百十一話 『道中』
身支度を終えたサビトガ達が砦の外に出ると、骸骨がまき散らした肉と油の臭いはすっかり霧散していた。
世界はあわ白い電気の光に満ち、風がそよそよと草を揺らしている。
周囲に新たな魔の者が現れた形跡はなかった。あるのは昨夜、サビトガ達が動いた跡だけだ。
正門に掘った落とし穴には長梯子をかけっぱなしにする。次に砦を訪れる者のために最低限の後始末をしてから、一行は次なる目的地へと向かった。
まがりなりにも人の居る集落に入れると知ったレッジの足取りは軽く、寝具とテントを背負っているにもかかわらず、案内役のハングリンを追い越す勢いで地を跳ね回る。
彼に周囲への警戒をうながしながら、サビトガは自分達の歩んでいる道筋と地形を頭に叩き込んだ。
いつかハングリンと別れた時、彼なしで砦や穴底に戻れるように。
この地下世界で、万が一にも道を見失わぬように。
「例の集落とやらには、誰がいるんだ」
不意に声を上げた少女に、ハングリンが前を見据えたまま「誰とは?」と聞き返す。
少女がひざを撫でる草の穂をむしりながら、ぱちぱちと目をしばたたく。
「産道の民は、自分達が選んだ異邦人の名は全部覚えている。だから名前を聞けばソイツがどんなヤツだったか、すぐに分かる」
「私が最後に集落を訪れた時には、十八人の異邦人が居たよ。たとえば、そう……『競技者ロートシルト』」
「競技者?」
口をはさむシュトロに、少女が「クロイツという国から来た騎士だ」と即答する。
わずかに振り返り、ほう、と舌を巻くハングリン。少女は「凄く強いヤツだ」と付け加えながら、首を思案げに傾ける。
「ロートシルトには相棒が居たはずだ。カイマンという名の……」
「『外道騎士カイマン』か。彼ももちろん一緒に居たよ。けど、集落の顔役とは上手くいってない様子だった。もう追い出されてるかもしれないね」
「顔役は誰だ?」
「『腹探りのレイモンド』さ。驚いたろう? 私より『長生き』の異邦人だ」
「ちょっといいですかー? 優れた異邦人ってのは、みんなアホみたいな二つ名を付け合って喜ぶ手合いなんですかー?」
うんざりと声を上げるシュトロに、少女が少しばかり厳しい目を向ける。「付け合ってるわけじゃない」と、彼女の唇に赤みが差した。
「アドラ・サイモンが産道の村を滅ぼす前は、村の長老が優れた異邦人に対し愛称としての二つ名を贈ることがあったんだ。自分達の使命に付き合ってくれる者達を、ふさわしい言葉で呼んだ。敬意の証だ」
「それにしちゃあ外道騎士だの腹探りだの、聞こえの良くねえ二つ名ばっかだな」
「産道の民の目にはそう映ったということだ。上陸からの全ての行動を監視している産道の民が、異邦人を外道や、腹探りの名で呼ぶ……。
分かるだろう、二つ名は本人の性根や行為そのものを表している。そして全ての異邦人は優れているがゆえに二つ名を贈られるんだ」
聞こえが良かろうと悪かろうと、二つ名つきの異邦人は規格外に強い。
少女の言にシュトロは眉根を寄せ、サビトガの肩にひじを載せながら、やたらとうるさく鼻を鳴らした。
「どっちにしたって、顔も知らねえ連中の話をされてもついていけねぇよ。何十人の生存者全員の名前を覚えるつもりもねぇ」
「有意な者の名だけを耳に残したいなら、腹探りのレイモンドだけ覚えていれば良い。君達が今夜世話になる男だ。忠告するが、絶対に怒らせるなよ」
「村を追い出されるってんだろ」
「いいや、殺されて腹の中をかき出される。レイモンドは病気だ。先代の顔役を同様の方法で殺し、立場を乗っ取った。
追い出されるだけで済むのは、軽蔑された者だけだ。怒りを買った者は彼と彼の手下に抹殺される」
ハングリンはほんの少し期待を込めた視線をシュトロに送ったが、シュトロが相変わらず気のない顔をしていることを知るや、すぐに前を向いてため息をついた。
顔色を変え、歩みを亀のごとくにぶらせたのはレッジだけだ。サビトガは彼の手を引きながら、きな臭さを増す異邦人の集落へと歩を進め続けた。