演説台の後ろから硬質の音が上がる。
背後を覗き込む少女が、手に真っ赤な木苺の実の詰まった瓶を取り上げた。演説台の中に隠されていた食料が、少女に揺さぶられて転がり出たのだ。森の中で見つけたトゲつきの木苺とは違う、見慣れた真っ当な果実だった。
「……持って行ったら、ダメだろうな」
「やめておこう。実が真新しい。収穫されたばかりだ」
サビトガの言葉に、少女は素直に瓶を演説台の上に置いた。
生活臭のある集落にたどり着いたにもかかわらず、なぜか住人と遭遇できない。
じわじわと降り積もる不安に、サビトガ達が言葉少なく講堂を出た、その時だった。
「サビトガ! あれ!」
少女が指さす方向を見るや、サビトガの目が刃の鋭さを帯びて吊り上がった。
集落の終端、どこにも続いていない天空へと向かう大橋に、一頭の馬の影がある。
白い電光を浴びる馬は、まごうことなき髑髏馬。サビトガの荷物を奪った盗人の乗り去った馬だ。
髑髏馬は今は誰も乗せず、装着された馬具の鎖を瓦礫につながれている。サビトガはすばやく視線を走らせると、大橋のさらに先端に人影を見つけ、槍を音を立てて握り締めた。
「……飛んで火に入る何とやらだ。集落の状況も聞きだせるかもしれん」
「怖い顔をしろサビトガ。思いっきり怖い顔をするんだ」
足を踏み出すサビトガに、少女がぶんぶんと腕を振りながら続いた。




