百十話 『うまい話』
「お肉が食べたい」
正直に、かつ率直に言うレッジに、少女がヤドカリの燻製をかじりながらうなずいた。
砦の中庭、巨大な魔の者の骨の前で火を囲む五人。今朝のメニューは各種燻製と、煮沸した塩水で洗ったグミの実だ。
サビトガは昨日嗅いだ骸骨の焼ける臭いを思い出しながら、「肉なぁ……」と首をひねる。
「上のブナ森にはウェアベアや、蛇やネズミがいた。だが穴底に降りてからは獣の影はとんと見かけん。栄養的には魚肉や豆があれば問題はないが……」
「でも、なんていうか、動物のお肉って特別な存在じゃない? 食べるとすごく元気が湧いてこない? 植物メインの食生活だと、なおさら欲しくてたまらなくならない?」
「おっさん、何か当てはねぇのかよ」
シュトロに話を振られたハングリンが、白湯をすすりながらなぜかサビトガに視線をそそいだ。さりげなく顔を背けると、ハングリンが「さて」と低い声を出す。
「獣肉を手に入れる当てか。お察しの通りこの地下世界では真っ当な獣の類は非常に希少でね。個体や群に遭遇するには運が必要だ」
「居ることは居るんだな」
「まあね。だがそれらを探して狩るよりも、良い方法がある」
身を乗り出すシュトロ達に、ハングリンが片眉を上げて「他の探索者から『買う』のさ」と続けた。
「産道の民に選ばれた『優れた異邦人』には、未だ地上をさまよっている人々以上にお互いへの仲間意識というか、『同族感』のようなものが芽生えていることが多い。特別に選ばれた者同士、能力を保証された者同士、あるいは同じ経緯で地下世界に閉じ込められた者同士……。この砦に長梯子を遺した僧兵ラマダのように、助け合おうと考える者がいるのさ。
そういった連中に物資の交換を持ちかければ良い」
「……他の優れた異邦人と、どうやって会うんだ」
「私がどこに向かってると思う? 地底世界の浅層、穴底から一番近いベースキャンプに向かっている。優れた異邦人の、集落だよ」
その言葉にとっさにサビトガが顔を上げ、「集落だと?」と聞き返した。
ハングリンが嫌な笑い方をし、ゆるくうなずく。
「もちろん安全地帯なんかじゃない。我々を襲ったような魔の者が時折やって来ては住人と殺し合い、数を減らしに来る。だがそれでも穴底を探索する人間が身を寄せ合い、一時的にでも協力し合える貴重な避難所さ。そこに行けば猟師や売人から、肉が買える」
「そんな場所があるなら、なんであんた……」
「一人でさまよっていたのか、かね? 私が優れた異邦人ではなく、産道の民の案内を受けずに穴底に到達した人間だから、集落の人々の仲間意識に触れられなかったのと……。
以前なんとか一晩だけ世話になった時に、運悪く魔の者の襲撃を受けてね。他の者達を置いて逃げたものだから、出入り禁止にされてる。私が姿を見せれば石が飛んでくるよ。集落の手前でいったん別れた方がいいだろうな」
ろくでもない告白をするハングリンを、サビトガは今更軽蔑するのも馬鹿らしいと、空を見上げて視界から外した。
対してレッジは少しばかり高揚した様子で、「お肉が食べられる!」と両手を派手に叩き合わせる。
「しかも基地を作って継続的に集団戦をしている人達がいるってことは、今この瞬間にも魔の者の数は減っていってるってことだよね? 千匹倒せって言われた時は気が遠くなったけど……何も僕らだけでやっつける必要はないんだ! 僕らより強い人が集落にたくさん居たら、もしかしたらただ生き延びてるだけで魔の者はいなくなるかも……」
「都合が良いぜ、レッジ。魔の者は千匹、探索者は数十人って話だったろ。しかも俺達が産道の民が案内する、当面の最後の『補給』だ。これからは人間の数は一方的に減り続ける。
楽して勝ち馬に乗れるような甘い話じゃねえぞ」
シュトロは肩を落とすレッジを横目に「それにだ」と、アイタケの燻製をかじりながら続ける。
「俺とレッジもハングリンのおっさん同様、優れた異邦人じゃねえってことを忘れちゃいけねえ。俺らは産道の民に選ばれたわけじゃねえからな。集落ってやつには、サビトガと……そいつだけが行った方が良い」
そいつ呼ばわりされた少女が眉根を寄せるのを見て、シュトロが「やっぱりさあ!」と、不意に抗議じみた高い声を出した。
「呼び名が無いと不便だよ、お前! 気を悪くするくらいなら何かしら名乗れば良いじゃん!」
「カノジョとか、ムスメサンとか、敬意を示せる呼び方は色々あるだろ」
「ムスメサン!? バッカじゃねえの! お前なんか産道の民だから……そう、『サンドー』で十分さ!」
「!! やめろッ! なんだその信じられないような酷いあだ名! 馬鹿かオマエ! 馬鹿かオマエッ!!」
争うシュトロと少女は好きにさせておき、サビトガは空を見上げたままハングリンに「では」と声を投げた。
「食事が終わったら火を片して、その集落に向かおう。今日中に着けるのか?」
「たぶんね。もっとも日が代わったところで夜は来ないし、歩くぶんには問題もなかろうが」
「俺は集落の人間と交渉して、シュトロ達も内に入れて休ませるつもりだ。あんたは……」
「気にしなくて良い。一人寝がさみしい年でもないさ。ただ一つだけ頼みがある」
「何だ」
「まだ生きていれば、集落内に聖職者が一人いるはずだ。変人で、免罪の符を作って配ってる。一枚もらっておいてくれ」
目を閉じるサビトガに、ハングリンが「悪いか?」と喉を鳴らした。
「聖なるモノに触れれば、悩ましい性根も浄化されるかもしれんだろ」
「浄化したいと思っていたとは驚きだ」
「拒否するのか?」
「……いや、もらって来てやるよ」
俺も一枚欲しい。
喉元まで出かかった台詞を、サビトガは唾と共に呑み込んだ。