二十六話 『灰と塵の夜』
アッシュがふと目を覚ますと、石窯の前にダストが座っていた。
家の中は暗く、虫の羽でできた天窓からは何の光も降り注いでいない。
夜の闇の中で、石窯から漏れる炎の明かりだけが、ダストの姿を赤く照らし出していた。
アッシュは草のベッドの上でしばらくぼうっとダストの横顔を眺めていたが、やがて身をよじり、転がるように床の上を這って石窯に近づく。
両足を投げ出したダストの隣にうつぶせになると、頭に届く炎の熱に深く息をつく。
ちらりと視線をやると、ダストと目が合った。
反射的に小さく笑むと、ダストは無表情に石窯に視線を戻す。
彼の視線をたどると、石窯の中で踊る火のわきに、焦げた紙片が転がっている。床に入る前から石窯は燃えていた。就寝後に消えた火を、再度起こしたのだろうか。
目をこらせば、紙片には何か文字が書いてある。
寝ぼけ眼をこすりながら石窯に顔を近づけようとするアッシュに、ダストが「寝てろ」と上から声を落とした。
「真夜中ぐらい、夢の中に意識を沈めるべきだ。陰惨な現実に戻ってくる必要はない」
「……自分だって、起きてるくせに」
「眠れない夜もある」
簡単に意見をくつがえすダストに、アッシュはむっと唇をとがらせて、ごろんと仰向けになった。大あくびをすると、石窯に背を向けて身を縮める。
背中を暖める炎が心地良い。
ふうと息をつくと、しばらくして体の上に何かが覆いかぶさってきた。
薄目を開けると、ダストの外套がかけられている。乾いた布地からは甘い匂いがした。夕食に食べた、ラムライの蜜のお菓子の匂いだ。
蜜に水を混ぜ、どろどろに煮て、そのまま固めただけの硬いお菓子。
アッシュはその匂いを吸い込んで、目を閉じた。
目を閉じたまま、声を闇に落とす。
「悩み事? 話ぐらいは聞いたげるよ」
「聞きながら寝たら悪夢になる」
「じゃあ先に寝ちゃうから、一方的に話していいよ。おやすみ」
アッシュはそう言って、外套を引き寄せて口を閉じた。そのままとろとろと、まどろむ。
闇の中、心地よい温かさに包まれる。
やがて耳に届いた声が、現実のものなのか、夢の中のものなのかは、アッシュには判断がつかなかった。
【俺が生きていることに、意味はあるのかな】
【他者を誰一人救わなかった者に、何故救済が訪れると言うのだ】
【君のような人と、何故今更出会ったんだろう】
【……命の賭け時……】
【この腐った命】
【汚れた魂】
【今まで泣かせた人々のために】
【……ガラじゃない……】
【アッシュ】
【君が】
【幸せになるところを見たい】
【不幸になる優しい人は】
【もう見たくない】
――まぶたを開くと、燃え尽きた石窯の薪が目に入った。
世界は明るく、天窓からは細い光の柱が降りてきている。
アッシュは汗ではりついた衣をつまみながら、ゆっくりと身を起こす。
何故だか心臓の鼓動がやけにうるさくて、息が乱れていた。
背後から、ダストの手が伸びてきて、アッシュの鉄兜を差し出してきた。
「着替えろ。今日は雲の動きが早い。……一雨来るぞ」
振り向くと、ダストが笑顔を浮かべている。
アッシュは鉄兜を受け取りながら、満面の笑みを返した。