百五話 『魔王』
サビトガはミテンの言葉に箸を置き、米粒を呑み込みながら天井を仰いだ。
集合灯の上から鏃を向けてくる弓兵の顔を眺め、「不死の水か」と低く声を吐く。
「生命の霊薬。神のきこしめす長寿の酒。様々な国の様々な伝説に形を変えては登場する、生き物を寿命から解き放つ服飲式の秘宝……人類共通の夢想だ」
「限りある命を不滅のものとする、言い換えれば人を神と同等の存在にするというわけだ」
「そんな馬鹿げたモノが実在すると思うのか」
ミテンが肩をすくめ、椅子に深く身を沈ませた。すかさず寄って来る女達に体を揉ませながら、暗黒の三日月がサビトガと同じように弓兵を眺める。
「不老不死。この四文字はいつの時代も王や皇帝を魅了し、その達成のために権力と財力を尽くさせてきた。この世を謳歌する強者ほど、己が権勢を永遠のものとしたいと思うのは当然の欲求だ」
「だが、それらの行為は大抵無益に終わる。不死を得られると思い込み水銀を服毒した皇帝や、若さを吸収できると処女の生き血を死ぬまで浴び続けた女王が幸福だったとは到底思えん」
「生きて帰れぬ魔の島に数千数万の兵士を送り込む行為もまた、無益と言えば無益であろうな」
サビトガは視線を地上に戻し、ミテンの顔を見た。「話が見えん」と、闇の双眸を浮かべる白い肌を睨む。
「そんな夢想を、なぜ今更俺に語るのだ。軍勢を送り込んでさえ無意味な行為をなぜ一人の男にさせようとする」
「朕とて、貴様が不死の水を持ち帰れるとは思うておらぬわ。他の者ども同様、魔の島で人知れず息絶えるのだろう」
「ならば、なぜ……」
言いかけたサビトガが、ぐっと言葉を呑み込んだ。
ミテンが視線を下ろし、サビトガに笑いかける。女官達の衣の隙間に手を入れながら、暗君が錆び付いた楽器のように喉を鳴らす。
「そうだ。不死の水自体はどうでもいい。朕が不死の水を欲し、貴様がそれに応えるために旅立ち、消息を絶った。その事実があれば良いのだ。
先王の王室処刑人が朕に服従し、朕のために命を使った。その図式さえあれば朕は、貴様にシブキを処刑させるのと同じだけの『結果』を得られる。
先王の権威が朕に屈したという証とできるではないか」
肌の白い女達が、くねくねと肢体を踊らせて淫らがましい声を上げた。サビトガは手械のついた拳を握り締め、「馬鹿な」と吐き捨てるように言う。
「俺がそんな芝居に付き合う必要がどこにある。たとえ己以外の他者を犠牲にしないことだとしても、あなたのために命を使うなどまっぴらだ」
「それだ。処刑人。貴様は己を犠牲にして他者を救う。処刑人の分際で、他者のために生きている男だ。それをようやく知ることができた」
ミテンが自分にすがりつく女達をまさぐりながら、魔性の貌をさらした。
「貴様の人間性をずっと掴めずにいた。国士としての在り方だの、処刑人としての矜持だの、もっともらしいことを言うがその全ては『正論』に過ぎん。人は正しさをまといながら、その下に本性を隠す生き物だ。貴様が本当に大事にしているもの、譲れぬものを暴く必要があった。
それでこそ貴様を脅し操ることができる。朕はそう考えたのだ。だからこそシブキが貴様に使者を送るのをあえて見逃し、一連の騒動を起こさせた」
「!」
「朕を見くびるな! 処刑人! 仮にも天下を小物に簒奪できると思うか!!」
女達が、吼えるミテンの気に当てられてか、それ以外の理由でか、その身を次々と床に落とした。
暗黒の君が、食卓に身を乗り出してサビトガに笑みを向ける。凶悪な魔の相。それが処刑人に対し、宣告じみた声音を吐く。
「あの夜貴様が殺したのは、朕の配下の中でも特に矮小な連中だ。矮小が配下の多くを占めることは否定できんが……最も優れた者は、最初から最後まで貴様の動向を監視していた。兵士や下級妃の中に潜んだ斥候、内部監視役、いわば『草』と呼ばれる人種だ。
あの騒動は朕の威光に背き貴様に手を貸す裏切り者をあぶりだすため、わざと見逃されたものだったのだ」
「……」
「シブキを逃がし弱点を消し去ったつもりだったのだろうが、貴様が守らねばならぬ人間はまだまだ朕の手の中に居る。そうであろう? 貴様は結局、義理のある人間、同情に値する人間を切り捨てられぬ、甘ったれだ。法に強制されねば『善い人間』は殺せぬ。その程度の『鬼畜』だ」
ミテンの暗黒の瞳に、めりめりと赤い血管が這った。
「根性無しの忍ぶ者に、色狂いの鬼姫。クイナとかいう下賎な女官の一族郎党。全て生皮を剥ぎ臓腑を抜き取り犬に食わせると言ったなら、お前はいったいどんな顔をするのだ? ええ? 孤児の、フクロウ殿よぅ」




